第81話 離宮へ帰還
収穫祭巡りは、ときどき天候に苦しめられることこそあったものの、基本的には成功だった。予定の墓参はすべてこなせたのはとても大きい。まだ墓参ができていないところも多いが、それはもう春以降の課題だから今考えてもしかたがない。各地の人々の生活を見させていただき、意外にこの国も広いなと思った。
旅の途中でみつけたテーマ、部隊の指揮についてだが、これはなかなか難しかった。ヴェローニカ様を見ていると、時間があるときは部下に考えさせ、そうでないときは果断に決断する。そんなふうに見えた。ただそれが自分にできるかというと全く持ってそんな自信は持てなかった。まあなるようにしかならないと腹をくくる。
王都へ戻る前に、ヴァイスヴァルトの離宮に立ち寄る。ここでネリーとはお別れになる。そもそもネリーは離宮の女官なのだ。旅の終わりは物悲しいものだが、とりわけネリーと別れるのが嫌だった。
離宮へ着く日の馬車内の話題は、気象観測についてだった。現段階各地で気象観測をしても、リアルタイムで王都に情報を集めるシステムがない。だから観測をしても天気予報はできないが、将来のために観測データを収集する必要性があった。
「うーん、問題は、観測に必要な人員よね」
私達の議論はいつもそこで詰まっていた。現状派遣できる人員は騎士団にしかいないが、各地に配置するとなると人数がまるっきり足らない。そもそも騎士は戦うための存在なのに、国益のためとはいえいままで身につけてきた武術がまるで役に立たない配置につけるのはありとあらゆる意味でよくない。たとえば1箇所に観測要員はせいぜい3人もいれば充分だ。3人いれば3交代で24時間体制で観測可能になる。ただその3人は騎士としての仕事はまったくやる暇もないし、やるとしても3人ではその土地の警官の手伝いくらいしかできない。このような仕事を命ずるのは、命じられた騎士のその後のキャリアに悪影響が出かねない。一方志願者で、となっても志願者が充分に出るはずがない。
ガタガタとそのような議論をしていたら、ネリーが割り込んできた。
「あの、発言をお許しいただけませんでしょうか」
「はい、どうぞ」
私は気象観測とは関係のないことで、緊急にネリーから私達に伝えなければいけないことがあるのかと思った。
「気象観測ですか、その担当のことですが、騎士の方にお願いする必要はないと思います」
「では、どなたにお願いするのでしょうか」
「各地の教会に頼めば良いと思います」
「あの、教会は神事をおこなうところで、科学的なこととは相性が悪いのではないでしょうか」
「そうかもしれませんが、お天気というものは、ある意味神様の御業ですよね。神様からのメッセージとも言えるのではないでしょうか」
「は、はあ」
「それを聖女様からご指示されたら、教会としては断れないのではないですか。教会の協力があれば、お話の問題は一気に解決するかと思いますが。仰るように24時間体制での観測は無理ですが、最低限の観測網は構築できるのではないでしょうか」
そう言えば遺伝の研究で有名なメンデルは、修道院の庭にエンドウマメを植えて研究したと記憶している。その他地動説で有名なコペルニクスも聖職者だった気がする。案外宗教組織と科学は相性が悪くないのかもしれない。
離宮にもどってきた。しばらく不在の間に秋がすっかり進み、落葉樹はすっかり葉を落としてしまっている。ネリーは、
「晴れた日に針葉樹が落葉しますと、森の中が金色につつまれ美しいのです。奥様と殿下にはぜひ見ていただきたかったのですが、残念です。ぎりぎり間に合うかと思っていたのです」
と悔しがっている。
「また参りますから」
と言っても、残念そうな表情は消えなかった。
この旅のおかげで、ネリーは感情を見せてくれるようになった。最初に離宮に来たときは、一目で有能であることはわかったが、職務に忠実で人間味をみせてくれなかった。旅に出る頃には私を「奥様」と呼ぶのか「聖女様」と呼ぶのかくらいしか彼女の機嫌を示すものがなかった。でも今は、嬉しいとき、悲しいとき、不満なとき、それぞれを私にダイレクトに伝えてくれる。今の私は彼女なしの生活は考えにくいところまで来ていた。
離宮には2泊する。騎士団から派遣されていた新星の観測要員から報告を受ける。じわじわと減光しており、まだ肉眼で観測できているという。観測要員は自発的に星図の作成に必要な星の位置の測定をしていてくれたので、とても嬉しく思った。相談の結果、観測機材はこのまま離宮に置いて観測を継続してもらうことにする。
工房にも顔を出す。職人のアルバートさん、ラースさんは観測機材のメンテナンス状況について教えてくれた。急いで作られた機材は塗装がなされておらず、夜露でどんどん傷んでいるという。二人は新しいものを作っていて、今は塗装の乾燥待ちだという。
「塗装した場所の滑りが心配なのです」
今度はクルトさんが言う。乾いてから調整するしかないらしい。主に装飾を担当しているヤニックさんからは特に発言はなかった。ただニコニコしているから、仕事に不満はないのだと思う。かつて私達の注文に装飾があまりないのに不平を漏らしていたから、ニコニコ顔に安心できた。
「奥様、一休みなさいませんか」
ネリーが提案してきた。
「ありがとう、いいですわね」
「屋上に用意してございます。景色をごらんいただけます」
屋上にあがると、テーブルと椅子が用意されていた。あの場所はステファンが新星を見つけた場所である。テーブルにはいろいろとものが並んでいる。美味しいものだろうか。
近づくとそれは、食べ物ではなかった。ぬいぐるみが何体か、それからカトラリーセットとか手帳とか、女子大グッズの見本だった。私は思わず走ってしまった。
手に取る。
ぬいぐるみの肌触りがとてもよい。
気がつけばネリスもフローラも手にとって喜んでいる。男子もカトラリーとか手にとって「おー」とか言っている。
「ネリー、ありがとう。うれしいわ」
「奥様、それだけではありませんよ。どうぞこちらへ」
私はぬいぐるみをひとつかかえたまま、ネリーが導くまま屋上をかこむ壁のところに行った。
そこにはレリーフが埋め込まれていた。以前にはなかったものである。
近寄ってよく見ると、一人が空の一点を指差し、そこには星がある。近くに女性が腰掛けており、何事かノートに書き込んでいる。どう見ても新星を発見したステファンと、それを記録にとる私の姿だ。感動して涙が出てしまい視界が霞む。
「ヤニック、ありがとう。アンもあの通り、とってもよろこんでいるよ」
ステファンの声が聞こえた。