第123話 最後の墓参
北国ノルトラントにも春が来た。聖女庁の開庁、女子大2期生の選考が近づき、とても忙しい日が続く。ときたま仕事の手を休めて窓の外を見て、やわらかな緑がこれからの充実した季節を予言しているように感じる。ステファンとの結婚式についても国中に告知された。
ひとつほっとするのは、先の戦争での戦死者の墓参をやっと今日終えることができることだ。国防に身を捧げた人への感謝を忘れることはないが、やはり一区切りつくという気がした。
最後の墓参の地は南部国境近くの村であった。朝早くに王都を発った私達は予定通り昼前には到着できた。この村は幸運にもヴァルトラントの侵攻経路にはあたらなかった。そこはゆったりとした穀倉地帯であり、南に国境の森が見える。北に目を転じるとまだ白い山々が遠望される。
この村にも小さい礼拝堂があり、その前は広場になっている。小さい村だからあまり大人数で押しかけるわけにはいかないのだが、国王陛下がステファンの同行を強く希望された。最後の最後までまたせてしまったから、というのがその理由である。最後の墓参に王の名代として第二王子を遣わせ、少しでもご遺族の慰めとしたいとおっしゃった。一つの馬車に同乗した私とステファンはその広場に降り立った。春特有の、すこし熱を含んだ風が髪を乱れさせる。仲間たちは護衛ということで騎士のいでたち、騎乗のままである。
「聖女様、ステファン殿下、よくぞお越しいただきました」
村長さんがひれ伏さんばかりに私達を迎えた。
「大変遅くなってしまい、申し訳ありません。さっそくですがお墓にお参りさせていただきたいのですが」
村長さんが自ら先導してくれた。
墓参の対象は名前がディルク、ベテランの下士官であった。彼は輸送部隊の護衛中に敵遊撃部隊に襲われてしまった。軍隊というものを現場で実質的に動かしているのは下士官である。そのベテランが亡くなってしまったというのはその戦闘が激しかったことだけでなく、その後の部隊運用にも悪影響が長引くことになる。こちらに赴く前にディルクの戦友たちの話を聞いたが、うまく上官と部下たちの間をとりもち、明るい部隊になっていたとのことだ。結局その戦闘後、損害の激しかった彼の所属していた小隊は解散となってしまった。
小さな村は家屋が疎らにあり、故郷のベルムバッハに少し似ている。木々は芽吹き、水音を響かせる小川のほとりの草は早くもけっこう伸びている。小鳥の鳴き声がのどかに響き、動物たちの暮らしに人の生死は関係ないことが実感される。見たところ畑も放置されること無く今年の農耕が始まっている。
村の外れに建てられた墓標の向こうには北の山が見える。跪いた私の頭越しに、ディルクの霊は国境の森を睨みつけているのだろうか。霊に力があれば、間違いなく国境の守りについていてくれるだろう。
ステファンと並んで祈りを捧げていると、足音が近づいてくるのがわかった。
「あんたが、例の聖女様か」
声をかけてきたのは高齢の女性、ディルクのお母様らしい。適切な悔みの言葉など全く思いつかず、
「たいへん遅くなってしまい、申し訳ありません」
としか言えなかった。
「今更来てもらったって、ディルクが帰ってくるわけではないさ」
そのお母様の横には四十代に見える女性が立って、心配そうにお母様の腕を引っ張っている。ディルクの配偶者のようだ。
「せめて、みなさまをお慰めさせていただこうと……」
「だからそんなもんいらんよ。それよりあんた、結婚するんだろ。早くいい子を産んでおくれよ。私が望むのはそれだけさ」
そう言い捨てて、ディルクのお母様は足を引きずりながら去っていった。
涙をこらえて今一度ディルクの墓標の前に跪く。
お母様のおっしゃるとおり、私が今頃来たところでなんにもならない。それならば未来を向いて、ステファンと新しい家庭を築いていくことこそ、この国を守るために命を賭けた人たちへの感謝なのではないだろうか。
ディルクの未亡人が、彼の人となりを教えてくれた。奥さんはディルクの幼馴染だそうだ。農村で生まれ育ったディルクは「俺には農業は合わない」と言って村を出たという。その割には畑作業をさぼったことなど無く、家畜の世話も丁寧にしていたそうだ。
「あの人は農業をしながら、いつも森の向こうを気にしていました。この土地が好きだから大事だから、兵になったようです」
戦いを求めて兵になるものもいる。貧困から逃れるために兵になるものもいる。しかしディルクのように国防を志向して兵になるものもまた多い。
村に戻り、帰還のため馬車に乗り込む。村長さんが先程のやりとりについてしきりに謝ってくる。私は気にしていないというより、むしろ力をいただいて感謝していると繰り返し説明した。
席に座り、窓の外をみると、すぐ下に先程のお母様がいた。
「幸せになんなよ、それだけは約束しておくれ」
「はい、必ず幸せになります。ありがとうございます」
「殿下、聖女様を大事にしないと、わたしゃ反乱を起こすよ」
「はい、肝に銘じます」
こうして私の最後の墓参は終わった。