676話 悪魔の種11
少女の声が届くと同時、考えるよりも先に体を動かす。
俺は立ち上がると同時に魔力を練り上げる。反射的に腰の剣へと手を伸ばし、空を切ったことで今は帯剣していないことを思い出した。
その一瞬の間に、シャルロットを抱えたフィリーネが入り口の扉方面へと退避する。俺はクリスティーネと共に、イルムガルトを手で制しながらその後を追う。そうして下がりながら、反対の手を窓側へと向けた。
「『光の盾』!」
俺とクリスティーネの声が重なる。
生み出されたのは二重の障壁。
先を見通せる半透明の壁は、俺の身長よりも頭一つ分ほど高い。
幅は両手を広げたよりも更に広く、俺たち全員が隠れるには余裕のある大きさだ。状況がわからない以上、どこから何が来ても防げるように、大き目の盾を張るのは不可欠である。
広げるほどに盾はもろくなるが、そこは注ぐ魔力の多さでカバーだ。
しかし、盾の内側にアメリアは入っていない。窓際にいる少女の前に盾を張るのでは距離が開きすぎるし、さらに強度も落ちてしまう。
アメリアを通し、脅威だけを弾くような盾が張れれば一番良いが、生憎と魔術というのはそこまで万能ではない。先に盾を張った以上、彼女が縦の内側に入るには、迂回する必要がある。
そのためにも、盾と天井の間には隙間を開けている。彼女の身体能力であれば、余裕で飛び越えられる高さだ。
当然、アメリア自身もそのことをわかっている。俺たちが後退するのと同時に、彼女もまた窓際から飛び退っていた。
少女の細足が、先ほどまで俺たちがいた場所へと降り立つ。そのまま一息に飛び越えようと、アメリアが僅かにその小柄な体躯を沈める。
その瞬間、黒い奔流が床板を突き破った。
現れたのは無数の黒い枝だ。一つ一つは腕ほどの太さだが、隙間なく密集したそれらは一本の巨大樹にも見える。しかしそれぞれの動きは不揃いで、ガリガリと魔術の盾の表面を削るように蠢く。
黒い枝の群れは、その勢いのままに天井を貫く。
「――っ」
その途上で、赤毛の少女が絡め捕られた。少女が抵抗するように、その四肢に炎を宿したのが見えたが、到底焼き尽くせる量ではない。その小柄な体躯が、成す術もなく黒い津波に飲み込まれた。
俺は咄嗟にこの身を回し、入り口の扉を蹴破った。アメリアの救出に向かう前に、シャルロットとイルムガルトを逃がさなければ。
「ジーク!」
声に振り向けば、クリスティーネが壁際に置いていた俺の剣を、こちらへと放っていた。それを受け取り、感触を確かめる。
「シーちゃんを!」
「――わかったわ」
フィリーネが、その手に抱えた少女をイルムガルトへと手渡した。シャルロットが自力で体を動かせない以上は、誰かが抱き上げる必要がある。ここはイルムガルトに預けるのがいいだろう。
「クリスは二人を! フィナ、来い!」
手早く指示を出し、転がっていたフィリーネの剣を放り渡す。魔術の盾を頭上へと動かし、握った剣へと魔力を注ぐ。
アメリアは巻き込まれたまま、上階へと運ばれたはずだ。それなら、目の前の枝へと全力を放ったとしても、彼女に被害は及ばない。まずは階下から伸びる枝から切り離すべく、全力を注ぎこんだ剣を振りかぶる。
まさに振り降ろさんと力を込めた直後、爆音とともに炎が吹き荒れた。
発生元は上階、まさにアメリアが運ばれた先だ。頭上に盾を張っていたおかげで、衝撃はこちらまで届かない。吹き飛ばされた天井の破片が、パラパラと盾に振り注ぐ。
爆発により見通しのよくなった視界の中、裂断された黒枝の欠片が塵のように舞い散る。その黒塵の中に、一際目を引く緋色があった。
くるくると回るそれは、丁度こちらの方へと落ちてくる。俺は剣を収めると同時、すぐさま頭上の盾を消して見せる。
そうして落下点へと走り込み、その小柄な体躯を受け止めた。僅かな衝撃と共に、手の内に柔らかな感触が返る。
「無事か、アメリア?!」
腕の中の少女に目立った流血はないものの、衣服は激しく損傷しており、そこから覗く肌には軽度の火傷が見て取れた。先ほどの爆発を起こした際に、加減を誤ったのだろう。
元より、アメリアは純粋な魔術は不得手なのだ。それでも、あの状況を脱するためにはそれ以外に方法がなかったのだろう。むしろ、よく自力で抜け出したものだ。
受け止めた瞬間、アメリアは反射的に目を閉じていたようだ。俺の声に、少女は赤い瞳を見開く。
「平気よ、服が焦げただけ」
「隠すなよ。大人しくしてろ」
アメリアは、どこか居心地悪そうに俺の腕の中で身動ぎをする。そんな少女を落とさぬよう、俺は抱える腕に少し力を入れ、練り上げていた魔力を治癒術へと変換する。
火傷の範囲は広いが、深さ自体はそこまででもない。しばらくすれば、完璧に治療できるだろう。
問題は――
「ジーくん、まだ来るの!」
アメリアの起こした爆発によって一度は動きを止めていた黒枝が、再びこちらへと向かって殺到していた。フィリーネの巻き起こす風によって押し留められているが、足場ごとの見込まれてしまえば終わりだ。
「こっち!」
背後の声に目線を向ければ、クリスティーネが廊下の壁を切り崩していた。彼女の腕なら、木製の壁など障害にもならない。
ぽっかりと開いた大穴からは、宿の外が窺える。少なくとも、後方まで囲まれているということはなさそうだ。
「イルマちゃん、飛ぶよ!」
「えっ、ちょっと待っ――」
焦った様子のイルムガルトに腕を回しながら、クリスティーネが穴の向こうへとその身を躍らせる。いくらシャルロットが小柄とは言え、二人を抱えて飛ぶのは無理だろうが、少なくとも安全には降り立てることだろう。
その後を追うように、俺も穴の方へと踏み出す。
「じ、自分で走るから!」
「動くなよ、舌噛むぞ!」
抵抗するように手足を動かすアメリアを押し留めながら、俺は躊躇なく穴の向こう側へと飛び出した。三階の高さだが、身体強化があればこの程度の高さは何ということもない。
浮遊感を覚えると同時、抱えた少女が俺の首へと腕を回す。その長い耳が揺れた拍子に俺の頬を掠め、くすぐったさを覚えた。
僅かな滞空時間の後、足裏が大地を捉える。膝を曲げて衝撃を伸ばせば、一泊置いて隣に白翼の少女が降り立った。その手には、最も荷物の多く入った俺の鞄が握られている。
振り返ってみれば、先ほど俺たちの出てきた穴の奥で蠢く、無数の黒枝が見て取れた。少し距離は開いたが、いつまた襲ってくるともわからない。
ひとまず安全なところまで移動しようと、俺は正面へと向き直す。そうして見えた光景に、思わず両目を見開いた。
「――何が」
幾本もの巨大な黒い樹が、人々に暗い影を落としていた。




