第82話 ネリーの退職
収穫祭巡りの旅から王都へもどり、数日が過ぎた頃だった。国王陛下との打ち合わせの際、王妃殿下からお尋ねがあった。
「聖女様、離宮のネリーが退職願を出してきたの。聖女様は何かご存知でしょうか」
私の心臓は強く鼓動した。
「あ、いえ、心当たりがございません」
私にはそうとしか答えられなかった。
ネリーは、私が聖女らしからぬ言動をとると「聖女様」と呼んで諌めてくれる。逆に良い行動、判断をしていると「奥様」と呼びかけてくる。旅の途中、なるべくネリーから「奥様」と呼ばれるよう努力したつもりだし、実際「聖女様」と呼ばれることは少なくなっていた。だから私はネリー相手に何をやらかしてしまったのか全くわからず、当惑するばかりだった。
翌日聖女室に顔を出すと、ネリーがいた。見たことがないほどニコニコしている。私はネリーの近くに行って小声で聞いた。
「ネリー、退職願を出したとのこと、聞きました。私、なにかいけませんでしたでしょうか」
「いえいえ奥様、収穫祭巡りお疲れ様でした。私も楽しい旅をさせていただきました」
「それでネリー、今日はどうしました?」
「はい、就職活動です」
「はい?」
「この度一身上の都合で、宮廷には退職願を出させていただきました。それで奥様に個人的に雇っていただけないかと考えまして」
「え、私、そんなお金ありません」
聖女室筆頭のマリアンヌ様が口を出してきた。
「ありますよ、聖女様お給金、ほとんど使ってませんから」
「だけどだれか人を雇ったら、あっという間に無くなるのではありませんか」
「いえいえ、3人くらいは余裕で雇えるくらい出てますよ。そもそもそれを見込んで聖女様のお給金が決まってますから」
そしてネリーがニコニコ顔でさらに突っ込んでくる。
「というわけで、よろしくお願いします」
「ちょっと待って、とにかく待って。マリアンヌ様、ちょっと」
ネリーを残し、マリアンヌ様を別室に連れ込む。目線でヘレンとフィリップも呼んだ。
「どう思いますか?」
という問い掛けに、マリアンヌ様は「いいんじゃないですか」とそっけなかった。ヘレンにも意見を聞く。
「うーん、旅の間よくしてもらったんでしょ。離宮でもとても良くしてくれたし、人としてはネリーさん以上の人はいないと思う」
私が問題に思うのはそこなのだ。
「私としては、ネリーさんが来てくれるのは助かるし嬉しい。だけどそれ、女官長様から恨まれないかな」
「だろうね、恨まれるけど、しかたないじゃない」
「仕方無くないよ、宮廷の官僚組織を敵に回したくないし、だいたいネリーさん自体のキャリアもこれで終わりになっちゃう」
「だけど本人の希望だからなぁ」
「ネリーさん自身がなんと言おうと、絶対私が引き抜いたって言われるよ、絶対」
「うーん」
ちょっとしてフィリップが発言した。
「聖女様、ネリーさんは退職願を出したってことだよね」
「そうだけど」
「退職した、とは言ってないんだよね」
「うん」
「だったらまだなんとかなるよ」
「だけど、ネリーさんの意思はどうするの?」
「それだけどさ、宮廷に籍はのこしたままで、聖女室に出向と言う形をとればいいんじゃない?」
「出向?」
「そう、そうすればネリーさんのキャリアも続くし、宮廷との連絡係も兼ねられる」
「おお、さすがフィリップ」
「じゃ私、早速宮廷行って交渉してくる。ヘレン、フィリップ、ついてきて。マリアンヌ様、なんとかネリーさんを引き止めといてください」
聖女室を出て、徒歩で宮廷へ向かう。足がついつい早くなる。ヘレンとフィリップだけでなく親衛隊からも4人ついてきているので、なんだかものものしい雰囲気になってしまっているだろう。
受付に向かう。あたりは地方からの陳情だろうか、かなりの人が待たされている。みな私の服装で聖女であることがわかるので、一斉に起立し姿勢を正してくれる。申し訳なく「みなさん、お楽に」と手を上げて合図する。忘れていた笑顔を顔面にくっつける。
「女官長様に、おとりつぎいただけないでしょうか」
受付の女官は表情が固い。
「聖女様、お約束は」
「いえ、ございません」
「緊急のご要件でしょうか」
「緊急と言うほどでもないのですが、あまり先延ばしにはできないのです」
「それではすぐというわけにはいかないのですが」
「承知しております。女官長様がお手すきなられるまで待たせていただきます」
私はそう言って受付から離れ、空いている席を見つけられたのでそこに座る。私が入ってきたときはガヤガヤとしていたのだが、私のせいかシーンとしてしまっている。いつものことだが、やっちまったなぁと思い待っていると、一人の女官がやってきた。
「聖女様、女官長様がお会いになられます」
「あの、他のひとの順番を飛ばしているのではないでしょうか」
「聖女様ですから問題ありません」
これまたやっちまったなぁと思いながら立ち上がる。周囲からは恨めしい視線が飛んでくる。
一つの応接室に案内される。いろいろ無理して面会してもらうので、私はたったまま女官長様を待つことにする。少しして、女官長のエミリア様が入室した。怖い顔をしている。