第10話 スイーツと恋の甘味。①
紘和62年10月18日(日)
どうしようもないコトなんだけど。
ケーキ屋さんというのは土日のお休みの日が書き入れ時だ。
だから、というかケーキ作るの大好きなべびたんは、店長に頼まれれば喜んで店のシフトに入る。
中学生の時は法律でブラックバイトが禁止の「若年就労者管理法」の関係で、基本シフトは土曜のみだった。
それが高校生になると、その枷が外れるので、洋菓子店のほうからの「お願い」が多くなってきていた。
昨日、わたしが婚前同居で住む梅園家に、新たな顔が加わった。
鳴沢真由保さん。
べびたんの幼馴染みで、二軒空いたとなりに住む子。同級生だよ。
梅園家の家政婦として、バイトで働くことになった。
昨日初顔合わせだったんだけど、麻妃ちゃんがべびたんに余計なことを言ったんだよ。
「ぬっくんさ~」
「なんだよ」
あ、一応解説するよ。麻妃ちゃんは暖斗くんのことを「ぬっくん」。わたしは「べびたんん」と呼んでる。ちなみに暖斗くんのイッコ上の異母姉さんのすずさんは「はーくん」と呼んでたりする。
「真由保っちのメイド姿、見とれてんじゃないよ~。愛依という正妻がありながら~」
「は? 見てね~し」
べびたんは、麻妃ちゃんの言葉に気色ばんでいた。
う~ん。これについては、完全に冤罪だよ。麻妃ちゃんはべびたんにその気が無いのを知り尽くしてるし、真由保ちゃんの「意中の人」がべびたんじゃないのも、わたしと一緒に把握済み。
「でもさ。この家に新たに若い女の子が出入りするんだ。新妻の愛依としては、心中穏やかじゃあないはずだゼ☆」
「そうなの? 愛依?」
けろっとした顔でべびたんに訊かれた。1ミリも悪意のない表情。
‥‥‥‥の向こうで、麻妃ちゃんが(愛依、うなずけ! いいから首を縦に振れ!)ってわたしにジェスチャーしてきていた。
彼女の真意がわかると同時に、べびたんには「う、うんまあ」と返事をする。
「そうだゼ☆!! ぬっくん。いきなり同世代の女の子が増えたんだ。ここはしっかり愛依に『僕はよそ見なんかしない。新妻の! キミだけだよ』ってアピっとかないと」
そういうコトなんです。麻妃ちゃんはこういう感じで、人の仲をいい意味でかき回すのが大好きな子、なんです。さっきの「新妻」ワードとか。
ま、助けられる時もあるんで、いいんだけどね。
「‥‥どうせ麻妃のいつものだろ? ‥‥いいよ愛依。明日どっか行こ。この前言ってたカフェでもどう?」
「うんっ!」
麻妃ちゃんが「愛依。貸しひとつだゼ☆」みたいに親指上げてるけど、いえいえ。
これはノーカウントでしょ?
ピロリン♪
「あ、店長からメールだ」
「「え?」」
べびたんのスマホが鳴る。
「明日製造に入って欲しいって。ごめん愛依」
「え~。そりゃないよぬっくん。愛依が泣いてるよ」
「な、泣いてはないけど‥‥しょうがないよね‥‥‥‥」
「ほら~。花嫁泣かせるなよ~」
「ご、ごめん愛依。う~ん今からバイト断ろうかな~」
「ぬっくんの性格上、それはナイな。愛依ドンマイ。まあ気ぃ落とすな」
「うん」
麻妃ちゃんは、わたしが頷くと部屋を出ていった。
「あ、いや、待てよ?」
べびたん?
***
時間は戻って、同日。18時15分。
わたしは寒さに指をこする。
昨日麻妃ちゃんのイジリがきっかけで、べびたんとカフェに行くことになったんだけど、同時にバイト先の店長さんからもメール。
一旦カフェデートはお流れになったんだけどその夜、ふたりで離れで勉強していたら、べびたんから突然の申し出をされたのです。
彼はバイトには行くけれど、終わったらその後、夜からカフェに行く提案。
ちゃんと家の人の許可も取ったよ。こういう時は婚前同居は有利に働くね。
わたしも昼間に、医師国家試験の勉強がじっくりできたし、何も不満はないのですっ!
ただ、ちょっと、10月下旬。それなのに。
この日は紘国上空に超特大の寒波が来ているそうで、今年一番の寒さだったのです。
地上波の天気予報では「50年に一度の爆弾寒気」、「マイナス50度の寒波」って警戒してた。帝都は今ごろ降雪するところがあるらしい。
特に日が落ちると、急激に冷えてきた。みなと市は雪が降るのは10年に一度だし、まだ10月だし。
みんな軽装だったから、サラリーマンさんもみんな小走りに駅へと向かうよ。
もうすぐ現れる彼の姿を思い浮かべながら、洋菓子店「シェ・コアラシ」が見える道の反対側で、ひっそりこっそり待っているのです。
あ、吐く息白い。もうそんな季節なのね。‥‥いや早すぎる寒波のせいか。
わたしも温暖に馴れきったみなと市民の例に漏れず、まあまあ軽装なのです。
帽子はマストだからしてるけど、スカートだし、生足だし。
寒いなあ。お店のシャッター閉まったし、もう出てくるかな?
うう寒い。しまった手袋なんて頭にすらなかった。急に冷え込んだんだもん。ああ、指先がびりびり痺れてきた。‥‥‥‥寒いよう。
さ、寒い‥‥‥‥っていうか痛い。なにこれ。凍気で肌を叩かれてる感じ。指先が痛いし、初めて経験する、命にかかわる感じの寒さが――。
「おまたせ。ごめん。愛依」
コート姿のぬっくんが現れた。
彼は、わたしが寒そうに指をこすっているのを見る。
と、濃いベージュのトレンチコートの前を開いた。
「‥‥‥‥?」
困惑。
コートの下は私服、暖かそうなセーターだった。あ、パティシエの恰好からは着替えたんだね?
なに? せっかくコート着込んでるのにそんなに胸襟を開いてたら、お腹が冷えるよ?
今日は特別超ド級に寒いんだから!
なんて思ってたら。
べびたんは、こくりとうなずいた。
「おいで」
彼の意図を理解した。思わず胸に飛び込む。
同時に、両手でコートの内側、セーターをまさぐり、一番あったかい場所を探す。
脇だ。彼の両腕の内側に熱を見つける。
「あ~~。あったか~~い」
凍えた両手が、みるみる温みをおびていって。
思わず声を上げたところで。
バサ。
そっと。
わたしの頭ごとトレンチコートを重ねられた。
じゅわっと指があったまるのと同時に、彼の胸板からも、コートからも熱をもらって。
しばらくわたしは、その恰好で静止する。
気がついたら目を閉じていて、セーターに顔をうずめて深呼吸をしていく。
彼の基礎体温は高い。わたしは熱をもらってばかり。
こんなごほうび貰えるなら。
寒気団も悪くないね。
「そろそろ行く?」
「ううんもうちょっと」
基本寒がりなわたしは、彼とのこのやりとりを。
3回繰り返した。




