第13話 その名はアントルメⅢ②
「今日は何時までココに居てくれるの?」
「え? 何その質問? ‥‥まあ勉強するとして、23時くらいまではオッケーかな」
べびたん特製お誕生日ケーキを食べたわたしは。
どうしてもどうしても、べびたんと離れたくなくなってしまっていて。
「ちょっと寒いかも」
「じゃ、暖房入れようか?」
空調のリモコンを手に取った彼を、わたしが止める。
「ね? おふとん入りたいな。秋も深まってきてるし、人肌のほうがあったかいよ」
「べ、別にいいけどそれ、『寒いから』が理由には‥‥?」
「え? 入ろ。早く早く」
わたしはべびたんの背にぽんぽんと軽く触れて、追い立てるようにベッドへと誘う。
「じゃ」
彼は少し顔を背けながら、腕まくらの姿勢になってくれた。
「うふふふ」――――おへその奥でイタズラするくすぐったさに身をよじながら。
わたしはベッドに入ろうとして、伸ばした手をピタリと止めた。
制服姿だった。
「ちょっと待って。着替える」
「今? ここで?」
「うん‥‥‥‥そのつもりだけど」
タンスから、もこもこショートパンツを取り出すと、部屋の隅、べびたんから死角になる場所で、ぱぱぱっっと着替え始める。
「こっち見ないでね?」
「見ないよ!」
下からもこもこパンツを穿き、スカートを脱ぐ。上は下にキャミ着てるから、セーラー服を脱ぐだけでオッケー。
「どうしたの愛依‥‥‥‥?」
『愛依、気をつけな。血液型の性格判断てな、医学的には否定されてんだが』
戸惑う様子のべびたんの声に、わたしのお師匠様の言葉が頭をよぎる。
「オマエさ。けっこう丸わかりなんだよ。婚前同居が始まってから、ずっとガードが緩いぞ? それO型女子の特徴らしいからな、気をつけろよ?」
なんて小児科長に言われたっけ。あんまり自覚ないけど?
そうなのかな? 小児科長が言うのなら。
そうなのかもしれないけど。
でも、何だか止まれない。
「で~~~~んっ」
セーラー服をハンガーに掛けて、ベッドにダイブした。カサカサと乾いたシーツは、まだひんやりと冷たい。
べびたんの身体にたどり着いて。腕に顔を乗っけて。
いつもみたいに素早く位置決めをして。
そのままぎゅ~~~~っって彼に抱きついた。
「ぉっ!?」
彼は強ばる。驚かせちゃった。
「だって。うれしいんだもん」
「そう?」
「うん。おいしかったんだもん」
「それは良かった‥‥‥‥けど」
「うふふふふ」
もっと抱きつく。もっともっと。
彼も、穏やかな笑みで抱き返してくれた。男の力で。
見つめあう。
わたしは、べびたんの顔に首を伸ばした。
「うぉ」
「ふふ。べびたんの上くちびるって、少しだけくすぐったいんだね? どうして?」
「そうかな? あ、ひげかな?」
「うん。ほら。‥‥‥‥指でさわってもわかんないけど、唇で触れるとよくわかるよ? 少しだけ、うぶ毛がこしょこしょしてくすぐったいもん」
「愛依の口はまだ生クリームの香りがするよ。うん。このブランデーの香りは、確かに僕の配合だ」
「やだぁ」
「えっと今のさ‥‥唇が当たったから‥‥その」
「えっとね、今のはちゅーじゃないよ?」
「違うの?」
「たぶん。じゃれたら重なっただけだよ。ちゅーはもっと違うんじゃないかなぁ」
「そっかな~。けっこう今唇が重なった感じだったけど?」
「今のはね。わたしがべびたんの顔にすりすりしたからだよ。ちゅーはね、もっと違う雰囲気よ。だって唇をくっつけるつもりで重ねるんだもん」
「そうなのか‥‥‥‥」
「うん、たぶん。だから婚前同居的にはセーフ!」
「いや『たぶん』て。愛依だって知らないくせに」
わたしは、ただべびたんに甘えたかっただけだった。
けど、彼は少し違った捉えかたをしてたみたい。
「でも愛依、ケーキ食べて喜んでくれるのはうれしいよ。そういうキモチなのはわかったけど。簡単にオトコの顔に自分の顔を近づけたらダメだよ?」
「‥‥‥‥。べびたん以外の人にはぜったいやらないよ?」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥ごめんなさい」
「桜木先生が言うには、『熱心なのはわかるんだが』って」
「‥‥‥‥うん。わたし、いつも小児の患者様とおはなししてるのね」
「うん」
「相手が小っちゃい子だから、その時はものすっごく顔を近づけたり、おでこが当たるくらいでコミュニケーション取るんだけど。その感覚を引きずったまま他の人にご説明をしたりするのね。だから‥‥」
「うん」
「確かに、気がついたら割と顔が近かったりするのね。小児科長からは『50センチ以内はパーソナルスペースなんだぞ?』ってよく釘を刺されるの」
患者様の状況説明や今後の治療の方針、そういうものの説明に集中するあまり、わたしは話す相手に近づきすぎちゃうクセがあるみたい。
みたい、というのは自覚がないからよ。幸いわたしは女子でも少し小柄だし、近づかれても今まで問題は起こってないけれど、やっぱり適切な距離ではない。
そしてそれはバイト、医者としての時だけだと思ってたんだけど。
「ちょっとした時なんだけど、相手の間合いにすっと入る時があるんだよね? 愛依って。オトコからしたら、少しドキッとするよ。僕もほら、『ふれあい体験乗艦』の時に医務室で何度もあったし」
暖斗くんにも言われてしまった。
「愛依ってさ、自分のことを無価値だと思ってない? だから簡単に他人の間合いに入っちゃうんだよ。『どうせわたしは‥‥』って。『わたしなんて誰も見ていないから』って、悪い意味で警戒していない」
自覚はあるかも。自分のことを無価値だと思うからこそ、「相手は自分に関心が無い」、「だからわたしが近づいても、相手も何も思わない」って思考になりがち。
だから敵兵に捕まった時も、どこか投げやりだったし、船を降りて人生を辞めようかとも考えてしまった。
「電車の一件」、「陰キャ時代」、遡ればするほど、その傾向があった。
男子に生まれなかったわたしは無価値。
母から受けた呪いは、この16年間でも完全には消えない。
「でもね」
べびたんに抱きしめられた。彼の両の手が熱い。
「いいじゃん愛依。愛依の価値は決めたよね、僕がもう。‥‥16年そうして生きてきたんなら、変わるのにも16年かかるかも。‥‥ならこれから16年、僕が大事にするよ。それでもまだダメだったら、僕がまた大事にする。それでいいよね?」
「‥‥‥‥うん」
わたしは、彼の腕の中に顔をうずめた。
ああ。
無限の熱は。ただ。
わたしの心を鋳熔かしていく。




