143 加護と気付き
「ふぅ……」
伯爵家のメイドさんが随分前に置いていったお茶を飲んで一息つく。
窓の外からの日差しは暖かいが、これから少しだけ寒くなっていく季節だとか。
とはいえ精霊が暴走でもしない限り雪なんかが降る地域じゃないみたいだけどね。
今日はまたしても女性用下着の出張販売……というか説明会? になっていて。
俺はまぁ男なので隣室でこうやって放置されている。
普通ならお客を接待するはずの伯爵家のメイドさんなんかも、説明会の方に参加しているっぽい。
なんなら館で働いている女性達の仕事が全部止まっているので、男の使用人がそれを肩代わりしているそうだ。
そうして喧噪が漏れ聞こえて来るダンスホールの隣の部屋で、俺は一で人寂しく冷めたお茶を飲んでいる。
ガチャッ。
扉の開く音と、廊下と繋がった事でより鮮明に聞こえるようになった隣室の喧噪が聞こえた事で、俺は扉の方を向く。
するとそこには、いつもの見慣れた姿のメイドが一人。
どうやら、うちの従業員用のメイド服を着たローラが部屋に入って来る所だった。
ローラが入口の扉を閉めると、隣の部屋からの喧噪の音が少し小さくなる。
そのままローラはソファーに座っている俺に近づいてきて、俺の横へと腰掛ける。
今日も今日とてルナやローラやセリィは女性陣への説明役として働いているのだが。
「私の順番になったので、休みに来ました」
そう、疲れた表情で言うローラだった。
さっきはセリィが休憩に来ていたし、順番に休憩を取っているだろう事は知っている。
「ご苦労様ローラ、俺じゃぁ試着の手伝いとか出来ないからな、一人少ないがもう少しだけ頑張ってくれ」
「ああ、はい、アイリは……あれですからしょうがないですし、最初にきっちり教えれば後は勝手に広まるでしょうから問題ないです」
ローラが言葉を濁しているのは、アイリが貴族の子女って事だな。
お忍びの旅とはいえ隣国の公爵家の娘を、使用人としてこの国の貴族の相手を長時間させる訳にもいかんだろう。
なのでアイリは今日も子爵家でダイゴと共にお留守番だ。
「品物の取引確認は済んだし、後は一通りの試着やら商品説明が終わるまでの辛抱だ」
「商売人として嬉しい悲鳴だから大丈夫ですよご主人様……それよりも……」
ローラは商売人気質が強いからな、商売で忙しい事は嬉しいのかもしれん。
「それよりも? どうした?」
「……用意した下着類が全部売れたんですよね? その……お値段は、やはり私達と相談して決めた数字になったんですか?」
あー……気になるだろうなそりゃ。
荷馬車で移動していた時に通り過ぎる街の市場やらでは、ローラやセリィを商談に参加させたりもしたけどさ。
さすがに伯爵夫人相手にそれをする訳にいかんからね、予め値段を決めておいて値引きは一割くらいまでって事にして商会長である俺が商談をしたのだが。
さすが穀倉地帯持ちで、さらには商都と呼ばれる領都を抱える伯爵家だよね、一切値引き交渉もせずにズバッと現金一括払いだったよ。
っとローラに答える前に一応〈気配感知〉とかを使ってっと……うむ、特に盗み聞きしている存在はいないな。
「そうだな、大金貨が数百枚目の前に積まれた時はさすがにびびった……しかも、現状だと安すぎるから次からはもっと値上げするように言われたよ……」
まぁ値上げは次からと言うあたりは、商売気質の強い貴族家らしいとは思った。
「ええ!? ……あの値段でも安すぎると言われたんですか? ……お貴族様相手の商売は桁が違いますね……」
んー……ドリル嬢もケチではなかったけど、ここまでではなかったかもな……そのお貴族様の懐事情にもよるんじゃねぇかな?
「今まであーいう下着はなかったみたいだしな、希少価値って事もあるんだろうさ」
「あ、成程……それは確かにそうかも、……これから先もっと世に出回ったら値段も落ちそうですね」
「そういう事だ、それに一度世に出回れば何処かの商家が真似するだろうし、製造元のブランドを気にしない女性陣ならそういった商品も買うだろうから、過剰な熱も多少は下がるだろ」
伯爵夫人やらのお貴族様は製造元のブランドを意識するから『ダンゼン商会』の下着にこだわるかもだけどな。
「熱ですか……そう……ですね……」
ローラが少し何かを考えるように言葉を濁した。
「どうしたローラ? 何か気になる事でもあるのか? 下着販売で何か問題でもあったか?」
下着の販売で問題があるのは不味いよな、たくさんお金を払って貰っているし、問題があるなら把握しておかないといかん。
「あ、いえ、商売の方は何も問題はありません、下着の取り合いで白熱したバトルが繰り広げられているだけですので、問題はないのですけど……」
……それは十分問題があるのではないか?
いやまぁ殴り合いとかって事ではないのだろうけども……。
色々と種類を揃えたからな……選択肢が多すぎて揉めてる可能性とかあるのか?
……この喧噪が終わったら手に入らなかったデザインの下着とかを求められそうだな。
魔法付与の出来る人材をはよ手に入れないと、女性陣からの圧がすごい事になりかねんかなぁ?
「商売じゃない方で問題があるって事か……あ、もしかして、また馬鹿な男がローラ達に言い寄ってたりするのか? 嫌な相手だと言うのなら俺がぶっ飛ばすから言ってみな」
「そういうのではなくてですね……あの……ですね……」
ナンパではないっぽいが、ローラは何かを言いあぐねている、なんだろ?
「うん?」
「ご主人様は女性達にすごい感謝されているんです」
「ああうん、ちゃんとした下着ってのは体形保持にも役立つらしいしな、自分の体形に会わせた下着ってのは嬉しいよな、コルセットだと下着に自分を合わせるって事もあるらしいし」
「そうです! ご主人様は女性にとっての救世主だったんです! ……それなのに……女性達がその……ご主人様を推さないのが不思議に思えてならないんですよね?」
っと……その内容を聞いてずっこけそうになった。
ああ、なるほどなぁ……そういう話か。
日本にいた頃もなんとなく理解していたが。
……前にマジョリーさんが言っていた俺に備わっている神の加護とやらの話……そして日本にいた頃の経験から察するにだな。
俺は念のために〈光魔法〉で内緒話用の円状結界で俺とローラを包んだ。
「それはたぶんな、彼女達の全てに夫や婚約者や恋人がいるからだと思うぞ」
「どういう事ですか?」
「俺のいた世界の話は前にちょっとだけしたよな? 今考えてみると、その世界で俺とすごく親しい関係になろうとして来た女性達には……そういう相手がいなかった気がするんだよなぁ……」
「恋人がいない女性がご主人様を推すようになると?」
「いやそうじゃなくて、最終的な可能性が……うーん説明が難しいが……マジョリーさんが言うには、俺は少し先の好意の前借が出来るのだそうだ」
実は自分自身の不思議な状況には前々から思う所があったのだが、こうして言葉にしたのは初めてかもしれん。
「よく分かりません……」
「分からんでいいよ、俺も神の加護とか言われてびびったしな……」
人と人なんて一緒に普通に過ごしてりゃ多少は好きになっていくものだしな、それを前借して……って細かく考えても意味ねぇよな。
相手の精神や意思を捻じ曲げる訳じゃないが加速はする……ようは相性の良い相手に好かれやすい体質があるって知ってりゃいい事だ。
日本にいた頃だって俺の事が嫌いな奴は普通にいたし、無差別な魅了とかじゃないなら問題はない。
「推しなご主人様が私達に手を出さないのも……その能力の負い目とかがあるからですか? もしそうだとしたらあまり気にしないでも良いですよ?」
何故そういう話になる……っていや待てローラ! そういうのは駄目だ!
「ローラ」
「はい」
「エッチィ事は結婚してからやるものだろう? 簡単にそういう事を言っちゃ駄目だぞ!」
「……え?」
「爺ちゃんからもそう教わったし、俺の親友も良くそう言っていたんだ、『貞操観念は大事だ!』ってさ」
「はぁ……えっと……そうなん……ですか?」
「そうだろう? それに結婚相手は一番好きな一人を選ぶ訳だし、簡単に答えは出ないだろ? ……日本だと周りにたくさん女性がいたからな……なのでそういう方向には思考も行動も行かないように苦労してたんだぜ?」
そういう苦労を繰り返すうちに、自分の思考が鈍感な感じに染まってくる自己暗示みたいな状態になっている気もするのだが……問題はないな!
エッチィ事は結婚をしてから! うちの爺ちゃんや親友もそう言ってたし!
「……あの、ご主人様?」
「なんだローラ?」
「ここら辺の地域だと、一夫多妻も一妻多夫も慣例的に許されていますけど……」
「……え?」
……。
……。
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