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71話 月下の授業1

 緩やかな風に吹かれて、橙色の炎がその身を躍らせる。その度に、小さくパチパチと言う音と共に炎が爆ぜた。

 すでに夜の帳が降り、あたりは暗闇に包まれている。広い平原の中には光源など存在せず、唯一の明かりである焚火がほんのりと数歩先までを照らしていた。


 昼間はいくらかの雲も出ていたのだが、今はすべてが綺麗に消え去り、満点の星空が顔を覗かせている。取り分け、双子の姉妹月が今宵は良く見えた。

 それでも、月明かりの弱々しさでは闇夜を照らし出すほどの力はない。そのため、俺は視覚に頼るのではなく、目を閉じて聴覚へと神経を注ぐのだった。


 今はオストベルクへの護衛依頼、その二日目の夜を迎えていた。日中、フィリーネが盗賊達に襲われているところに遭遇するというトラブルはあったものの、道程は順調である。この分なら、予定通り明日中にオストベルクへと辿り着くことになるだろう。

 そんなことを考えていると、俺の背後から微かな物音がした。閉じていた目を開き、俺は反射的に、剣へと利き手を添える。


 それもつかの間の事で、俺はすぐに肩から力を抜いた。音の出所は、俺の背後にある馬車だったからだ。

 大方、車内の女性陣の誰かが寝返りでも売ったのだろう。そう思い、顔を前方へと戻そうとする俺の視界の端で、馬車の扉がゆっくりと開き始めた。


 俺が戻そうとする頭を止めたまま扉を眺めていると、扉は尚も開き続ける。そうして、馬車から姿を見せたのは、護衛対象である貴族のお嬢様、アンネマリーだった。

 アンネマリーは馬車から降りると後ろを振り返り、音を立てないよう慎重に扉を閉める。それから、俺の方へと歩み寄るのだった。


「見張り、ご苦労様です。少し、隣をいいかしら?」


 車内で眠っていると思っていたアンネマリーが起きていることには少し驚いたものの、特に緊急事態が発生したわけではないようだ。単に目が覚めただけだろうか。


「あぁ、構わない……いや、少し待ってくれ」


 俺はアンネマリーへと一つ断りを入れると、傍らに置いてあった背負い袋を引き寄せた。それから袋の口を開けて手を入れると、中から一枚の毛布を取り出した。大の大人でもすっぽりと包み込めるような、大きな毛布だ。

 そうして背負い袋を元の位置に戻し、俺は隣へと毛布を広げて見せる。


「この上に座るといい。それに、この気温だと少し肌寒いだろう」


 これから夏に向けて気温は上がるだろうし、日中も十分に暖かいのだが、夜はさすがに少し冷え込む。俺自身、薄めではあるが毛布に身を包んでいるのだ。それなりに暖かそうな恰好のアンネマリーだが、万が一にも風邪などひかせるわけにいかない。


「ありがとう、気が利くのね」


 アンネマリーは微笑みながら、毛布の上に腰を落とした。それから毛布を抱き寄せ、すっぽりとその中に包まれる。アンネマリーが小柄なのもあって、毛布の大きさは十分なようだ。

 それからアンネマリーは、未だ俺達の前で静かに爆ぜる焚火へと手を翳す。


「それで、どうしたんだ? 眠れないのか?」


「特に何かあったわけではないのよ? ただ、初めての事ではないとは言え、馬車で寝るのなんて慣れてないから、よく眠れなくてね」


 アンネマリーの話を聞いて、それも無理もないことだと思う。俺達のような冒険者であれば野宿なども慣れたものだが、貴族のお嬢様であるアンネマリーにとっては普段の環境と違いすぎるのだろう。

 この分だと、昨夜もよく眠れなかったのではないだろうか。一応、女性陣には馬車の中を寝床として充てられているが、外よりは幾分マシとは言え、その環境は宿の一室とも比べ物にはならない。アンネマリーにとっては、普段との落差は俺達よりもずっと大きいだろう。


 かと言って、俺からしてやれることなど何もない。少々気の毒には思うが、あと一日だけ我慢してもらう他ないだろう。

 そんなことを考えていると、焚火に手を翳したまま、アンネマリーが俺の方へと顔を向けた。


「ねぇジークさん、私が眠くなるまで、何かお話をしてくださらない?」


「何かと言われてもなぁ……」


 自慢ではないが、俺はそれほど語って聞かせるような話を知っているわけではない。空で話せるほど覚えている話など、精々が有名な童話二、三個程である。

 それくらいの話なら、アンネマリーだって知っているだろう。そう思って尋ねれば、アンネマリーからはそうではないと返答が返る。


「ジークさんは冒険者でしょう? お仕事中に、何か面白いことはなかったかしら?」


「面白い話ねぇ」


 俺は片膝を立てた足へと肘を乗せる。アンネマリーに請われたところで、冒険中にもさして愉快な話があったわけではない。冒険者の活動は、世間一般では面白おかしなイメージが先行しているようだが、実態はそのほとんどが地味なものである。

 俺が話せるような話など、クリスティーネやシャルロット絡みのことだろうか。しかし、そのあたりの話など、ここ二日間で二人からすでに聞いていてもおかしくはない。


 俺がクリスティーネに出会う前の記憶を掘り起こしていると、目を輝かせたアンネマリーが問いかけてきた。


「例えば、龍に出会ったとか、幻獣に出会ったとか! 冒険者なら、会ったことあるでしょう?」


「龍に会ってたら、俺は今頃空の向こうだろうなぁ」


 俺は天に瞬く星々を見上げながらそう呟いた。

 この世界には、龍と呼ばれる生物が存在する。その生態は種類によって様々だが、その大半は俺達、人の身からすると遥かな巨体を誇る。

 その背の翼の羽ばたき一つで山から山へと飛びまわり、鋭い爪はあらゆるものを容易く引き裂く。強靭な鱗に全身を覆われ、並の武器では歯が立たず、あらゆる魔術に対する耐性を持つとされる。


 幸い、人とは生活圏が異なるため、出会うことなど滅多にない。もしも人と龍の生活圏が被っていたなら、人などとうの昔に絶滅していたことだろう。

 俺としても、いつか一目くらいは見てみたいと思うのだが、それも相応の実力を身に付けてからだ。今出会って機嫌でも損ねようものなら、ぷちっとやられてしまうだろう。


「それじゃ、幻獣は?」


「いいか、アンナさん。幻獣って言うのは、幻の存在だから幻獣って呼ばれるんだ」


 幻獣と呼ばれる存在にも幾つかの種類が存在するが、その何れも生息しているのは灼熱の火山地帯だったり極寒の雪原だったり、標高の高い山の上だったりと、人が立ち入るのが困難な場所ばかりである。当然、俺はそのような場所には未だ踏み入ったことがない。

 街からすぐに行ける森の中などに、幻獣が存在しているわけがないのだ。ある意味、生息域が少しは判明している龍以上に出会うことが困難な存在である。


「そうなんですか……意外と、冒険者って夢が無いんですね」


「これでも結構楽しいものなんだが……まぁ、貴族のお嬢様の暮らしとは全然違うさ」


 俺としては今の暮らしでもそれなりに楽しめているのだが、貴族の少女にとっては地味な話に聞こえることだろう。いつか、俺にも人に話して聞かせるような冒険譚が出来るだろうか。

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