第1話 お手伝い①
紘和62年 9月1日火曜日。
わたし、逢初愛依は、自転車のペダルに力を込める。だいたい平地のみなと市だけど、この2級河川を越える時には起伏があるから。
川の堤防を上りきると、右手やや遠目に、民家の屋根。そしてその上にクリーム色の校舎が見えた。あれが「みなと中央高等学校」だ。
「中央」という校名の割には、みなと市の西端、れんげ市よりにあるけれど。
わたしのパートナー、残念ながられんげ東校には進めなかった彼の、通っている高校だ。
そして彼の成績はあともう少し、だった。担任の先生が驚くくらいには、成績は伸びたんだけどね。残念ながら届かなかったのです。
ここで彼とバッタリ! 「じゃあ自転車を並べて一緒に帰る?」なんて夢想すれば、この高校近くを通るルートもありなんだけど、やめておきます。この時間帯、あのあたりは中央校やとなりの中学の子が下校してたり、部活で走ってたりするからね。
歩道が塞がりがちなのです。
それよりも、わたしは先を急ぐのだ。
そちらに向かわず、土手に上がる。川沿いの堤防の上のアスファルトを、風を切ってすいすい走る。
ここは自転車にとっては一種のハイウェイね。車はあまり来ないし、学生の自転車が、たまに群れを成しているくらい。たまに横風がキツイけど。これで一気にみなと市の駅近くまで行き、駅のガードをくぐって、駅南の商店街、そしてわたしの「自宅」へ。
我が家。
と言っても、今日から正式に「我が家」になる我が家。わたしは、パートナーの彼と「婚前同居」という「お試し婚」をしていて。
今日がその同居、第1日目なのです。
婚前同居。れっきとした国家プロジェクト。この国、紘国では、7人にひとりしか男の子が生まれてこない。
だから国は、「くっつけるカップルはもうくっついちゃって。そして子供産んで。(できれば男の子を!)」なんて50年前なら非常に微妙で炎上確実だった問題を、冗談じゃなくて真剣に望んでる。
国家の維持、男性人口や国防とかで、「男性の頭数」が絶対的に必要だから。
なりふり構っていられないのよ。世の女性たちもそれに関しては暗黙の了解の中にいる。重婚制度にも理解がある。
‥‥だって「もう男性がいないから肉体労働や3K仕事に女子も参加して! 戦争になったら武器を取って!」って言われてしまうのがわかっているから。積極的に是としているのではないけれど、昔の「戦国時代」みたいなものかしら。
男子がいなくてどうしようもなくなってしまう世界が、もうそこまで来てしまっているから。
周辺諸国もそうね。国によっては「男子あまり」のところもあるみたい。この国が「男子がいなくて女子ばっかり!」ってなったら、周りの国はどういう行動に移るかな? それ、もう丸わかりよね?
だから国は、婚姻年齢に達していない若年男女でも疑似結婚ができるこの制度を、考案した。
このまま結婚しても良いし、「やっぱり合わなかった」と止めても良し。――ただ、ちゃんと大人の管理下で行われるちゃんとした同棲だから、ただ一緒にいたいから、みたいなノリじゃあダメよ。この権利を獲得するのは、それなりにいばらの道だったのです。
学校から帰ったわたしは駐輪場所に自転車を置くと、自室のある南東の離れへと小走りに急ぐ。
彼の家はお義父様の家で、集合方式と呼ばれる方式。四角い敷地、中央北に父親の住む家屋があって、そのすぐ南に大食堂とお風呂やトイレ。
そして敷地内の東西南北の四隅に、各お嫁さんの戸建てが建っている。
パートナーの咲見暖斗くんは第二夫人の子息だから当然そこ住みで。そしてわたしは、この離れに。
わたしは2Fの自室に上がると、カバンを置いて制服の上からピンクのエプロンを着る。
犬とウサギのアップリケがついたお気に入りよ。え? 借りパク? げふんげふん。何をおっしゃってるのかわからないわ?
そのエプロンのポケットに、英語の単語帳を放り込むと、わたしは食堂へと急いだ。
「ただいま戻りました。お義母様」
「あら、愛依さん。おかえりなさい」
厨房から出てきた女性が、優雅に微笑んでくれた。わたしは人品のあるこの方の振る舞いが好き。
咲見美純さん。梅園家の第二夫人。そして暖斗くんの実母。
婚前同居のわたしのお相手、咲見暖斗くんのお父さんは「梅園」という姓。その第一夫人だけが「梅園」と名乗っているの。
正妻枠だからというか、一夫一妻制だった頃のなごりかな。
「咲見」というのは彼女、第二夫人のご実家の姓。
「なんで? 結婚したのに父親の姓を名乗れないの?」なんて声が聞こえてきそうだけど、そうでもないよ。まあ、各家庭によって事情は色々なんだけど、やっぱり第一夫人に敬意と遠慮があるから、っていうのと、4人いるお父さんの奥さんが全員「梅園」になっちゃうとややこしいので、第2席以降は実家の姓のまま、がけっこうマストなんです。
「お手伝いいたします!」
わたしは朝から何度も想定した笑顔を作って、勢いよく厨房へ飛び込んだ。梅園家の4人の夫人。みんな仲がいいらしい。そして朝夕の食事当番も4人で分割してやられているとか。
そう。婚前同居、その初日! 今日こそ「嫁」としての仕事をしなくては! お手伝いの伊央里さんもいた。けっこうご高齢で「あと働いても数年」だそうです。
「あら? 愛依さん手伝ってくれるの?」
「はい! 是非!」
お義母様は意外そうだった。やった。喜んでもらえそう! まずは「嫁」の第1歩。何事も最初が肝心。夕食当番のローテは彼や伊央里さんに聞いて把握済。そもそもわたしの脳内カレンダーに全部入力済だし。
わたしの家は父親ありのほぼ母子家庭。実家では小学生から家族の食事準備してたから、実は自信があるのです。母親にいいように使われたけど、今だけはこれに感謝!
「じゃあ折角だから愛依さん。お湯を沸かして頂戴。あ、ポットは‥‥」
「はい。こちらですね」
「水は‥‥」
「はい。汲み置きのものですね」
わたしはテキパキと動く。幸いわたしはギフト「超記憶」の持ち主。食器や器具の配置から調味料の在庫まですべてリサーチ&記憶済みよ。――すべては、今日のため。
「それと紅茶を‥‥」
「ティーパックでしょうか?」
「ええ。よくわかったわね」
「はい!」
ええい! さらにもうひとつのわたしのギフト「超計算」でお義母様の思考を先読みする。――まあ、大したコトじゃないんだけど。
当然お茶を用意するのだからと、食器とお盆も移動ついでに用意した。見て見て。わたしのまったく無駄のない動き。病院で医師のバイトをしてるからね。何度か修羅場も経験してるし。
お義母様はその様子に驚いたご様子。やった。「できる嫁」アピ成功?
‥‥‥‥かと思ったのも束の間。
少し苦笑いをして、ほう、とため息をつかれた。
ええ!!?? わたし、何か悪いことした?
派手に動きすぎたかな? ‥‥ええ?