141 一針
「一針縫ってはちちのため、一針縫っては母のため、一針縫っては人のため」
俺は一心不乱に目の前の布に集中する。
人の肌に直接触れる物だし、真面目にやらないといけない。
「一針縫ってはちちのため、一針縫っては母のため、一針縫っては人のため」
今回は技術を見せるというだけなので手縫いで丁寧に作っていく。
大量に作ると言うのなら異世界魔導ミシンさんの出番になるのだけど……あれはあんまり見せたくねぇかなぁとは思う。
さて、今俺は手縫いで女性用ブラジャーを縫っている。
なんでこんな事になったかって、まぁそもそもが女性用の下着が欲しいからと呼ばれた訳だしね。
伯爵様のお屋敷に呼ばれた俺は、応接室のソファーに座りながらの作業は難しいので……床にクッションを置いてそこに正座で座りつつブラジャーを手縫いで作って見せている。
ソファーに座ってお茶を飲むのなら丁度良い高さのテーブルも、作業するとなるとちょっと低すぎるんだよね。
なので俺だけ床に座り、その周りの女性陣がソファーに座ったり、はたまた立ったままだったりで見学されているのだけど。
その女性陣の数が……。
50人以上はいる。
伯爵夫人やそのご令嬢や、親戚の母娘や行儀見習いに来ている貴族関係者のメイドさん等々。
他にも護衛の女性兵士なんかが、一切無言で俺の手元を見ている訳だ。
ちなみに俺はまだ伯爵様に挨拶していないという事になっている。
おかしいなぁ……料理勝負から数日たっているのだけど、昨日や一昨日の晩餐に子爵様のご家族だという兄上様とやらが突然訪ねて来ていたのだけど……。
きっと子爵様の所の料理長とルナが、手を組んで飯を作っているからなのだろうね。
公式に挨拶を出来るのはいつになるのだろう……伯爵様ってのは偉いからねぇ、平民の一商人とそう簡単に面会する訳にはいかないらしいとかなんとかかんとか……。
お貴族様って面倒くさいなーって思った。
唐突に会いにいってもすぐ対応してくれるドリル嬢が、いかにありがたい存在か再度確認出来たよ。
今度またホムラとの宴に招待してあげないとね。
「一針縫ってはちちのため、一針縫っては母のため、一針縫っては人のため」
おっといかんいかん、集中してブラジャーを縫わないとな。
ちなみに色々な裁縫系のスキルを手に入れているので、この『一針縫っては』なんて呟いている時間で針が布を何往復もしています。
今作っているブラジャーは、事前に売り物として買っておいた物を参考にしたデザインで、この世界の布や糸を使って作ってみせている。
さて、最後に糸の処理をして、余った部分をジョキッと切れば。
「完成です」
そう言いながら、テーブルの中央に縫い終わったブラジャーを置く俺だ。
今まで無言だった周囲の女性陣から声が漏れ出し、ザワザワと周囲と会話しながら俺の作品を見ている彼女ら。
そこに護衛を挟んでちょいと遠くにいる伯爵夫人が。
「見事な職人技ね、早速試してみなさい」
伯爵夫人がそんな事を言うと、近くにいたメイドさんが俺の作ったブラジャーを回収し、応接室から出て行く。
ルナ達もメイドさんに付き添うのか一緒に部屋を出て行ったね。
たぶん彼女が試着するのだろうし、その手伝いをルナ達がするのだろう。
事前にルナやローラ達に作成するべきサイズは教えて貰って作ったから大丈夫だと思う。
ちなみにここにアイリとダイゴはいない、アイリは隣国のお貴族様だし、ダイゴは男だからという理由で子爵家に残ってもらっている。
俺は許可を得ると〈インベントリ〉に針やら何やらの縫製道具を仕舞った。
刃物が消えた事で伯爵夫人との間にいた護衛が少しだけ横にずれて、直接顔を見る事が出来るようになる。
伯爵夫人は40代前半……いや、30台後半くらいに見えるかも?
この世界って回復魔法である程度若さを保てるし、それに長命種やその混血とかもいるから。
日本の感覚で判断すると実際の年齢より若く見えたりするんだよなぁ……正直見た目じゃ年齢とかは良く分からん世界だ。
伯爵様はお腹が少し出たポッチャリオジサンって感じだったけど、夫人はきっちり体重管理をしているっぽいね、中々の美人さんだと思う。
今回の依頼って女性の下着の事だからさ、伯爵家の女性陣の相手はローラやルナやセリィがするはずだったんだ。
俺はその間応接室かなんかで一人寂しく待機する予定でね。
でも俺が大量に出した女性用下着の在庫で、伯爵家のダンスホールが大型ショッピングモールの下着屋みたいな事になってねぇ……。
そのあまりの品物の多さに驚きつつも喜んだ伯爵夫人の要請で、何故か俺の職人としての技術も確認したいって話になっちゃってさぁ……。
あれだけの量の様々な下着があるんだから、足りないって事はないと思うんだけどなぁ……。
そうして特に俺と女性陣との間に会話が発生する事もなく、沈黙の時間が過ぎていく。
……ちなみに応接室には俺だけが床に正座で座り、その周囲に女性が50人以上いる状態は変わらない。
そういや、日本でもこんな状況になった事があったっけか、あの時は大変だったなぁ……。
でもここにいる人達はあんなには――。
あ、応接室にさっき出て行ったメイドさんが戻ってきた、付き添いのルナ達も一緒にいる。
そのメイドさんは伯爵夫人の側に行くと、何やら耳打ちで報告している。
でも俺にはその耳打ちは聞こえちゃうんだよね。
ちなみにその内容は。
『さきほど試した新しい女性用下着類とほぼ同じ感触です、サラシやコルセットと比べ物になりません』
とかなんとか。
すでに、魔法付与された異世界下着はここにいる女性陣全員が試しているみたいなんだよね。
ならなんで俺に作らせたのかが謎いんだが……。
俺が不思議に思っていると、別のメイドさんが側にきてソファーに座るようにと促してきた。
作業タイムは終わりって事か。
クッションから立ち上がった俺に合わせるように、ソファーをテーブルの側に移動させてきたので、素直にそこに座る事にする。
今まで床に座っていた事で女性陣を見るのに上目使いをしないといけなかったのだが、やっとまっすぐ見る事が出来るようになったね。
それでもずらっと周囲に並んだ女性達からの圧迫感はあんまり変わらないのだけど。
俺がソファーに座り伯爵夫人へと視線を戻すと、夫人が口を開く。
「あの素晴らしい下着類を作る技術が貴方にある事は確認出来たわ、褒めて差し上げます」
「ありがとうございます伯爵夫人」
別にケンカを売りにきた訳じゃないからね、褒めてくれるというのならば素直に受け入れるさ。
「ですけど、貴方は魔法付与を出来ないのよね?」
「はい伯爵夫人、今は心当たりのある相手に交渉する予定です」
マジョリーさんにそのうち頼んでみないといけないよなぁ。
「成程……心当たりがすでにある……つまり、あれらの素晴らしい下着の新作がこの先も出回るという事ね?」
む、伯爵夫人はその言葉と共に、周囲の女性陣諸共に無言の圧力を発してきている。
……ああ……そういう事か……。
あの量なら今は十分だけど、これから先も製品が出回るか心配していたのか。
そういやトーリ様には、あれらは他大陸から運んできた在庫だって伝えたんだっけか?
「ええと、魔法付与された物は技術者を雇えたならばそうなります」
俺がそう口にすると、女性陣は明らかに安堵した表情を見せてくる。
そこまで心配する事だろうか?
……俺の製品を他の服飾系商人にでも見せて模倣させてもいいんだしさぁ。
俺は別に真似されても文句言わないよ?
俺の表情から何かを伺い知れたのだろうか、伯爵夫人が説明を初めてくれるのだけど……。
「良く分かってないみたいだけど、すでに貴方の『ダンゼン商会』は有名なのよ?」
「えっと……ありがとうございます?」
話の流れがちょっと良く分からないので疑問符を付けてしまった。
伯爵夫人は特に怒る事もなく、周囲の女性陣も伯爵夫人の言動に頷きをもって同意しているのみだ。
「数百万枚の使いやすい下着を世に出した衝撃は王都にすら轟いたでしょうね、しかも、今回のこの魔法付与された素晴らしいデザインと機能的な下着の数々……これは確実に私達から周囲に情報が広まるわ!」
伯爵夫人の語気が荒くなってきた。
「こんな素晴らしい物を……もし私達だけで独占してしまったら、どうなると思う?」
「えっと……」
「そう! 王侯貴族の女性陣全てに恨まれてしまうのよ!」
俺が何も答えてないのに話が進んでいくようだ。
うむ……しばらく黙っている事にした。
「だからこそ貴方が新しい製品を本当に作れる事に安堵したの……そして魔法付与をする人材に心当たりがあるという話を聞いてホッっとしたわ……」
成程?
「恐らく貴方は不思議に思っているのでしょうね? 別にデザインが同じならば自分が作った下着でなくても良いのでは? とね」
おー、まさしくその通りです伯爵夫人。
「でもね、さっきも言ったけど、すでに『ダンゼン商会』の名前は有名になっているの、そこから出た商品を安易に真似した模造品を……気位の高い貴族が着ると思うのかしら?」
んん?
「下級貴族や平民なら気にしないのでしょうね……でも私達は違う、例え『ダンゼン商会』が型紙を売りに出して公式に他の商会で作られた製品だとしても……デザインの出所がすでに知れ渡ってしまっている状態だと、それらは一段下の価値としか認めない……貴族というのはそういう面倒な存在なのよ……」
ははぁ……つまり……『ダンゼン商会』というブランドがすでに確立してしまっているという事?
同じ見た目でもブランド品かそうじゃないかでって事か……。
そこまでは予想出来なかったな……。
実はさ、人気が出たら下着の型紙やら作り方を、他の大手商会とかに売ろうかなと思ってたんだよね……。
ブランドかぁ……つまり俺の商会は下着ブランドとしての道を歩み始めてしまったという……。
おかしいな、隣国から珍しい食い物やら魔道具なんかを仕入れて売ったんだけどなぁ……その実績は忘れ去られているのだろうか。
……。
伯爵夫人の言葉が止まる。
言いたい事は言い終わったようだ。
じゃぁ俺も何かを言わないとな、えーっと……。
「えっと、これからも私共『ダンゼン商会』は、女性のスタイルと健康を守るために、新たなタイプの下着を世に出していこうかと思います」
まぁ、こんな所だろうか?
「ええ、期待していますよ『ダンゼンパンツ商会』のパンツーゼン商会長!」
……はい?
伯爵夫人が笑みを浮かべながら口に出した言葉を聞き……衝撃の余りに止まってしまっ俺の思考。
……俺は時間をかけてその内容をかみ砕いて理解すると。
周囲の女性陣の中にいたトーリ様とそのお付きのメイドを見た。
彼女達は焦ったように伯爵夫人と俺の間で視線を揺らしている……。
彼女達は貴族や役職としての義務から、馬車内で俺とした会話を報告したんだろうけども……。
だからってその部分をここで使うかねこの人は……。
俺は含み笑いをしている悪戯好きが判明した伯爵夫人をしっかりと見つめると。
「はっ伯爵夫人! 私は世のため女性のために粉骨砕身の想いで邁進していきます!」
と、答えてあげる事にした。
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