77話 白翼の少女5
「礼を?」
フィリーネの発言に、俺はそう問い返す。フィリーネに礼を言われる覚えなど、ない……わけでもない。王都からオストベルクへと向かうアンネマリーの護衛中にフィリーネを助けたのだから、その時のことを言っているのだろうか。
しかし、あれから若干の間が空いているうえに、礼ならその時も言われている。礼の品などは特に貰ってはいないが、別に見返りを求めての事ではない。フィリーネ達が進行方向上にいたために、ついでに助けただけである。もちろん、多少街道から離れていたとしても救助に向かっていただろうが。
「礼ならもう聞いたが」
「んん、そのことじゃなくって」
そう言いながら、フィリーネはふるふると首を横に振って見せる。その動きに合わせて鳥の頭を模した赤いフードが揺れ、綿のような白い髪がふわふわと漂った。
「お屋敷にいた時の事。フィーがついて来るの、許してくれたでしょう?」
その言葉に、俺達がユリウス邸にいた時のことを思い出す。
『私も一緒に行くの』
フィリーネがオスヴァルトの事を教えてくれた後、ユリウスの護衛依頼へフィリーネが同行を申し出たのだ。フィリーネが俺達と共にアンネマリーの護衛を引き受けたと勘違いしていたハイデマリーはともかく、セバスチャンは困ったような顔を浮かべていた。
それはそうだろう。あの時点で、フィリーネは道中たまたま行動を共にすることになっただけの、一冒険者に過ぎなかったのだ。護衛依頼を受けていたわけでもないため、セバスチャンもどう対応したものか迷っていただろう。
『いいんじゃないか? 相手の顔がわかる者がいたほうがいいだろう』
そこで、フィリーネの同行に賛同を示したのが俺だった。実際、オスヴァルトの顔を知る者が一人でもいたほうが、いないよりかはずっと良いだろう。それに、フィリーネは一般人と言うわけではなく仮にも冒険者なのだから、自分の身は自分で守れるだろう。聞けば、剣術の他に風属性の魔術が得意なのだそうだ。少なくとも、戦力としては数えられるだろう。
体調が芳しくないという点が少々不安要素ではあるが、多少なら俺が気にかけてやればいい。本人が望んでいることではあるし、断るほどの理由はなかった。
俺が賛成したことで、セバスチャンも納得したようだ。雇い主の許可を得たことで、フィリーネは今もこうして同行することとなっている。
しかし、俺はただフィリーネの後押しをしただけである。決定権は俺達を先導するセバスチャンにあったため、礼を言われるほどの事ではない。
「礼なら許可を出したセバスさんに言うべきじゃないか? 確かに俺は賛成したが、決めたのはセバスさんだろう」
「でも、ジーくんが言ってくれなかったら、許されなかったと思うから」
さて、それはどうだろうか。案外、普通に許可をくれそうなようにも思える。だが、確かに俺の発言で流れが決まったというのはあるだろう。ここは素直に礼を受け入れておくのがいいだろう。
「まぁ、人数が増えれば、それだけ楽にはなるだろうしな」
「ありがたいの。お礼に、何かしてあげられることはないの?」
「何かと言われてもな……」
盗賊から助けた時も今回も、見返りを求めての事ではない。そのため、俺から対価を要求する気などはなかった。
なかったのだが、俺の視線は自然とフィリーネの背にある白い大翼へと向かった。汚れ一つない白い翼は、一面をふわふわの羽毛に覆われている。触れてみれば、実に手触りがよさそうである。
出来れば、翼を触らせてほしいというのが本音である。あのふわふわの羽毛に覆われた翼は、一体どのような感触なのだろうか。表面を撫でたり、腕を埋めたりしてみたい。
しかし、その背の翼はフィリーネの体の一部であるのだ。女性に向かって、体に触らせてほしいと言うのは、はっきり言って変態の所業だろう。
有翼族の文化についてはよく知らないが、他者に翼を触らせるのは大丈夫なのだろうか。
いや、少し惜しいが、ここはやはり止めておくべきだろう。触り心地は気になるが、嫌がられるリスクを負ってまで触りたいというわけではない。
そんな風に考えていると、俺の視線に気づいたのかフィリーネが己の翼へと目を向けた。こちらに見せつけるように、少し翼を動かして見せる。
「ジーくん、どうかしたの? 翼が気になる?」
「ん、あぁ、翼があるって言うのはどんな気分なのかなって」
誤魔化すように言ったものの、その言葉は本心だった。いくら俺が『万能』のギフトを持っているからと言って、さすがに空を飛ぶことはできない。
いや、風属性の上級魔術を使えるようになれば、短時間であれば空中に浮くようなことも可能だと聞く。それでも、自由に長時間空を飛ぶということはさすがに不可能だろう。
それを思えば、自由に空を飛べる半龍族や有翼族と言うのが羨ましく感じるものである。空から見る景色と言うのは、いったいどのようなものなのだろうか。
俺の言葉に、フィリーネは空を見上げた。俺もそれに釣られるように顎を上げ、満天の星空を視界に収めた。今宵も、双子の姉妹月が暗闇の中ぽっかりと浮かび上がっている。
「そうだねぇ、飛ぶのは気持ちいいよ? フィーはね、空から街を見下ろすのが好きなんだぁ……また、飛べる日が来るかなぁ」
フィリーネの言葉に、少し寂しそうな色が混ざった。どうやら、未だ飛べない状態らしい。
「まだ、体調は良くならないのか?」
「うん、まだちょっと、ね」
そう言って小さな笑みを見せたフィリーネの表情は、やや眉尻を下げたものだった。相変わらず眠たげな目で表情の変化が乏しいものの、体調が悪いというのは嘘ではないだろう。
何とかしてやりたいが、光魔術では傷を癒せても体調を回復させることはできない。症状にもよるのだが、薬の類で何とかする他ないのだ。
「そうだ! また飛べるようになったら、ジーくんを抱えて飛んであげるの」
「興味はあるが……風の魔術をもう少し使えるようになってからにしてくれ」
空からの景色と言うのは見てみたいが、あまりにも高い場所では恐怖の方が勝るだろう。身体強化した体であれば落ちても死なないかもしれないが、間違いなく骨折くらいはするはずだ。せめて、落ちたとしても死なない程度に、風の魔術を練習しておきたい。
もっとも、その頃には俺達とフィリーネは行動を共にしていないだろう。今回の依頼を完遂すれば、俺達とフィリーネが行動を共にする理由はない。俺を抱えて空を飛ぶ役目は、クリスティーネにお願いすることになるだろう。
「覚えておくの。それじゃ、フィーはそろそろ寝るの。ジーくん、見張りをよろしくお願いするの」
「あぁ、おやすみ。しっかり休んでくれ」
フィリーネは軽く手を振ると、馬車の中へと入っていく。白い翼が視界から消えるのを見送って、俺は再び手に持つ本へと目線を落とした。
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