679話 悪魔の種14
「クリス!」
俺はすぐさま踵を返すと、外壁に空いた穴へと急ぐ。
そうして潜り抜けた先で目にしたのは、丘の上で蠢く黒い植物だった。
「――っ、何でだ!」
先程、しっかりとこの目で確認したんだ。あの丘の上には街から逃げ出した人々の姿があり、そこに寄生樹の影は見えなかった。
だからこそ、クリスティーネ達をそちらへ先に向かわせたのだ。だと言うのに、少し目を離した間に一体何があったというのか。
『傷を負いながら町へと逃れた町人も、その先で体に枝葉を咲かせた。』
思い出すのは、オスヴァルトから聞いた一説だ。
おそらく、街中で寄生樹に襲われた者が辛くも逃れたものの、その身に苗を植え付けられていたのだろう。そうして逃れた先、あの丘で芽吹いたということか。
それに気づけるだけの情報は得ていたのだ。この展開も、十分に予想出来たことだろう。だと言うのに、俺はいったい何をしているんだ。
幸いなのは、クリスティーネ達がそこまで辿り着いていなかったことだ。俺と丘との丁度中間あたりから、こちらへと引き返していた。俺もまた、彼女達のもとへと急ぐ。
「ジークハルト!」
「無事か、イルマ?」
「平気よ、何ともないわ」
そう口にするイルムガルトはもちろん、彼女の背負うシャルロットにも外傷は見られない。その後ろから、油断なく剣を構えたクリスティーネが、後方へと半身を向けたままじりじりと後退してくる。
「ジーク、どうしよう?」
こちらへと問いかけるクリスティーネの瞳は、俺を真っ直ぐに見つめている。先に彼女達を危険な方へと向かわせてしまったにもかかわらず、そこには変わらず俺への信頼が見て取れた。
これ以上、判断を誤るわけにはいかない。
選択肢は二つだ。
即ち向かうか、留まるか。
自分たちの身の安全だけを考えるのであれば、この場に留まるのが無難だろう。街中から離脱する際に多くの人々を置いてきたように、むざむざ危険を冒さなければ、少なくとも俺達の身の安全は保障される。
少々薄情かもしれないが、所詮は見ず知らずの赤の他人だ。助ける義理もないし、見捨てたところで誰も責めはしないだろう。例え、あの場の人々が死に絶えたとしても。
けれど。
そう、けれどだ。
目の前で襲われている人を見捨てていい道理など、あるはずがない。
別に俺は自分が根っからの善人だなどと思ってはいないが、それでも目の前に困っている人がいて、自分の協力で解決できるのであれば進んで手を貸すだけの度量はあるつもりだ。今見えるだけの規模であれば、俺の力だけで事態を収めることは可能だろう。
何よりも街中の状況と異なるのは、シャルロット達は安全圏にいるということだ。ここであれば、少なくとも先程までよりはずっと危険度は低いはずで――
「……いや」
考えが甘すぎる。そんな浅い考えをしているから、目の前の惨状を予想できなかったのだ。この場も十分に危険だと考えるべきだろう。
それなら先程のように、クリスティーネをイルムガルトとシャルロットの護衛として残し、フィリーネとアメリアと共に向かうのが良いのか。仲間の安全と人々の救出を両立させるのであれば、それが最善に思える。
だがそれは、先程までの話だ。
シャルロット達を街の外へと逃し、街中に残った人々を助けるにはそれが一番だと思っていた。だが、目の前の状況を見れば、それは誤りだったとわかる。
何しろ、どこに寄生樹を宿らせた人が潜んでいるのかもわからないのだ。少なくとも、外見で見分けられるのかどうかという情報すら、俺は持ち合わせてはいない。
つまり、あの丘に見える寄生樹すら、一体だけとは限らないのだ。フィリーネとアメリアを伴った先で、囲まれるという事態すら考えられるだろう。そうなれば、次こそ無事に済む保証はない。
優先すべきは仲間の無事だ。当然それはわかっている。それでも、目の前の人々を見捨てたくはない。
ならばもう、取る道は一つしかないだろう。
「俺が行く! 皆はここで待っててくれ! 近づいて来る者には気をつけろ!」
「えっ、ジーク?! 待っ――」
背中にクリスティーネの静止の声を受けながら、俺は剣を手に駆ける。
きっとこの選択も、正しくはないのだろう。
私達を置いて突然走り出してしまったジークハルトの姿に、私は困惑を隠せない。
「ジーくん、昨日からちょっと変なの」
「……やっぱり、フィナちゃんもそう思う?」
ジークハルトの様子が、どこかおかしい。
どうやらフィリーネも私と同じ考えのようだ。昨日から、具体的には昨夜あたりから、ジークハルトは何やらピリピリした様子というか、少し余裕がないように見える。
別に、明確に取り乱しているとか、そういうわけではない。ただ、普段はもっと落ち着いている彼から、少し焦燥感を感じるのだ。
この目の前の光景だって、いつものジークハルトであれば予想が出来てもおかしくはない。もっとも、同じ話を彼から聞いていた私は、思い至りもしなかったけれど。普通に見える人にも注意が必要だというのは、つい今しがた彼から気を付けるように言われて気が付いたことだ。
一体何が、ジークハルトから余裕を奪っているのだろうか。
もちろん、昨日の出来事が要因の一つだということはわかっている。私だって、街中で襲われたことには少なからず動揺した。
とは言え、これまでにも同じように大変な出来事にはたくさん巻き込まれてきた。今も緊張感はもちろんあるが、変な意味で慣れてしまったというか、慌てふためくような状況ではない。それはジークハルトだって同じことだろう。
昨日のことでシャルロットが怪我を負い、体調を崩したことを気にしているのだろうか。私ももちろんシャルロットのことは心配だが、怪我は昨日のうちに治しているし、体調もしっかりと休ませてあげられれば、すぐに良くなることだろう。
冒険者であれば多少の怪我くらいは日常茶飯事だし、私やフィリーネなんかも大怪我を負ったこともある。その時だって、ジークハルトはこんな風に余裕を失ったことは……ううん、思い返してみれば割と焦ってはいたけれど、それでもここまで引き摺るようなことはなかったと思う。
「ジークハルトの様子は気になるけど、それよりもどうするの? と言っても、私には何もできないんだけど」
「イルマはシャルを守ってるんだから十分でしょ。その分、私たちが動けるんだし」
アメリアの言う通りだ。動けないシャルロットをイルムガルトが背負ってくれているおかげで、アメリア達の手が空いている。私も二人が一緒に動くことになるので、守りやすくてとても助かっている。
「あの、私なら大丈夫です。ジークさんを、助けに行ってあげてください」
「シャルちゃん、無理しちゃダメだよ」
未だシャルロットの顔色は悪い。むしろ、宿にいた時よりも悪化しているだろう。背負われているとはいえ、街中からここまで揺さぶられているのだから当たり前だけど。
シャルロットとイルムガルトを二人だけ残すという選択はあり得ないから、私もこの場に残ることになる。あとは、フィリーネとアメリアがどうするべきなのか。
ジークハルトは全員でここに残るように言っていたけれど――
「今のジーくんを一人だけで行かせられないの」
「そうね、心配だわ」
フィリーネとアメリアが頷き合う。私も同じ気持ちだ。普段のジークハルトであれば一人で向かっても大丈夫だろうと思えたが、今の彼はどこか危ういところがある気がする。
本当は私も一緒に行きたいが、治癒術の使える私がシャルロットの元に残るのが一番いいとわかっている。それなら、ジークハルトのことは二人に任せるほかにない。彼の指示には反するが、二人にはジークハルトの助力をしてもらうべきだ。
「こっちは大丈夫。ジークのところに行ってあげて!」
「クーちゃん、ここは任せるの! アーちゃん!」
フィリーネの言葉に、アメリアは小さく頷くと、その健脚でジークハルトの後を追い始めた。




