第101話 実験禁止
ネッセタールから待望のものが届いた。純度の高い金属である。この世界にはまだ原子の概念が無く、当然単体(単一の元素だけでできた物質)ということが錬金術師のフーゴーさんに伝わったか心配だった。荷物は大きめの木箱2つと小さい木箱1つ。まずは大きい木箱を一つあける。
紙に包まれたかたまりがいくつも入っている。包からは金属塊がでてきた。大きいもの、小さいもの、いろいろある。一目で銅とわかる塊はいいとして、そのほかのは皆銀色、にぶく輝いており見分けがつかない。
もう一つの大きい木箱はあけてみるとわらに包まれた瓶がいくつか入っている。フーゴーさんは気を利かせていくつかの薬品類を送ってくれた。
小さい木箱をあけてみると、やはりわらに包まれた小瓶が入っていた。それは水銀だった。
私は、自分が薬品に手をだすのは危ないのはわかりきっていたので、金属塊をさわったりもちあげたりして何の金属なのか想像していた。
するとツカツカとフローラが寄ってきた。
「聖女様、もういいでしょ。あんまり触るとコンタミが怖い」
コンタミとは、コンタミネーション、汚染である。ひどい言い草である。続いてヘレンも、
「うん、貴重なサンプルは聖女様から離しておこう」
などと言って、せっかく届いたばかりの荷物をしまい始めた。ネリスも手際よく片付けを手伝い始めた。
男子はと視線をやると、ステファンとマルスは上とか横とかに視線をそらす。ケネスは片付けを手伝い、フィリップは目を輝かせている。そのフィリップをヘレンが蹴っ飛ばし、強制的に一番重い箱を持たせた。
フローラを先頭に荷物を持ち出そうとしている。
「どこに持ってくの?」
と聞いたら、
「教えてあげない」
と返された。
あまりのことにムカついたが、しかたないので化学出身のケネスに聞いてみる。
「どれがどの元素なのか、見分ける方法、わかる?」
ケネスは腕を組んで考え始めた。
「うーん、すべて単体だとして、比重をはかるとか?」
苦悶の表情からやっとでた答えがこれであった。
「あと、磁石につけば、鉄か」
と言うので、
「ニッケルやコバルトも単体で強磁性だよ」
と注意しておく。あれやこれやと相談しているうちに、荷物を持っていった3人が帰ってきた。
「物質の判定、なかなかむずかしそうだよ」
と言うとフィリップは、
「ケネスがそう言うんじゃしょうがないか、番号でもつけとくか」
ということになり、明確にわかる銅と水銀をのぞいて、あとは「金属1」とか「金属2」と呼ぶことにした。
「薬品類はどうする?」
とケネスに聞くと、
「明日、外に持ち出して調べてみるよ。少し金属、使うことになると思う」
と言う。
「それはいいけど、なぜ外?」
「うん、ガスが怖い」
なるほど、未知の薬品と未知の金属、どんな反応が起き、どんな物質ができるかわからない。屋内だと危険なのは理解できた。
「ケネス、それで欲しいものある?」
「ああ、すぐ明日でなくていいけど、ガラス管がほしいな」
化学の実験では、液体や気体を扱うのにガラス管をよく使う。それをケネスが欲しがっているのだ。
「それは探してみるけど、なにもかもケネス頼みで大変そうね」
「そうだけど、まあそれは仕方ないよ。俺以外みんな物理屋だもんな」
するとヘレンが手を挙げた。
「私、ガラス細工できるけど」
そうだった。のぞみはガラス管に試料の原料を封入し、そこから単結晶をつくるのをよくやっていた。
「じゃあヘレン、そっちはよろしく」
「わかた」
「聖女様、ちょっとよいか」
ネリスが聞いてきた。
「あの銅じゃがな、さっそくワイヤーをつくってみたいのじゃ」
「それは助かる」
「工房の人に手伝ってもらうことになると思う。マルスも連れて行ってよいか?」
「うん、いいんじゃない」
「僕、なにしようかな」
とステファンが言ったら、めずらしく厳しい顔でフィリップが言った。
「ステファン、悪いけど大事な体だ。実験のとくに初期段階ではどんなトラブルがおこるかわからない。だからここはがまんして、聖女様と一緒に全体のコーディネートとか理論面のことをやってほしい」
「そっか、わかった」
少し寂しそうではあった。
夕食後、団長室でステファンとふたりきりになった。
「アン、申し訳ない、君の気持ち、わかっているようでわかっていなかった」
「なんのこと?」
「実験」
「ああ、とめられちゃったね」
「実験できないなんて、こんなにつらいんだね」
私は大学3年の終わり、実験への道を閉ざされ、物理も大学もやめてしまおうかと思ったときを思い出した。あのとき私は、完全に人生どうでもいいと思っていた。危うく線路に落ちてしまうところを、ホームドアに助けられた。そして先生方や仲間たちに励まされ、なんとか立ち直ることができた。
そう思うと、私にいまできることはステファンに寄り添うことしかない。
「フィリップが言ってたでしょ、初期段階ではって。だからそのうち実験できるよ」
「うん、そうなんだけどね、僕はアンの苦しみが、本当にはわかっていなかったって、そのことがつらい」
「それを言うならステファン、あなたが自由に行動できなかった期間、わたしは好き勝手に飛び回ってた。もちろんステファンのこと考えない日はなかったけど、ほんとうの意味で王室の中でつらかったステファンの気持ちはわからないもん」
「そっか、あんまり気にしてもしかたないか」
「そうだよ、できることをして、今を楽しみましょう」
「うん、ありがとう」
しばらくステファンに寄りかかっていい感じを堪能していた。しかし何かの気配を感じ目を開くと、視界の端をネリスが抜き足差し足動いている。
「いや、ちょっと忘れ物があってな、決して夫婦の会話など、盗み聞きしておらんぞ」
「わかってるよ。だけど私達さ、かならず護衛の人がいるからさ、完全に二人っきりなんてもう、ありえないんだよ」
「そうか、二人も大変じゃな」
「ううん、慣れた。気にしてない」
「そ、そうか、ではワシは失礼する」
ダッシュで逃げていった。
「そういえばこっちへ来てから、アンのダッシュ見てないな」
「なんのこと?」
「昔プレゼントくれると、かならずダッシュで逃げてたじゃん。そのたびにアン大好きになったよ」
「んもう」
ちょっとステファンをつねっておいた。