第69話 病人
ラーボエの教会でステファンとお祈りしたら、私はそのまま寝てしまったらしい。コツコツという足音で私は目を覚ました。足音の主は、牧師さんの奥様エヴェリンさんだった。お盆にお茶をのせている。
「聖女様、このお茶はお腹を整えてくれるんですよ」
「ありがとうございます」
一口含むと、口の中がさっぱりとした。
「聖女様、少しお話させてもらってもいいかしら」
「どうぞ」
私は横の椅子をエヴェリンさんにすすめた。
「聖女様は、教会でお生まれになったのですよね」
「はい、ベルムバッハという農村です。人口はここよりずっと少ないので教会の建物も半分くらいでしたね」
「そうですか、聖女様はお育ちのとき、なにか不便はなかったですか」
「そうですね、田舎でしたから本が少なくて」
「アン、そっちの話じゃないと思う」
突然ステファンが会話に割り込んできた。それにエヴェリンさんはにっこりと微笑み、
「殿下、心配事は解決しました」
と答えた。
「そうですか、それはよかった。それでいつですか?」
「冬の終わり頃になると思います」
途中からステファンとエヴェリンさんが二人で勝手に話をすすめていた。そしてその話題がよくわからない。
「あの、エヴェリンさん、何のお話をされているのですか?」
「え、ええ、まあ」
エヴェリンさんはきちんと答えてくれなかった。
「殿下、もし女の子だったら、アンと名付けてもいいものでしょうか」
「いいんじゃないですかね。ただ、算術ばっかりやるようになっちゃうかもしれませんよ」
「まあ殿下、そんなことおっしゃっていいのですか」
「ははは、男の子だったら、ステファンでも大丈夫ですよ」
「あ、はあ、それはあまりにおそれ多くて」
にぶい私はやっと、エヴェリンさんが妊娠しているのに気がついた。
午後は街の広場で、踊りが奉納される。
教会前の広場に臨時のステージが設えられている。ステージの奥は大きな絵になっていて、海が描かれている。
時間になった。子どもたちが列になりおどる。私にはそれが海の波に思えた。
踊りは言わば、ミュージカル劇だった。船に乗った漁師が荒天により遭難、海の底にいる海神の娘に救われ、海神の反対にめげず恋を成就させるというストーリーだった。町長さんのお話では、ラーボエの民はこの二人の子孫だということだ。
「恋は障害が多いほど、燃えるものですね」
町長さんの言葉は私には納得できなかった。私には障害がなくても燃え上がる自信があるからだ。だけどそれを言うわけにはいかず、微笑んでごまかす。ステファンはと言うと、
「そうですね、よくわかります」
と優等生の答えをしていた。
その後のステージは演芸会となって、住民たちの歌とか手品とかの披露であった。素人だから失敗も多く、みな暖かく笑っていた。
夜はとくになんにもなく、おそくまで屋台が営業しているらしい。屋台は昼は子ども相手、夜は大人相手のようで、若い私達には刺激が強いらしい。日没直後に私達は野営地に帰還した。
野営地の夜はいつまでもうるさかった。街の若者が男子は親衛隊、女子は騎士団員めあてにやってくるからだ。ネリスはマルスが横にいるのに、
「若いもんはええのう」
などと言っていた。
祭りの二日目も、最初は港だった。昨日は一番古い船でお祈りし、今日は建造中の船だ。一番新しい船になるときもあるという。船主のフーゴーさんによると、もう少しで進水だという。
「なんとか収穫祭に間に合わせたかったんですが、かえってよかったです」
「それはまたなぜでしょう?」
「進水式後では、つけた船の名前は変えられませんから」
「お名前を変えるのですか?」
「ええ、『龍使いの聖女号』にしたいのですが、どうでしょう?」
「は、はあ、光栄ですわ」
当惑した。何を話せばよいか一瞬わからなくなったが、もともとお考えだった名前を聞くのは野暮だろう。それはともかく、この船の寿命が来るまで安全な航海ができるようお祈りした。
「聖女様、次にラーボエにいらしたときは、この船でとった魚を食べてもらいますから」
「ええ、楽しみにしていますわ」
きっと美味しい魚を食べさせてくれるだろう。
新造船でのお祈りを終え、今日は教会に直行し休憩させてもらう。屋台の買い食いは楽しいのだが、お店の人がなかなか代金を受け取ってくれない。私一人で食べるのは気が引けるので人数分買おうとすると、お店は大損害になってしまう。だから昨日の記憶をたよりに、マルスを使いっ走りに出した。ネリスにも同行してもらう。
教会の祭壇でお祈りをし、日頃信者たちがすわる椅子に腰掛けて休憩していると、おばあさんが2人、私と同じく休憩のためかやってきた。最初は少し遠いところに座っていてなにごとごとかコソコソと喋っていたのだが、やがて二人は席を移って私の横に座った。
私に近いほうのおばあさんが話し始めた。
[聖女様、私には6歳の孫がいるんじゃが、お転婆での、こないだ塀から飛び降りて足をおってしまったんじゃ」
「あらたいへん。お医者様には」
「診てもらってしばらく寝ていたんじゃが、足の傷が腫れてきて今動けないんじゃ。聖女様、診てやってくれんかの」
「もしかして足を折った際、傷ができませんでしたか」
「はい、骨が見えてました」
この話からすると開放骨折で、傷口からの感染症の可能性が高い。
「お医者様は」
「飲み薬をくれているんじゃが、なかなか効かんで」
話を聞いて、マルスのときと状況が似ている。傷の正しい対処法は、傷が開いているうちに直接ポーションをかけ、傷口を洗ってしまうことだ。ただ残念ながらこの世界、まだまだ感染症に対する知識が不足しているし、ポーションは高い。
「お孫さんのところまで案内していただけますか?」
私がそう申し出たところで、フローラが止めた。
「聖女様、ネリスとマルスを待とう。マルスのときと状況がにてるから、看病の仕方とかネリスのほうが詳しい」
「そうか、じゃ、その方向で行こう」
「それじゃ聖女様は、おばあさんの話し相手をしていて。私は親衛隊へ説明する。ケネス、そのお医者さんを探して」