第5話 才能の置き場③
不意に来られたべびたんのお母様に動揺する。
今の会話聞かれてた? どうしよう?
わたしがこっそりみんなの食事量を観察して、数値化してたなんて知られたら、気分悪くする人いるよね‥‥!?
「‥‥ああ。そんなこと気にする人はこの家にはいないから安心して」
‥‥‥‥良かった。悪く思われてはないみたい。確かに元々悪意や野次馬的な気持ちで観察していた訳ではないし。
よく言えば職業病なのよね。食事の量とかでその人の健康状態、情報を得ようとしてしまう、医者の職業病。
「それよりもすごいわ。一人ひとりの食べる量を細かく計算してるのね? AIより全然便利だわ」
「AI? いえそんなことは。実家で食材余らせるのがイヤでケチケチ生活してただけです‥‥」
そう。この時代家事にもAIが活躍している。冷蔵庫の中にカメラがついていてマヨネーズの減りをチェックしていたり戸棚に重さを感知する量りがついていたりして、食材を買い足すタイミングを教えてくれたりしている。
でも評判はイマイチだった。この家みたいにみんな人数を「16人」とかで登録しているし、メニューや在庫の入力が面倒で不正確になりがちだった。
実家でもわたしは使っていない。頼っても大雑把な数字しか出てこなかったから。‥‥‥‥まあ実家のキッチンが古くて、何世代前かのAIだったせいもあるけど。
「でもそれがすごいわ。ご実家で家事をずっとやってたのは伊達じゃないのね!」
美純さんは純粋に驚いて、褒めてくれている感じだった。
「あの~~」
申し訳なさそうに、業者さんが注文用のスマホを掲げていた。そうだこの人のこと、みんな忘れてたよ。
「あらごめんなさい。時間を使わせてしまったわね。伊央里さん急ぎで注文を」
「はい奥様。‥‥でもえっと何でしたっけ。‥‥ああ、味噌、お味噌でしたね。えっと」
伊央里さんは口ごもってしまった。一回思考が切れているから? みたい。
奥のほうから声がした。様子を聞いていたべびたんだった。
「母さん。愛依に全部任したらいいよ! 愛依ならすぐできる!」
息子の提案に、ふと思案する美純お母様。
「‥‥もしかして愛依さん、ウチの在庫全部把握してる‥‥とか? 発注できる?」
「は、はい。10秒あれば。少し在庫に余裕をもたせて1.5週分で発注します。‥‥‥‥‥‥えっとお味噌は1キロパックですよね。じゃあ2袋。ソースの中濃1本。チューブわさび1本。鶏ガラだしは補充用の大びんを1個。それから‥‥」
「ひええすみません~! 入力が追いつかない! ‥‥えっと鶏ガラだし1個でしたよね?」
業者さんが悲鳴に近い困り声を上げた。スマホと上半身がグラグラ揺れて。
「ええ。補充用の大びんで」
「あッ! 補充用!? 300グラムのほうで?」
「ええそうです」
「あら。そんなサイズのがあったのね?」
「ええお義母様。このほうがコスパがいいんです」
「あらあら。愛依さんは買い物上手のしっかり者ね」
「はい奥様。本当に」
美純さんと伊央里さんが感心してくれてる。やった。
「そうだよ。愛依は『超記憶』と『超計算』のギフト持ちなんだから! 今週のメニューとレシピを記憶して計算してるんだから!!」
「なんであなたがドヤ顔なのよ。ケーキ作りは終わったの?」
洗い物を片付けたべびたんが、ふたりの前で胸をそらしていた。
「いや~~。暖斗ぼっちゃんが娶った人だから、只者じゃないとは思っていましたが~。そっかあのラポルト16の女医さんでしたね~。ギフト? すごいですね~。いや~いい物見た。驚きました。じゃ! 私はこれで」
発注業務、終了。
他にも配達があるそうで。業者の女性はしゃべるだけしゃべって一瞬で帰っていった。
スマホを操作していた美純さんがこちらを向く。
「今梨乃さんたちとも相談したんだけど、発注は愛依さんにお願いできるかしら。もちろん学業、医者としてのお勉強第一の上で、なんだけど」
それを聞いたわたしの胸は軽くなった。
たぶんわたしは、この家に来て引け目を感じていた。自分にも何か負荷――役割のような物が欲しかった。‥‥‥‥いいえ。それがないと落ち着かない。と言ったほうがわたしの心情に如実かな?
だから婚前同居初日に夕食作りを手伝おうとした。
家事当番の負担を受け持とう、という気持ちだけど、自分のためでもあった。
だから。
わたしは即答する。
「はい! ぜひ。やりたいです。やらせてください!」
「そんな喜色満面で言われるとは思わなかったわ。もし重荷のようなら私に相談してね。暖斗でもいいけど」
美純お母様はスマホ画面に目を落とした。今きっと「梅園家の嫁」グループメールにその旨報告しているはずだわ。
「は~~。この歳になると記憶力がねえ。愛依さんにやってもらえると大助かりですよ」
どう言えばいいのかな? 褒められたいから? ううん。それもあるけど。
実家では、常にそうしなければならなかった、‥‥‥‥‥‥から。
役割を、この家に必要な役割を担うことによって、わたしははじめてこの家の一員になっていける気がする。
わたしの居場所が作られていく。‥‥‥‥‥‥そんな感覚。
その「才能」、与えられたギフトを妬まれ、持て余した日もあった。
それを捨てたい、と思った日もあった。
でもわたしは今ここで、こころから先祖からの贈り物に感謝することができる。
その場所がここにある。
それが。
何よりもうれしい。
「あ、そろそろだ。釜開けにいくよ。愛依」
「うん! べ‥‥暖斗くん」
梅園家の厨房。集中方式に16人が住まうこの家は、通常より大きいオーブンが置いてある。
わたしの彼が「スイーツ作る男子」のため、特別に「小手釜」という業務用の釜が置かれているのね。
耐熱ミトンのオーブングローブをしたべびたんが、小手釜を開け、次々にパウンドケーキを取り出していく。
ダン! ダン!
そして、手早く焼けた紙型を作業台のステンレスに叩きつけていく。
最初は驚いたけど、こうするんだって。こうやって、膨らんだパウンドケーキの気泡にヒビを入れて、しぼまないようにする工程なんだって。
小手釜は横に広くて奥も深い。だからこんなにたくさんのパウンドケーキも、一度で焼けちゃう。
‥‥‥‥どれどれ焼け具合は‥‥‥‥きつね色でこんがり!
上面がほっくり割れて、ふんわり膨らんで。
いい匂い。いい感じ!
「じゃあわたし、ラッピングの包材取ってくるね?」
「持ってきてもいいけど粗熱取ってからだよ? 次の工程は‥‥」
刷毛を用意する。「刷毛」というと毛筆のような物かと思ったけど、フォークのような形の青いシリコン製だった。抜けた毛が製品に混ざるのを避けたいんだって。
べびたんは香つけの琥珀色の液体を小鉢に入れ、焼けたパウンドケーキの表面に塗っていく。いや、刷毛に含ませて「置いていく」感じだ。
専門用語で「ポンシュ」。名前だけでもう美味しそう。
リズムよく塗り終わると、液体が入っているボトルを箱に仕舞いながら。
「あっ!」
また、誰も見ていない瞬間を狙って、彼に抱き寄せられた。
耳朶のすぐ下――――首すじに触れるギリギリで。
「なに‥‥‥‥!?」
「ケーキにこれを入れてるのは、家族の誰も知らないんだ。愛依」
そうなんだ‥‥?
「‥‥‥‥秘密だよ?」
彼が囁く。
そうだった。彼はあの戦艦に乗ってる時に、同乗した15人の女子にスイーツを振る舞っていた。「第三回 宴」の時。
あの時は生クリームの香つけにハシリュー村のラム酒を使ってたけど、本当は奥の手を持っている、って言ってたね。
そして、今思い出しても泣きそうになる。
わたしに。――わたしだけのために。
手作りの丸いケーキを作ってくれた。
しかも。
一見スポンジにフルーツサンド、と見せかけて。
中身はミルクレープだった。
その日に供したクレープとは別に、わたし用に小さく焼いておいてくれて、普通にミルクレープを作ってから表面を生クリームであらためて台塗りしてくれたんだよね?
ふふ。わたしもかなり専門用語覚えちゃった。
「愛依? 聞いてる?」
あっ! 幸せな回想シーンに浸っちゃった。
伝わってないと思った彼は、もっとわたしに近づいたから。
耳たぶに当たる感触があった。
「‥‥‥‥秘密だからね‥‥‥‥」
わたしは首すじ近くに彼の息を感じて。
身を震わせ小さく悲鳴をあげた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ひゃ!」
※暖斗くんが作ってくれたケーキの正体
ベイビーアサルト第一部 第52話「その名はアントルメ」あとがきからのネタばらしだったりします。