第59話 変身
王都に呼び出された私は、私とステファンの近況、そして新星についての報告が主たる目的だと思っていた。しかし実際はそれは口実で、ミハエル殿下とヴェローニカ様の成婚発表がメインイベントだった。
新星の出現と、ミハエル殿下とヴェローニカ様のご婚約を結びつけるのは、とてもいいアイデアだったと思う。それを嬉しく思う私は盛大に祝福をぶちかましてしまい、少々疲れていた。
それを見て取ったステファンは、私を小部屋に案内して休憩させてくれた。
心は喜びに溢れているのだけれど体力は限界に近く、私はソファにぐったりとしていた。
「アン、姿勢は気にしなくていいから、楽にして」
例によってステファンは優しい。しかも疲れてだらしない姿をさらしている私に配慮して、室内には私とステファン、それにネリーだけであり、外からの連絡はほぼ全てネリーがはねつけているように見える。
「奥様、夕食の前ではありますが、すこし何か摂られたほうがよいかと思います」
そう言ってネリーが持ってきたのはミルクティーと砂糖菓子だった。
私は日頃砂糖菓子をあまり食べない。理屈でなく単に好みだ。そんな私にネリーが敢えて持ってきた理由は明快だ。夕食の場は聖女にとっては仕事の場の一つであるから、短期に脳にエネルギーを与える糖分を摂取するには、砂糖菓子が最適だ。そしてかなり甘い砂糖菓子に、濃く淹れたミルクティーはとても良く合う。
「とってもおいしいわ、ネリー」
「それはよかったです、奥様」
奥様を連発するネリーは私を労いつつ、そろそろ次の準備をしろと言いたいようだ。
「お茶をいただいたら、服装の乱れを直したいのですが」
ネリーの示唆を理解したことを表明するため私はそう言った。するとネリーは意外なことを言った。
「奥様、陛下との夕食は、私的な夕食会とお聞きしております。したがいましてお召し物は聖女様の略装でないほうが適切かと」
私としては略装が着慣れているし着替えなくても良いのでいいのだけれど、ネリーの意見に逆らえば私への呼びかけが「聖女様」にもどるのは明らかで、素直に従うことにする。
「では、お願いいたしますわ」
言葉遣いもなるべく淑女らしく選んだ。
「では準備致します、奥様」
合格らしい。ネリーはすっと部屋を出ていった。
ややあってネリーは、手に紫のドレスを下げ戻ってきた。出発前にネリーに用意されたものだ。
「着替え、手伝っていただけますかしら」
ネリーは「はい」と答え、ステファンの方に向いた。
「殿下、大変申し上げにくいのですが、奥様はこれからお着替えになります。しばらくお外でお待ちいただけないでしょうか」
もっともである。前世ならなにもかも修二くんの前にさらしてしまった私でも、こちらではまだ未婚のもうすぐ16歳になる乙女?だ。着替えを見られるのは恥ずかしいし、きれいになった私の姿でステファンを驚かせたい気持ちもある。
ステファンは「ああごめん」と言って、あわてて出ていった。
下着姿にさせられた私は、いつの間にか用意されていた濡れ手ぬぐいできれいにさせられる。素敵なドレスを着せられ髪も整えられ、薄く化粧もされる。イヤリング、ネックレス、さらには小さなティアラも載せられた。これだけのことをネリーは、流れるようにたった一人でこなしていく。
私はといえば、どんどん美しくされるのを呆然と鏡越しに見続けるだけだった。
最後に靴を履き替える。聖女の略装では、いつも黒の革靴を履いてい。いつもどおりピカピカに磨き上げてある(ネリーは私に磨かせてくれない)のだが、ネリーはドレスに合わせた色の靴を用意していた。ドレスの色よりすこし濃い紫で、足の甲の部分が露出し、小さな宝石がつけてある。ヒールもちょっと高い。
「あれ、入る」
「奥様、お言葉にお気をつけください」
私は足がむくんでいてきつい思いをしないと履けないのではないかと危惧していたのだが、ぴったりのサイズだった。ネリーは何事もなかったかのように笑顔のままでいる。まだぎりぎり合格ライン上にはいるらしい。
「奥様、そろそろお時間です」
ネリーの言葉に、私は我に返った。ネリーは夕食までの時間をめいっぱい使って、私を磨き上げてくれた。そしてネリーはステファンを部屋に入れてくれた。
「アン、きれいだよ」
私の2回の人生で、こんな言葉を聞いたのは数えるほどしかない。いやその回数は0に収束しそうだ。だからちょっと文句を言っておく。
「そんなこと、私何回言ってもらったかな」
「ああ、申し訳ない。いつも思うばかりで口に出てなかった。これからは気をつけるよ」
ああ、ステファンは我が心の王子様である。いや、リアルに王子だった。
「では行こうか」
「はい、あ、ちょっと待って」
変身した私は完璧な淑女たるべく、忘れてはいけないことを言っておく。
「ネリー、ありがとう。あなたのお陰で、今夜は美味しく夕食をいただけるわ」
「行ってらっしゃいませ、奥様」
「行ってまいります」