第23話 ヘルムスベルク入り
私は今、ヘルムスベルクへ向かう馬車の中にいる。ヘルムスベルクは春の終わりに行ったきりで、3ヶ月ぶり近い。だから私は窓の外に広がる景色をよく見るつもりだった。だったのだがあまり見れていなかった。
「聖女様、日差しが暑い。シェード下げてくれないかな?」
ヘレンである。今日は盛夏のような暑さで、私も暑くて熱くて、窓の外をあまり観察できていなかった。熱くてというのは漢字の間違いではない。窓枠などに使われている金属部品に触れると火傷しそうなくらい熱い。
「はーい」
と言ってシェードを下げる。すると今度は風の入り具合が悪くなり、蒸し暑くなってくる。シェードを上げていると日差しが厳しく、下げると熱がこもる。ときどきフローラが氷魔法で氷を作ってくれるが、それもすぐに溶けてしまう。
「フローラ、またお願い」
と頼んでみたら、
「あのさ、氷魔法使うと、私体温上がるっぽいんだよね」
と言って断られた。これは聞き捨てならない。
「フローラ、それって魔法の世界でも、エネルギー保存則が成り立つってこと?」
「はあ?」
私は説明した。氷を作るために水の温度を下げるということは、水のもつ熱エネルギーを奪うということである。エネルギー保存則がこの世界でも成り立つのであれば、水から奪われた熱は消えてしまうことはない。フローラの氷魔法の場合、その熱の行き先はフローラ自身になり、体温が上がっていることになる。
「それだとさ、涼しくなるためにフローラが熱中症になっちゃうよ」
それを聞いたヘレンが言ってはならないことを言ってしまった。
「うーん、エアコンが欲しい」
まずい。この世界に無いものを欲しがっても虚しいだけだ。これはなんとか話題をそらさないと……
「そういえばさ、私、院試大岡山も受けたじゃん、そのときエアコンの熱効率計算する問題出たんだよ。一回目計算ミスって熱効率100%超えちゃってさ……」
私は話題の選択を間違えたことを、みんなの視線で悟った。
「うーむ暑いの。汗でびしょびしょじゃ。こんなのマルスに見せたら鼻血が出てしまうぞ」
今回のヘルムスベルク行きは、男子のうちケネスとマルスが同行している。詰めれば馬車一台に6人乗れるが、暑苦しいのが予期されたため別に馬車を仕立てた。さらに男女を混合する手もあったが、それはフローラとネリスが遠慮した。
いずれにせよ男女を混ぜると、汗ばんだ女子たちの色気で間違いが起きそうである。
なおフィリップは王都に残り、ステファンと連絡を取りながら政治活動にいそしんでもらうことになっている。
日がかなり斜めになってきたころ、ようやくヘルムスラントが近づいてきたことがわかった。なぜ近づいたのがわかったかと言うと、休耕地が目立ってきたからである。働き手が戦死したとか、住んでいた家が焼き払われてしまったとかで離農したのだろう。詳しいことは領主のメルヒオール様に聞いてみる必要がある。
北国の夏の日は長いのでまだ明るいのだがもうお腹が強烈にすく頃、やっとヘルムスベルクに到着した。街中は飲食店しかやっていないけれど、どの店もそれなりに繁盛しているように見える。春に私達がヘルムスブルクを離れたときは戦争直後であったから、営業している店も少なかった。農地はまだまだだが、商業のほうは着実に復興しつつある。そういう市街地を抜け領主の館に入る。
到着すると、なんと領主のメルヒオール様が直々に出迎えてくれた。跪きそうになるのをあわてて止める。
「聖女様、お越しいただきありがとうございます」
「大事なときにヘルムスベルクを離れ、申し訳ありません」
春の攻勢を撃退し停戦に至ったとき、私は王都に呼び出され、そのままヘルムスベルクに帰れなかったのだ。長期にわたり王都での仕事を放置しジャンヌ様に丸投げしていたのがいけなかった。
いや、ジャンヌ様がいけないわけではない。ジャンヌ様はベストを尽くしてくれていたと思うのだが、女学校や騎士団での授業などはどうにもならない。特に騎士団での算術の授業は将来の国防に直結するので、本来のスケジュールの3倍のペースで行っていた。毎日どこかしらで授業をしていた。
「いやいや、聖女様にはいつもヘルムスベルクにお心遣いいただいていること、承知しております」
王都にいるときはヘルムスベルクからの陳情など、なるべく汲むよう各所に働きかけていたのは事実だがそれがどれくらい実行されていたのかはよくわからなかった。
「明日からは実情をこの目で見させていただき、私でできることはやっていこうと思っております」
「ありがとうございます」
「もう時間も遅いですから、お食事になさいますか? お疲れでしたらお部屋に運ばせますが」
そうしたい気もするが、実直なメルヒオール様のことだ。夕食をとらず私たちを待っていたに違いない。
「メルヒオール様は夕食はもうおとりになりましたか?」
「いえ」
「そうでしたら、ご一緒できないでしょうか。ただ、時間が遅いのと私たちも疲れておりますので、このままの格好で食事させていただけると楽なのですが」
領主のメルヒオール様は共に戦った日々を過ごしていたから気心も知れ、無駄にゴテゴテした挨拶も必要ないのは助かる。その気やすさで失礼ではあるが旅装のままで食事にし、ついでに最近のこちらの実情など聞いておきたかったのだ。
「ええもちろん、ではこちらへ」
メルヒオール様は自ら先に立って案内してくれた。
懐かしい気持ちで廊下を歩いていると、そでを引っ張られた。見るとヘレンである。
「あんたさ、着替え省略して時間の無駄を省いたんでしょうけど、レギーナとかウィルマに怒られても知らないからね」
レギーナは「聖女様の副官」を自認するだけあって私のガサツさに厳しい。ウィルマは第三騎士団のメイドで先日騎士団を退職したユリアの同僚だ。昔からいろいろと世話を焼いてくれている。小さい頃からのつきあいだから、言いたいことは遠慮せず言ってくる。二人ともお小言は私のために言ってくれるのは重々承知しているので、黙って怒られているしかない。
「はいはい、私がちゃんと怒られとくから、心配しないで」
「ほんとにわかってんのかね、この人は」
いくら小声で話していてもすぐ前を歩くメルヒオール様には丸聞こえだったのだろう、くるっと振り返ってニヤッと笑った。この感じだと怒られること確定なようだ。