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第1話 お手伝い②

 




 突然の咲見夫人のため息。


 そんなに嫌な感じではないよ? でも今日は婚前同居(コハビテシオン)初日。夕食当番のお手伝いをして、暖斗くんの家の一員に少しでもなれたら、と思ってたから。

 ちょっと気になってしまった。


 まさか、わたしの言動、何かまずかったかな? 心当たりはないけど、ちょっと張り切りすぎたかな? 出しゃばりすぎたかな?




「ただいま~」


 あっ!!


 べびたんだ! もとい、暖斗(はると)くん。高校から帰ってきたんだ。わたしの婚前同居(コバビ)のパートナー。順当に行くのなら、未来の旦那様。


 思わず顔がほころんでしまう。あぶない! 「べびたん」っていう呼び名は、彼とふたりきりの時だけだし。


 でも正直ほっとした! これで空気が変わるし、わたしに何か落ち度があっても、彼に頼んで訊けるし。




「いい所に帰ってきました。暖斗」


 お義母様は暖斗くんを大食堂の南、応接室へ連れていきます。


「愛依さんもこちらへ。あ、お茶も持ってきて頂戴」


 はい義母様、と返事をしながら、わたしは用意した食器とお湯の入ったポットを盆に乗せて入室した。


 応接室はちょっと豪華なつくり。家具も絨毯もいいものだ。梅園家は質素倹約を美徳とする感じだけど、さすがにこの部屋はそれなりの物が置いてある。


 入ると空気が違うのがわかる。壁に置かれた大型テレビも好き。わたしの実家には無かった大きさだし。


「タマハビ」って言葉知ってる? あまり自分からは言いづらいんだけど。

「玉の輿婚前同居(コバビテシオン)」の略なんです。


 この「タマハビ」こそ、男子の6倍も存在してしまって、そして結婚難民ばかりになってしまった、この国の女の子の憧れ。


 この応接室は、その「タマハビ要素」をちょっと実感できるから好き。もちろん暖斗くんに選んでもらえたのも、その彼の家が「お金には困ってない系」だったのも結果論だったんだけど。


 わたしの愛読書「ほら穴理論」を待つまでもなく、心安らかな妊娠と出産をするためには、安定した食料供給――つまりパートナーの経済力はある程度は必要、ってなっちゃうのよね。


 だって妊娠して、狩りや木の実拾いができない体でパートナーからの庇護がなければ、妊婦さんはお腹の子ともども、餓死するしかないんだもん。


 女の子がパートナーに経済力を求めるの、決して贅沢や楽をしたいから、ばかりではないのよ。


 種を残そうとする自然な本能なの。たぶん男子はわかってくれないけれども。



 言われたカップはふた組だった。お義母様と暖斗くんのお茶を用意すべく、テーブルに白磁のティーカップを並べると、お義母様がわたしの両肩をそっとつかんで下に押した。


「え?」

「座るのは私じゃなくて。あなたよ」

「ええ?」



 わたしは、素敵なテーブルの前の、ふかふかするソファーに座らされていた。


 となりには、暖斗くん。


「はいどうぞ‥‥。奥様、これでよろしいですかね?」

「ええ。いいわ」


 食堂から入ってきた伊央里さん、あ、お手伝いさんね。が、品よく並んだクッキーを乗せた、洒落たお皿を机に置いた。


 暖斗くんがテレビを点ける。わたしはお義母様を見上げた。



 わたしはギフト「超計算」で状況を分析する。‥‥けど、答えが全然わからない。何? わたし怒られるの?



 彼女は、みぞおちにその両手を重ねながら。




 まるで、わたしを諭すように。




「愛依さん。‥‥‥‥あなたはまだ学生なんだから、学校から戻ったら、せめてひと息くらいつきなさい。そんなに気を張る事は無いのよ? 医者のお勉強もあるのだから、家事は余暇程度でいいわ。それと暖斗。部活が無いのなら、愛依さんの休憩に付き合いなさい。この家で愛依さんが精神的に頼れるのは、今はあなただけなのだから自覚しなさい。これは日課にすること。いいわね」


「‥‥‥‥うん」


 暖斗くんは、テレビモニターを見ながら虚ろな返事をする。



「‥‥‥‥はい。かしこまりました。お義母様(かあさま)


 わたしがそう返事をすると、また優雅ににっこりと微笑まれて、彼女は厨房へと戻っていった。夕食当番に戻るつもりだ。家政婦の伊央里さんも、わたしに手を振りながら戻っていった。



「ここのクッヒーおいひいんだよ」


 皿の焼き菓子を勧められた。クッキーを1枚くわえた暖斗くんに。



 うん、そうなの? といったん曖昧な返事をしながら、彼とわたしの分の紅茶を用意する。


 暖斗くんは「スイーツ作る男子」。実は中学生の時から、あの「ラポルト16」になる前から、駅南の有名洋菓子店でバイトをしている。もう焼成部門では彼の焼いた物が店頭に出されている。それほどの腕前。


 その彼が美味しい、というお菓子は、本当に美味しいものばかり。


「ん」


 彼の無言の仕草。



 わたしは当然のように、幼女のように。クライマックスシーンで、相手の俳優と唇を重ねる、女優のように。


 おとがいを少し上げて目を閉じて、そっと口を開ける。



 乾いた感触が、下唇にあたった。



 発酵バターの芳醇な香りとアーモンドプードルの深いコクを感じながら、前歯で小気味いい焼き菓子の食感を楽しむ。ああ、この塩の利かし方、確かに美味しいわ。


 ‥‥‥‥いつの間にかわたしも、少し詳しくなってしまった。



 わたしはさっき「家事は得意。小学生から家の食事係だったから。これについては親に感謝」って言った。


 言ったけれども。


 言ったけれども。


「‥‥‥‥‥‥」



 考え込んだわたしを、たぶん横のべびたんはじっと見つめている。


「‥‥お義母様に、‥‥日課だって」

「うん。この頃毎日言われてる。『お前が愛依を支えるんだよ』って」



 そして彼は、きょろきょろと部屋を見まわして。ふたりきりなのを確認して。


 ぎゅっと私を抱き寄せてくれて。




 目があうと、ゆっくりと微笑んでくれた。



 わたしは、彼のそんな笑顔が‥‥‥‥‥‥それは言うまでもない。



 あ。‥‥ああ。


 でも、口もとにさっきの、クッキーの粉がついてるよ。もう。べびたんなんだから!



 そんな事を思いながら、わたしはテーブルに視線を戻す。





 お洒落なティーカップの白磁に浮かぶ紅色が、少し涙でにじんだ。






女性の幸せ、とは何か?


女性が幸せになること、とは何か?

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