第5話 才能の置き場②
「愛依?」
「あっ。ごめんなさい」
一瞬考え込んでいたので、粉振り器が空になっていた。慌てて「合わせ小麦粉」を継ぎ足す。
べびたんがパティシエを目指さないこと、それを想って考え込んじゃってた。
ある程度止むを得ないと感じながらも、この国の同調圧力はものすごいコトになっちゃってるね。まあ、男の子の数が確保できないと亡国の危機なんだから、やむを得ないのかなあ。
「どんどんやっていいからね? 加減はこっちで言うから」
「はい」
卵や牛乳を足していったんゆるくなった生地が、粉に水分を吸われてまた固めになっていく。焼いたお芋みたいに、何かサクサクしてきた。「混ぜる」って表現とはちょっと違う。手慣れた感じで切るように生地にヘラを入れ、生地に小麦粉を合わせていくべびたん。
馴染ませていく、って言ったらいいのかな?
生地を掘り起こすたびにバニラエッセンスの甘い香りが鼻をくすぐって、もうそれだけでもお腹が鳴っちゃいそう。
「それってコツが要るのね? べびた――――あ、暖斗くん」
わたしは慌てて彼の名を言い直した。この厨房に家政婦さんが入って来たから。ふたりきりの時以外は、わたしはべびたんを「暖斗くん」と呼ぶ。
「あらまあ暖斗さん。仲のおよろしいこと。ほほ」
「からかわないでよ。伊央里さん」
彼女はわたし達を見て破顔一笑。とてももうすぐ80歳とは思えないくらいに、テキパキと動く。
逆に、わたし達は自然と無口になって。
「私がいるからって遠慮しないでくださいな」
そう言われても。さっきまでふたりで気兼ねなくやってたけど、大人が入ってくるとちょっとやりにくいよ。高校1年婚前同居カップル。まだそんな図々しくはなれません。
「こんにちは。参州屋で~す」
「ごくろうさま~」
そこにさらに来客。いつも食材を納入してくれる業者の女性だ。そっか。もうこんな時間だ。夕食の準備が始まっちゃう。梅園家はわたしを入れて16人、それだけ夕食を用意するから、準備も明るい内からになる。
「愛依。ちょっと巻きでいこう。型を用意しといて」
「これね」
パウンドケーキの生地を入れる紙製の枠型を持ってくる。この紙箱ごと焼くんです。みんなに配るから大量だ。
そして今回、その包装はわたしに任されていて。どんな風にしようかな? 今からちょっと楽しみだよ。
オーブンの予熱を開始して仕上げに入る。生地にあらかじめ作っておいたカラメルソースを入れる。粘度のついたカラメルは飴みたいにゆるゆると、まるで琥珀色の透明な布が落ちるように、リボン状に垂れていく。
それをべびたんは大雑把に混ぜる。今「大雑把」って言ったけど「雑に」って意味じゃないよ。これも表現が難しい。出来上がった時にカラメルの濃淡が出るようにわざと軽く「混ぜるだけ」にするんだって。
「『大理石状』って言うんだよ? 見た目あんな感じに仕上がればいいんだ」
なるほど! 生地にカラメルの縞模様が残って、まさにそんな感じ!
わたしの「超記憶」は「憶えよう」としたこととか「印象に残った」ことは全部記憶する能力だ。正直「イヤな思い出」も残ってしまう。
「こんな能力いらない」と思うコトも無いこともない。わたしの祖先からの贈り物の「才能」だけど、呪いのような気も、正直していた。
さっき言ったかもだけど、テストではものすごく有利だけど、どれだけわたしが頑張っても「ギフトのおかげ」と努力を評価されない面もあるし。
でも、今日は、今は、その能力がたのしい。べびたんはわたしの知らない世界や知識を教えてくれるし、それを経年劣化させずにずっと記憶していられるなんて「わたしはなんて幸せなんだろう」って心から思えるもの。
「よ~し、じゃあ釜に放り込んじゃおう!」
「じゃあ器具はもう片付けていいのね?」
巻きに入ってからのべびたんは手際がすごかった。生地をさっきの枠型に次々に流しこんで。手が4本あるみたい。さすがケーキ屋さんで鍛えているだけはある。
ちなみに「釜」は電気オーブンのこと。バイト先ではこう呼んでるんだって。
「う~~ん。どうしようかしらねえ。迷うわねえ」
小麦粉が舞った作業台をダスターで拭いてると、伊央里さんの声が聞こえた。勝手口のほうに人の気配がある。
さっきの業者さんだ。梅園家のような集中方式のお家では家族は当然大人数になる。当然食べる量も4家族分だ。
だからスーパーに買い出しでは荷物が多くなってしまうよね。この国では、特に集中方式だと、昔ながらに業者さんが「ご用聞き」に来て、注文と配達を同時にしてくれるシステムが便利みたい。
わたしの実家は通い婚家で女4人だったから業者さん呼ばなかったけれどね。
業者さんは重い荷物を決まった場所に運び入れてくれて、終わったら次回訪問時の注文を聞いていく、そういうシステム。勝手知ったる慣れた担当だったら、何も言わなくてもいつもの場所に運び入れてくれるし、とっても楽。
で、今ちょうどその、資材発注の場面なんだけど。
「お味噌も減ってたわねえ」
「じゃあひと袋足しときますか?」
「ええと。今週お味噌汁が多いのよ。足りるかしら?」
「じゃあふた袋にしときますか?」
業者の女性はハキハキした感じで、スマホに注文を入力していく。重い荷物を持つお仕事だからなのか、華奢な感じではない。
でも伊央里さんも業者さんも、ちょっと困った様子になってきたよ。
「あまりたくさん買いすぎても置き場がねえ」
どうやら、何をどれくらい買うかで迷ってるみたい。
「愛依?」
洗い物をしているべびたんが気にしてくれたけど、わたしは思わす伊央里さんのほうへ進み出ていた。
「伊央里さん。お味噌はふた袋必要です」
「あ、愛依さん。え? お味噌の事?」
わたしはこくん、とうなずく。
「ごめんなさい。でも来週の献立はお夕食にもお味噌汁が2回出ますし、野菜の味噌焼きも1回あります。在庫量を考えると、お味噌ひと袋だとたぶんギリギリです」
ここ梅園家では、朝と夕、食事当番を4人のお義母様たちが週替わりでやっている。食材の準備もあるから1週間分のメニューは当番の人があらかじめ週初めに提示してあった。
わたしを入れて16人、それに伊央里さんも賄いとして自分の家に持って帰る分もあるから、どれくらい作るか? が、けっこう難しい。
足りないと伊央里さんの分が無くなっちゃうし。だいたい多めに作るんだけど、そうすると翌日に影響するくらい大量に余ってしまうことも。
「そうねえ。なにせ16人分だからねえ」
「はい。正確には12.15人分です。お味噌汁ひとり分に9グラム味噌を使うとして、伊央里さんは汁物は持って帰らないから16人分。でも男の人や子供で食べる量が違うので」
「あらやだ愛依さん。小数点第2位まで計算してるの?」
「はい。それで計算すると984.15グラムです。それに水曜日には野菜の味噌焼きが予定されています。確実に1キロ以上味噌を使います」
「そう。そうねえ。で、その12人分、っていうのは?」
「はい。べ‥‥暖斗くんを1として翠ちゃんとか小さい子は0.4とかの係数を掛けてます。白米の食べる量から算定してるんですが‥‥その‥‥人の食事を観察してるみたいになるので‥‥あの‥‥」
口ごもるわたしの背から、声がしてきた。
「すごいわ愛依さん。残り物は悩みのタネだったのよ!?」
不意に後ろから? あれ? この方のお夕食の当番は昨日までだったはず。振り向いて必死に頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。差し出がましい真似を。それにみなさんを観察するようなことを」
「愛依は悪くないよ!」
水場からべびたんの声。
わたしの後ろにいたのは、そのべびたんのお母様。
第二夫人の美純さんが立っていた。