第112話 ワイヤー
質問タイムを設けることで、単純に学生たちの勉強の助けになったとかヘレンの機嫌が良くなったとか以外にも大きな効果があった。あたり前のことだが、学生たちの顔がよく見えるようになったことである。たとえばである。新入生最高齢のサビーネは、二人の子持ちである。サビーネ自身は大工さんの奥さん、子ども二人はすでに大工見習いとして住み込みで働いているそうだ。もともと神様を(私なんかよりもっと)身近に感じていて、人としていかに生きていくべきか神とか宗教を通して学び直したいとのことだ。
「卒業したら、どのようにされるおつもりですか?」
「ええ、故郷の教会のお手伝いでもさせてもらえたらと考えています」
「それにしても、よく決心されましたね」
「ええ、旦那が後押ししてくれましてね。実は私、もとは貴族だったんです。実家の修繕に出入りしてた旦那に惚れちゃいまして、勘当されちゃいました」
豪快に半生を笑い飛ばすサビーネさんは、むしろこちらが色々と教わりたい人だった。
入寮当初子どもが泣いてまわりに迷惑をかけてしまったオリビアは理学部に所属している。小さい頃から自然現象に興味があったそうだ。地方の裕福な家庭で育ち、そのお金で地元の女学校を卒業したあと、すぐに結婚したそうだ。不幸にもご主人は先の戦争で亡くなってしまった。戦死の日は、ヘルムスブルク最後の攻防戦の日だ。私が城壁に出て行った日である。あと少しのところで亡くなってしまったのが残念でならない。ご実家が裕福なこと、遺族年金が出ていることで経済的には余裕があるそうだ。ご主人が手紙で私のことをいろいろ書いていたそうで、それが女子大受験の大きな原動力になったと語っていた。連れてきたお子さんは名前がヘルマン、まだ2歳である。子育て経験のあるサビーネさんが、率先して子守をしてくれている。
ヘルマンは人気者だ。教室でオリビアが授業を受けている間は、ネリーが面倒を見ている。学生たちは昼休みとか空きコマにはヘルマンのところにやってくるのが何人もいる。とくにマヌエラという三十代の学生は我が子のように世話をする。だからネリーもあんまり大変でないと言っていた。
マヌエラは法学部に所属している。もともとは宮廷の女官で、本人は合格を機に退官するつもりであったのを、女官長が女官としての籍をのこしたまま女学校の学生をやらせる形にしてくれた。
ヘルマンと一番遊んでやっているのはネリスだ。ヘルマンが正義の味方、ネリスが悪の親玉でよく戦っている。ときどき力加減を間違えて、ネリスがヘルマンを泣かしてしまっているが、ヘルマンはよく遊んでくれるネリスが大好きなようだ。私が冗談でマルスに、
「気をつけないとネリス、ヘルマンに取られちゃうんじゃないの?」
と言うと、
「ははは、それはともかく、あの人子育ての経験でもあるんじゃないすかね?」
と逆に聞かれた。
ヘルマンは私にも懐いている。ネリスが泣かしてしまったときに私がフォローしている。そのたびヘルマンは、
「聖女しゃま~」
と言って私のワンピースのふともものあたりにしがみついてくるので、そのあたりがだんだん汚れてきている。私も早く子どもがほしくなってくる。
忙しく日々を過ごしていたある日、ネリスがニヤニヤしながら私のところにやってきた。手にはなにか包を持っている。
「聖女様、またせたな。お望みのものを持ってきたぞよ」
「え、何? おいしいもの?」
「いや、これは食えんな」
「え、じゃあ何?」
「ふむ」
ネリスが包を私の前におき、開いて見せてくれた。
銅線だった。
「聖女様、ワシはヘルマンと遊んでいるだけではないぞよ」
声を失う私に、ネリスは言った。私は嬉しくてうまいことが言えなかったがなんとかお礼を言うことにした。
「うん、ありがとう。マルスとも遊んでたのよね」
「ハハハ、マルスとは遊んでないで、これから一緒に研究じゃ!」
「じゃ、私も参加する」
「だめじゃ、実験は立入禁止じゃ」
「んもう」
「ハハハ、あと、これだけではないのじゃ」
ネリスは今度はポケットから鈍い輝きの小さな金属塊を出した。
「それは?」
「半田じゃ。多分」
「テストはしたってことね」
「うむ」
「鉛中毒に気をつけてよ」
「そうじゃな」
半田とは、鉛と錫の合金である。二百度くらいで溶け、金属と金属をくっつけるのに使える。これはすでにこの世界にあって、金属加工を行う工房にあったのをもらってきたとのことだ。
「今夜会議をしよう」
ネリスが話を続ける。
「うん」
「これで電磁気関係の研究が始められる。じゃが体制をきちんとつくってやらんと、みんな倒れるまで実験してしまうぞよ」
「そうだね、あと学生にも参加できるようにしない?」
「ならばそれこそ、時間帯とか場所とかきちんとせんとな」
そういうわけで私は、夕食後仲間たちに集まるよう連絡をした。基本的にだいたいメンバーはそろっているのだが、特に男子はそれぞれの仕事の関係でポツポツと抜けることがある。今後の私達に絶対に重要な研究だから、だれかが欠席の状態でなにがしらの決定をすることは避けたかった。