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第6話 お夜食。②

 




 べびたんが、黒い物体を完成させるべく作業を始めるのを見ながら。

 わたしの脳裏に浮かぶ回想シーン。




 昼間のこと。


 厨房が空いてる時間を狙って、そこでぬっくんとふたり、パウンドケーキの生地作り。


 そのあと業者さんが来て、帰って、さらにその後のこと。





「このくらいでいい?」


「そだね。適当でいいんだけど、1個2個大きいのが残っちゃうと溶けないから」


「うん。わかった」


 例の業者さんへの発注が終った後、ダイニングの隅にわたし達はまだ居た。厨房はもう今日の夕食班の人が作業に入っていて。


 わたしはダイニングで、まな板に乗せた板チョコをひたすら刻んでいる。


 その横には、生クリームと無塩バターを計量するべびたん。


「ケーキのオマケでさ」


「何ができるの?」


「『ガナッシュ』って言うんだけど。――あ、いや。ラポルトでも作ったっけ」


「ああ、あの! 生チョコね」





 完成の手前の下準備、食材を加工しておく段階を「仕込み」って言うんだって。


 昼間、わたし達は「生チョコ」の仕込みを完了していた。彼曰く、ここまで準備しとけば後はあっという間に作れるそうだけど。




***




「待って! べびたん。こんな時間にチョコなんて。止まらないよ。太っちゃうよ~」



 --あ。


 もう生クリーム、雪平鍋に入れて火にかけてる‥‥。



 終わった‥‥‥‥。



 そうよ。べびたんはケーキを作る時は女を惑わす悪魔だったわ。ラポルトで実被害も見てたのに、すっかり失念してたよ。


「ほいさ」


 沸騰寸前の生クリームの火を止め、すぐさま刻みチョコのボウルに流しこむ。その熱で割られたチョコが溶けていき、礫岩の山のような茶色は静かに、クリームの白色に沈んでいく。その白い生クリームがだんだん褐色に染まっていくのを見ていたら、ホイッパーが入った。


 器具の針金がいく筋も跡を残しながら、ゆっくりとチョコと生クリームが溶けあっていく。少しコシのある粘調度になったところで、加熱されて透明になった無塩バターを投入。


「ほら」


「あっ」


 褐色のペーストの上に黄金色のバターが浮いて、それが攪拌されるたびにチョコに馴染んでいく。ペーストの表面がチョコレート特有の光沢、「()り」を持つようになってきた。


「よ~し。そろそろかな」


 本日2回目の登場。ボトルに入ったあの液体「秘密の隠し味」。鉄製の容器に入れて軽く火に近づけた。


 アルコールを飛ばすんだって。「フランベ」って言うのね。


 そのフランベされた液体を生チョコ本体に混ぜ込み、完成だ。



 ツンとしたアルコール臭が鼻をついたけど、それはさっき熱で飛ばした分。


 その向こうにあったのは、女子が抗うことができない、あの独特のチョコレートフレグランスだった。



 べびたんの「隠し味」が加わって、より甘く、より蠱惑的になっている。



 今まさに、できたて。

 香りが辺り一面を支配する。

 いまだ高い熱が残るガナッシュペーストは、ホットチョコの性状に近い。


 その熱によって凶悪に立ち昇る魅力的で退廃的な薫香に、本能を殴られてしまった。




「よっと」


 まるで白いご飯に混ぜた納豆をかけるように。


 べびたんにとってはバイト先の通常業務なんだよね。これ。あまりに簡単なかけ声で作業が進むけど。


 わたしにとっては人生初。重大なイベントだよ?



 切り株状にカットして小皿に用意したわたしのパウンドケーキに、銀色のステンレスボウルから、茶色いペーストが豪快に注がれていく。

 ケーキが、どろどろとチョコの滝に飲み込まれて? かけすぎよ!?


「多いよ。わわ」


「これくらいのほうが美味しいって」


 生チョコのガナッシュは、冷やせばバニラアイスくらいの粘度になるけど、作りたての今は熱くてトロトロだった。コーンスープくらいかな?


「これ‥‥‥‥。チョコレートファウンテンみたい」


 頭に浮かんだ既視感を口にする。


「ああ、あれ? あれはそんな凝ったチョコ使わないよ。常温で固まるコーティング用のチョコだね。‥‥‥‥これは、生チョコだから」


 確かに。こんなに生クリームやバターが贅沢に入ってないし。あっちは普通のチョコだ。

 こちらのチョコはべびたんがその目でチョイスした製菓用のショコラ。「カレイボー社謹製、クーベルチュール ミルク」様。




「おいしい?」


 気がついたら口にしていた。


「‥‥‥‥‥‥うん」



 おぉおぉお、美味しい!!



 まだ住み慣れない人様の家の食堂。

 午前0時。

 いまだ熱い作りたてのチョコと、それがじんわり染み入ったパウンドケーキ。


 何という背徳感。何という罪悪感。


 それが胃に落ちていくたびに、全身の細胞がぶるぶる震えてる気がする。大げさ?



「あ、そうそう」


 悪戯っぽく笑った彼が、無造作にわたしを抱き寄せた。また首すじに唇を寄せて。



「‥‥‥‥さっきの『隠し味』、秘密だからね?」



 んひゃ!?





 絶対! わざとやってるでしょ!?





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