94話 呪術師の行方と黒い霧2
「ここが、セバスさんの言っていた屋敷か」
俺は目の前に立つ大きな屋敷を見上げて独り言ちた。
地図上で確認した通り、ユリウスの屋敷よりはいくらか小さいものの、一般人である俺にとっては十分に大きな屋敷だ。以前は貴族が住んでいたと聞いたが、それも納得できるような様相をしていた。
俺達は屋敷の門の外側から中を覗き見ている。何か手掛かりはないか、フィリーネやオスヴァルトの姿はないかと目を細くするものの、これと言ったものは見つけられない。
まず何よりも、視界が悪いのだ。屋敷の周囲には黒い霧の帳が降り、その姿を覆い隠している。何もそれは屋敷の周囲だけではない。俺達の周りにも黒い霧が立ち込めていた。
ここに辿り着くまでの道中でも、黒い霧は掛かかっていた。それも、屋敷に近づくほどに霧は濃くなる一方である。異変の原因がこの屋敷にある確率は高そうだ。
その霧に覆われた屋敷の一箇所に、薄ぼんやりとした明かりが灯っているのが見える。空き家になっているとセバスチャンは言っていたが、中に誰かいるのは間違いないだろう。それがオスヴァルトである可能性は高い。
俺は同行しているクリスティーネとシャルロットへと目を向けた。二人とも、俺と同様に入口から屋敷の様子を観察している。
「クリス、シャル、体調に変化はないか?」
この黒い霧が、呪術由来のものであることは間違いない。今のところ俺自身は何ともないが、この黒い霧の中に長時間留まると体の重さや苦痛といった体調に異常を来すはずだ。
俺の問いに、二人は自身の体調を確かめるように己の体を見下ろした。
「えっと……ちょっと体が重く感じるかも」
「クリスさんもですか? 私も、何となくそんな感じが……」
「……急いだほうがいいな」
まだ黒い霧の中を通って、それほどの時間も経過していない。それでも、二人は若干の違和感を覚えているようだった。そのうち俺も、体調に不調を来すことだろう。
急いだほうがいい。ここでこうしていても、イタズラに時間を消費するだけだ。
「屋敷を調べよう。行くぞ」
「うん!」
「はいっ」
静かに門を開け、するりと屋敷の中へと侵入する。そうして、脇目も降らず一直線に屋敷へと向けて駆け出した。
そうして庭を横断する中、前方の人影に気が付いた。俺達はその人影から少し距離を開けて足を止める。
そこにいたのは、黒い霧に溶け込むような黒いローブを着た人物だ。フードを目深に被った姿からは表情が読み取れないが、その姿は間違いなくパーティ会場でオスヴァルトと共にいた女だろう。
俺は素早く腰の剣を引き抜き、切っ先を女へと向ける。オスヴァルトの操る呪術は脅威だが、それ以上に不気味なのがこの女だ。今も尚、ただそこにいるだけだというのに、その身から異様な気配とでも言うべき不可視の力を感じる。実際の危険度は、オスヴァルトよりもこの女の方が遥かに上なのではないだろうか。
「お前がここにいるということは、オスヴァルトは屋敷の中にいるな?」
答えを期待しているわけではないが、一応問いかける。パーティ会場で二人が行動を共にしていた以上、今も一緒にいると考えて良いだろう。
「えぇ、中にいますよ。『万能』の君は、彼を止めに来たのでしょう?」
ローブの女は存外素直に答えた。その言葉を素直に信じるべきではないが、オスヴァルトが屋敷の中にいるのは間違いないだろう。
それにしても、と俺は考える。ローブの女の言う「『万能』の君」とは俺の事を指しているとみて間違いないだろう。間違いないのだが、それの意味するところは不明だ。その口振りは、まるで俺の事を知っているかのようである。だが、俺はローブの女に心当たりなどはない。
「その通りだが……お前、俺の事を知っているのか?」
「えぇ、知っておりますよ……とても良く、ね」
そう言って、ローブの女は口元を隠すように袖口を持ち上げた。
得体の知れない女だ。出来ればこの女も、オスヴァルト同様に捕えるべきだろう。その関係性や目的を知るためにも、捕縛は必須である。
だが、と俺は思案する。
ローブの女とオスヴァルト、どちらを優先するかと問われればオスヴァルトに軍配が上がる。呪術を用い、この黒い霧を発生させているのがオスヴァルトである以上、その身柄を抑える方が優先だ。
決まりだ。
まずはオスヴァルトをどうにかしよう。ローブの女の事を考えるのは、その後だ。
「悪いが、そこを通してもらうぞ」
妨害されるだろうが、まずは力尽くで突破しよう。二人が分断されている方が俺達には都合が良いが、例え合流されたとしてもオスヴァルトを真っ先に叩くべきだ。
そんな風にこれから取るべき行動について考える俺だったが、返ってきたのは予想に反する答えだった。
「えぇ、構いませんよ。『万能』の君は、どうぞお通りください」
「……何?」
通すと、そう言ったのか。拍子抜けする俺の前で、ローブの女は口元を隠しながらも笑みだとわかる仕草を見せる。
「『万能』の君は通しましょう。その方が、私にとっても都合が良さそうです。ただし――」
一度言葉を切り、ローブの女は片手を前へと向けた。
「――そちらのお嬢さん達は、私と残ってもらいましょう」
クリスティーネとシャルロットは通さないと、そう言っている。その言葉の意味するところは何だろうか。
考えられるのは、この先に罠が張られている可能性だろうか。しかしそれならば、三人一緒に罠にかけてしまう方がいいだろう。俺だけを通す理由がない。
どうするべきか。取れる手段は三つだ。
一つは女の提案に乗り、クリスティーネとシャルロットで女の相手を、俺がオスヴァルトの相手をすることだ。上手くいけば、異変を治めると同時に二人ともを捕縛することが出来る。
一つはこの女を無視し、三人でオスヴァルトの元に向かうことだ。その場合の女の行動にもよるのだが、おそらく最短で異変を治めることが出来るだろう。だがそうすると、この女は逃走する可能性がある。
もう一つはこの女を三人で捕縛してからオスヴァルトの元へ向かうことだ。その場合、確実に二人を捕えることが出来る。だが、異変を治めるのには少々時間がかかるだろう。
俺はどう行動すべきかを迷っていた。何よりの懸念は、この女の実力だ。それによっては、選んだ行動によって結果が大きく異なってくる。どの選択が正解だ。
「先に行って、ジーク!」
「クリス?」
悩む俺に並ぶように、クリスティーネが女へと剣を構えて見せる。
「オスヴァルトは早く捕まえないとダメ。でも、この人も放っておくわけにはいかない。そうでしょう?」
「あぁ、そうだ。だが……」
「それなら、先に行って!」
クリスティーネの言う通りではある。この女とオスヴァルト、どちらも捕える必要がある。
だが、この場を二人だけに任せても良いのだろうか。どうしても、心配が募ってしまう。
尚も悩む俺の隣で、クリスティーネは力強く声を発する。
「私とシャルちゃんも、冒険者なんだから!」
その言葉に、俺ははっと我に返った。そうだ、二人とも冒険者なのだ。
クリスティーネは言うまでもなく、一人前の冒険者である。俺が安心して背中を任せられる相手だ。
シャルロットだって、まだ発展途上ではあるが、確実に地力をつけている。魔術の腕だけで言えば、既に中堅冒険者並にはあるだろう。
二人とも俺の守るべき相手ではなく、俺と肩を並べて共に戦う仲間だ。
その仲間を、俺が信じてやらねばどうするというのか。
「そうだな。この場を任せていいか?」
「任せて、すぐに追いかけるから! ね、シャルちゃん?」
「はい、クリスさんがいてくだされば、大丈夫です!」
二人とも、この場を請け負うことには何の疑問も抱いていないようだ。それならば、その選択を信じるのも仲間の役割だろう。
俺は二人に「任せる」とだけ残すと、再び屋敷へと向けて駆け出した。
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