第57話 離宮の人たち
私が盛大に醜態を晒したあと、離宮の職員でネリーだけはいつもどおり接してくれた。他の職員はと言うと、私に優しくなった。
まず、工房の人たちだ。私は職人さんたちに、私が入っていっても作業をやめてまで私に挨拶する必要ないと伝え、職人さんたちも受け入れてくれていた。だけど今までだったら作業をしていて横目で私を見てそのまま作業していた職人さんたちは、わざわざ手を止め、私のところまで来て挨拶する。
「やあ聖女様、機器に不具合とか改良点とかないですか? それとも新しい注文ですか?」
と、こんな感じである。余裕があれば新星についても雑談する。
そして最近は、工房でよく私がいるあたりに花が活けてある。「これは」と尋ねると装飾のモチーフにするのだと言う。そして私が工房の作業を見ていると、ヤニックさんが私の方を見てスケッチしている。構図としては私の横顔の後ろに花があるようになる。
「肖像画など、お願いしておりませんが」
と嫌味っぽく言ったら、
「肖像画、いいですね」
と返された。
甚だしいのは料理長のヨアヒムさんだ。ヨアヒムさんには私の好き嫌いを直すため、嫌いなものでも私に出すようお願いしていた。それをヨアヒムさんは無視とまでは言わないが、大幅に考慮するようになった。
たとえば昨日の夕食である。
メインディッシュは川魚の焼き物だった。もともとは日本人である私の仲間たちは大いに喜んだ。しかし私にはその川魚は小皿にほんの二口ほど、メインディッシュはヘレンにでも教わったのかハンバーグである。食後のスイーツも、なんか私のだけ大きい気がする。
今までは神童とか、わずか十四才で聖女に就任し戦争にも勝利をもたらす大聖女とか、そういう印象だったようだ。それが怪我の功名というかなんというか、私のポンコツな実情をわかってもらえたようだ。みんな近所のおじさんおばさん、お兄さんお姉さんという雰囲気になってきた。職務上の笑顔でなく、親身な笑顔をむけてくれるようになった。もうここにステファンと二人で暮らしたい気持ちになりそうだ。
そして私はネリーが私の振る舞いに満足しているときと不満なときがわかるようになった。
例えばである。早朝目が覚めてしまって、景色を見ようとベランダに出たとする。するとベランダに置かれた椅子は朝露に濡れている。
ここで私が隠し持った布で露をふきとり席に座ると、すっとネリーがやってくる。
「聖女様、そのようなこと、私共にお命じくださいませ」
意訳すれば、メイドたちの仕事を奪うな、ということだ。
もし私が濡れた椅子を無視し、というより椅子に注意など向けなかったかのように素通りし(首を椅子の方へわずかでも向けてはいけない)、ベランダの椅子から遠い場所にすっと行って、さも最初っからこっちの方に興味があったのだというように突っ立っていたとする。するとネリーはこう言うだろう。
「奥様、椅子をお持ちしましょうか。それともあちらの景色のほうがお気に召すかもしれません」
となる。つまりネリーは、私の行動が不合格なら「聖女様」、合格なら「奥様」と呼びかけてくる。もちろん近くにごくごく親しい人以外の人がいるときはいつでも「聖女様」に統一される。ただ、これを意図してやっているのか無意識なのか、それがわからない。
そして国王陛下からお手紙が来た。お手紙で陛下は収穫祭巡りを離宮から出発することをお許しになり、そのかわりすぐに王都に一旦戻れと指示された。私の口から新星についての報告が欲しいらしい。聖女自ら新星が単なる自然現象であることを臣民に示せとの仰せだ。それはそれで理解できる。
ステファンも陛下からお手紙を受取り、それを手にしたまま私のところに来て言った。
「アン、どうする? いつ発つ?」
「うん、明日朝イチがいいと思う」
「じゃあすぐ支度しなきゃね」
荷物をつくろうと寝室に戻ると、すでにネリーがクローゼットを開け、私が着る服を選べるよう準備を始めていた。その中に、初めて見るドレスがあった。薄い紫色のドレスである。
そもそもドレスなど、1年ほど着ていない。女学校の行事で会食があるときに着ただけだ。卒業してすぐに聖女になってしまったため、公務で盛装すべきときも聖女のもので大丈夫だった。平民出身だから家が主催するパーティーなどあるわけがないし、婚活パーティー的なのも年齢的に早い。まあ私にはステファンがいるから、そんなもの一生出る気はないが。
ここで余計な想像をしてしまった。元の世界で修二くんと出会っていなかったら、ポスドクが終わる頃から親にせっつかれて婚活パーティーに繰り返し出撃するはめになっていたにちがいない。そしてその都度美味しい料理とお酒だけを堪能し、酔にまかせて物理の話をぶちかましていたにちがいない。
そう思うと多少の問題はあるにせよ、あっちでもこっちでも、私はとっても幸せだと思う。
「何をお考えですか?」
ネリーの質問に、私は我に返った。
「あの、ドレスなんて、着る機会があるでしょうか?」
「はい、間違いなくあると存じます。なんでしたら、私、職を賭してもかまいませんよ」
「それ、冗談になりませんから。ではこの紫のドレスにちょうどよいアクセサリーも選んでいただけますか」
「はい、こちらなんてどうでしょう?」
私はふと思いついて言った。
「ネリー、大変申し訳無いのですが、王都についてきていただけないかしら」
「奥様のお言葉に逆らえる権利などありませんが、私などでよろしいのでしょうか」
「ええ、ぜひ」
「わかりました」
「たすかります。私、騎士団暮らしが長くて、おしゃれなどどうすればよいかわかりませんので」
「お任せください」
部屋にはフローラも来ていて口を挟んできた。
「ネリーさん、信じてはいけません。聖女様は騎士団にいかなくても、おしゃれに興味なんかありませんから」
「うるさい!」