第2話 1日目の夜③
僕はベッドの脇、愛依は仰向けに寝て、一緒に夕食の様子を思い出していた。まあごちそうだったし、楽しかったんだけどね。愛依が気疲れしてないか、ちょっと心配だったんだよ。
「ね。あれだけの人数だと訳わかんなくなるよね。全員完全に揃うのって正月とかだけだし」
「そう? べびたんが一覧表作ってくれたからわかるよ。でも逆に注意しなきゃ」
「え? 何で」
「だって内容が。わたしが知っていい情報じゃない事も入ってて。『すーちんは愛依との婚前同居を知ったら半泣きで掴みかかってきた。それからしばらくは口きいてくれなかった』とか、絶対本人に言えない」
「あ~、ごめんつい」
「ぜったい地雷」
「すーちんってさあ。昔から『はーくんは私が育てる。将来は~』とか言ってたからなあ」
「仲良かったのね」
「同母妹ふたりより兄弟っぽかったかも。小っちゃい頃はいつも一緒だったなあ。よく後ろからハグしてきた。小っちゃい頃だよ?」
「‥‥‥‥‥‥」
「どした。愛依‥‥お腹痛い?」
「‥‥‥‥‥‥うん。ごめんね。話してたら紛れるかと思ったんだけど、まだ」
愛依がへその下辺りを押さえだした。眉を曇らせて苦しそうだ。あ、思い出した。確かラポルトの時!
「愛依、僕もベッドに入っていいかな? 婚前同居ルールに触れるかな?」
「そのくらいなら‥‥どうかなあ?」
「じゃあ、まあ」
僕は愛依の右側に入って左腕を真横に伸ばす。腕まくらの姿勢だよ。
「‥‥‥‥‥‥おいで」
「‥‥はいっ」
僕の意図を察した愛依が、もぞもぞ動いて左腕に頭を乗せた。その目を輝かせながら。
僕は無言で、彼女のお腹の上の愛依の両手、そのさらに上から「右手」をかぶせる。――と、その両手が動いて抱え込むように、僕の手を包んだ。直に触れる事になった愛依のお腹は、少しひんやりしていた。
「は~~~っ。あったか~~い」
目を閉じて肺の奥から息を吐く。
「やっぱりべびたんの手はあったかいな~~」
ラポルトでも愛依のお腹あっためたのを思い出したんだ。何回目の医務室の時だっけ? 数えて無いしわからないけど、確か小指だけ服の内側に入って、ひそかに固まった記憶が‥‥‥‥。
「うふふっ。腕まくらなんて久しぶりだねえ」
良かった。僕を見ながら目をキラキラさせて、愛依が元気になったみたいだ。お腹あっためると痛みが紛れるんだっけ。医学的な原理とかは知らないけど。
「‥‥‥‥さっき途中で終わった、婚前同居のルールなんだけど」
愛依が天井見ながら、ポツリと話し始めた。
「将来の結婚を前提とした、疑似的な夫婦関係。わたしに個室が与えられ、今こうしてあなたとベッドを共にしている‥‥‥‥。つまり、そういう事なんだよね」
‥‥‥‥‥‥今「あなた」って呼ばれた。ぞくっとした。
愛依は顔だけを僕に向けて。まっすぐな瞳だ。
「わたしは、『そういう事』も当然考えてるよ。受け入れてるよ。婚前同居だもん。‥‥そうなったら、女医になる道すじはリスケするけど」
「う、うん」
すごい後悔した。愛依に先にこれを言われた事、いや、言わせてしまった事。
「大丈夫だよ。医師になりたい愛依の気持ちはわかってるし」
と、答えたのは紛れもなく僕の本心だ。――けど、正直24時間正気を保っているかどうかは自分でも、やってみないとわからない。
愛依は、毎度おなじみ、風呂上がりはあの防御力の低いキャミソール着てるし、9月はまだ暑い。このカッコのまま離れで毎日、一緒に勉強する事になる。
中3の時、高校受験で週イチでのこの試練に打ち勝ち、キャミ姿の愛依を見ても大丈夫なくらいには自分をコントロールできる自我を獲得した。煩悩の制御。たぶん今の僕はお寺とかに行ったら、住職の人にめっちゃ褒められる自身がある。
でもどうだろう? 正式に婚前同居っていう「YOU、夫婦みたいな事しちゃいなよ?」的なガバガバルールのイベントが始まり、さらにベッドも常備されてしまった一軒家で僕は‥‥?
季節はまだ9月初旬。風呂上がりで薄衣を纏う愛依に、果して正気を保てるのだろうか?
「は~~っ。ありがとうね。べびたん。おなかがじんわりして気持ちいいよ。生理痛もだいぶ紛れたし」
「そう? それは良かった」
一応気を使って、気付かないフリだけはしてたんだけどな。まあいいや。そのまま流そう。
「あ~あ。わたしっていつもこう。記念の日なのに」
「しょうがないよ。コレが無かったら赤ちゃん生まれてこないし、普通に人類滅びるんだから、大切な能力だよ」
「う~んまあ、それはそうなんだけど」
「じゃあさ、愛依がお腹痛くなったら毎回こうする? せめて」
「お願いします! やった!」
愛依は足をバタバタさせて喜んだ、んだけど。同時にあらためて疑問が。
「そんな毎回いいのかな? こうしてべびたんと一緒にベッドに居るのって、婚前同居的にアウトなのかなあ。やっぱり」
「正直本当はアウトな気がする‥‥。だってまだ高校生だし」
「‥‥でもルールで禁止なんてひと言もうたってないんだよね。わたしは『赤ちゃんができたのならそれはそれで』って意図をすごく感じる」
「そうかもだけどさ~。口にしちゃダメな気がする。‥‥あのさ。中央でできた友達が先輩紹介してくれるんだ。一コ上と2コ上の先輩、両方「婚前同居」のカップル」
愛依の顔がぱあっ! と晴れた。
「あ、すごいね。それじゃあ」
「うん。大人に訊けない、大人が建前上答えてくれない事訊いちゃえるよ?」
「‥‥助かる‥‥。東校ではまだ誰にも相談できてなくて。そういうカップルからじゃないと『実際どうしてる?』ってわかんないもんね」
「向こうから声かけて来てくれたんだよ。たぶん悩んでんだろうから、って」
「わたしも同席していい?」
「もちろん。ってか女子同士の情報交換がメインだってさ」
一瞬顔を掻こうとした。僕の左腕は愛依の頭が乗っていて、右手はホールドされたままそのお腹を温め中だ。少し考えて、愛依の両手に包まれた右手を引き抜こうとしたんだけど。
ぎゅっ。
とっさに反応した両手でその動きは阻止されて。逆に僕の手のひらは、愛依の下腹部に強く押し込まれた。
「手、引っ込めたい」
「まだダメ‥‥」
「頭ポリポリさせてよ! またちゃんとあっためるから」
愛依は「それなら」と首肯してようやく放してくれた。
「ね? 婚前同居ルールで、『どこまでがセーフ』、『どこまでがアウト』か考えながら行動しよっか?」
「いいけど。じゃあ僕がベッドに入るのは? この『おなか暖める』はセーフ?」
ちょっと悪戯っ子っぽい表情になってる。う~ん、と顎に手を当てて、でも意外と堂々と答えてきた。
「セーフとしましょうか? だってこれは『れっきとした治療行為』だもん」
なんかどっかで聞いたセリフだ。いやさっきまで際どい判定だったけど?
「‥‥そうねえ。今みたいにちゃんとキャミとショーパンの上であっためてくれてるから。‥‥‥‥もし服の中に手を入れて直肌だったら、アウトとします」
「‥‥‥‥‥‥」
「ん? どしたのべびたん? ‥‥‥‥‥‥おなかでも痛い?」
‥‥‥‥いやちょっと待って。お坊さんに褒められるくらい自信つけた「悟り」だけど。
天然め。
こんな会話をしながらスキンシップするのって、逆にヤバくない?
婚前同居開始。その1日目の夜。
早くも僕の煩悩が、その自信が揺らぎ始めていた。