第7話 聖人君子②
「いや、ひめちゃんだよ。次の子だとしたら。う~ん」
良かった。一瞬色々考えちゃったよ~。
そしてまた「う~ん」だね。べびたんはこうやって言いよどむことが多い。彼に寄り添っても、重婚しない女子としてはその心中は慮るのは難しい。
女の直感的に言えば、べびたんは姫の沢さんのことが好きなハズだよ。「次の子」で問題ないハズ。
もう一度準医師の立場で言うとね、男子が他の女子に目移りするのは生物としての「仕様」であり「基本設計」なんだよね。
男子から見て、自分の遺伝子を未来に残すためには、色々なタイプの女子と子孫を作るのが最適解だよ。あ、倫理とかは度外視だよ。
だって将来経済恐慌が来るかもしれないし、竹取山は実際に噴火したし、戦争も一昨年起こったばかり。色々な女子と色々なバリエーションの遺伝子を残しておけば、津波が来ても、紙幣が紙切れになっても、多国籍侵攻軍が来ても。その分野で才のある子孫の誰かしらは生き残れる。
約1年にひとりしか子供を産めない女子とは「生存戦略」が違うのよね。
あ、どちらが正しい、とかじゃあないよ。生物的にどうかというお話。これが、わたしのバイブル「ほら穴理論」。
超絶身も蓋も無く、医学的生物学的な視点で事実陳列罪をしまくる学術書、です。
その点から見ても、昔からの幼馴染みという点から見ても、姫の沢さん、という選択は最良に思えるよ。あくまでわたし視点、医学視点、人類の成りたち視点のお話だけれども。
ただ、「とは言え」なのです。わたしの気持ちというか、立場が微妙。
わたしは彼女がいない間に、急速に彼との距離を縮めて正妻の位置に納まった存在。そのわたしが姫の沢さんを「第二席に」って言うのはわたしからの償いの気持ちでもあり、でも上下関係を確定させるマウントに見えてしまう行為でもあって。
べびたんにそう思われたら正直つらい。でもそういう欺瞞がわたしの胸にゼロかと問われたら、うまく答える自身はない。そう。そんなモヤモヤを払拭したいから、早く第二席を決めてしまいたいのかもしれない。
「ひめちゃんはさ、いつも僕を特別に思ってくれてる。ありえないほど」
彼はベッドに腰かけ黙りこんでしまった。部屋の空気が重い。
「‥‥‥‥べびたん」
わたしも横に座り、そっと彼の顔を覗きこんだ。
「愛依の次にお嫁さんにするとすればあの子だよ。いつも味方してくれるし、嫌いなワケないよ」
腕を組んで、深くうなだれていた。
この話はもう止めよう。急ぐ必要ないし。
「ごめんなさい」
わたしはそう囁いた。彼の手を取り、前髪で隠れた視線を探す。
「急かすものではないものね。まずは婚前同居に慣れなきゃだし、いつか自然に決まればいいわ」
そう言いながら、はっと気づいたことがある。「急いでいた」のはわたしなのでは? と。
べびたんと違う高校になってしまった。
同居してるとはいえ、高校での様子はわからない。自己評価が低いわたしは、楽しい高校生活で誰かに彼を取られてしまわないか、実は弱気を消せないでいる。
当然彼のまわりの女子も、べびたんの「第二席」を意識するだろう。露骨にそういう動き、アプローチをする子も出てくる。
そこで姫の沢ゆめさんだ。
あの芸能人並みの容姿、というか本物のモデルの彼女が第二席に内定すれば、他の女子たちが一応は諦める気がしていた。
そう。急いていたのはわたしだった。
「違うんだよ」
彼は言った。「違う?」なんのこと?
けどこれでいいかも。決まらないなら決まらないで、わたしはその間べびたんを独占できるのだから。ソロ蜜月が続くのだから。
「違うんだ。愛依。愛依はどう思うのかな」
「どうしたの? わたし?」
質問の意図がわからなくて、思わず聞き返した。
「僕は嫌なんだ。『第二席を○○にする』って決めたら、愛依は傷つかない? 『良かったら僕の第二席に?』って言ったら、ひめちゃんは傷つかない? こんなことで、今の関係が変わってしまうのは嫌だよ。僕は心配なんだ」
あ。
絶句した。彼は聖人君子ではない。至って普通の高校生だけど。
一瞬忘れてたよ。
とっても優しい人だった。
自分の幸せ云々より、わたし達の気持ちを考えてくれていたのね。
「ありがとう。べびたん」
両腕を彼の左腕に絡ませた。うれしい。無性に彼の体温が欲しくなった。
「わたしね――――ううん。わたしの家系。すごく後悔してるの」
「え?」
「わたしのひいおじいさま。数学者、阿井染愛壱」
「知ってるよ。賞とか取ったスゴイ人。重力子エンジンのエネルギー発生を数学的に証明した人」
「でも、学者にありがちな頑固な人だったって。サジタウイルスで男の子の生まれが少ないとわかっても『重婚』はしなかったの」
「だそうだね。でも立派じゃないか」
「ありがと」
「確か、奥様を大切にしたんだよね。『ワシが生涯横に置くのはコイツだけだ』だっけ? 男気あるなあ」
「でも結果、阿井染博士の男系はそこで途絶えたわ。未だにお母さんが愚痴ってブツブツ言ってるし」
「うん。そこから『愛依が男だったら』論になって、君を苦しめた」
「あの時はありがとね。べびたん。そうそう。婚前同居の話もそこから始まったんだよね、うん」
あまり人に話したことない、わたしの家庭の事情。べびたんは苦しむわたしを見て、助けてくれた。それが「4種の事前調印」。
そしてその成果こそが「婚前同居」。
「でもこうして愛依と暮らしていけるんだから、結果オーライだよ」
わたしはもう一回、彼の腕に思いっきり巻きついた。
わたしの暮らし。わたしのしあわせ。
この国の男子が急に増えることはない。問題は、簡単に解決などしない。
だから、べびたんもいつかはお嫁さんを娶らなければならなくなる。あと3人。
それは、この国に生きる女子ならほぼ誰もが承知している。国を維持するためには止むをえない状況に来てしまっているのだから。
世界を見れば4人まで重婚OKの巨大宗教があり、この国も過去は通い婚や側室が当たり前の国だった。要は時代とルールなのよね。
男性不足。まだギリギリこの国の中で問題を話し合える段階。これが崩れると、海外男性のこの国への帰化と婚姻の奨励が始まる。そうなると言われている。
それを避けるためにも、現状「重婚」はやむを得ない措置、となってしまう。そう、それこそ誰かが出生比率の謎を解明するまでは。
でも、それでも。
わたしは願うよ。この人のとなりに少しでも長くいたい。やさしいあなたの側に。
お嫁さんが何人になってもいい。わたしの居場所が残ってさえいてくれれば。
またこうして、となりに座ることができれば。
腕をぎゅっとしたまま、顔だけを彼の方に向けた。
今まで、特にラポルト乗艦中だけど、彼といっぱいスキンシップをした。2年前、紘和60年8月22日、敵兵ゼノス君との激闘に勝った夜は、彼とわたしの顔は「まつ毛があたるくらい」に近づいていたね。
ちょうど21時頃のこと。
今日は、それよりも近づいていいかな? わたしがどうしてもそう、したいから。
わたしのくちびるが、そっと彼のほほに触れたよ。
驚くべびたん。
恥ずかしくなったわたしは。
ぶら下がるように腕に巻きついて。
彼の視線から逃げるように、その胸に顔をうずめた。
※進展。