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670話 悪魔の種5

 瞼を持ち上げてみれば、横倒しになった視界に白壁が映る。俺はまだ半覚醒の頭で、どうやら朝が来たようだとぼんやりと理解した。

 冒険者として活動を始めて、それなりの経験を積んできた。そのおかげなのか、俺は目覚めた時の体調と感覚で大体の時間がわかるのだった。


 それによると、今日は十分な睡眠を得られたらしい。今はおおよそ、朝と昼の中間くらいだろうか。

 それを理解した瞬間、俺は布団を跳ね除け上体を起こした。どうやらすっかりと寝過ごしてしまったらしい。


「あっ……ジーク、おはよう」


 普段よりも少しとろけた声に振り向いてみれば、どこかぼんやりとした表情のクリスティーネと目が合った。半龍の少女は床に腰を下ろし、眠たげにその金の瞳を擦る。

 その前には、昨日見たのと変わらぬ姿の氷精の少女がいた。


「おはよう、クリス。シャルは、まだ?」


「うん、あれから起きてないよ……ふぁぁ」


 ふるふると、いつもより緩慢な動作で首を横に振ったクリスティーネが、大きく欠伸をする。未だ目覚めないシャルロットの体調は心配だが、クリスティーネの様子を見る限り心配はないのだろう。


「悪い、寝過ぎた」


「ん~ん、大丈夫……ジークはその分、遅くまで起きててくれたでしょ?」


 そう言って、クリスティーネはぽやっとした笑みを浮かべた。

 昨夜、シャルロットがいつ目覚めても大丈夫なように、治癒術の使える俺かクリスティーネのどちらかは、常に起きていようと決めていた。先にクリスティーネが仮眠を取って、深夜に俺と交代した形である。


 ある程度睡眠を取ってもらったとは言え、やはり足りなかったのだろう。今日は休暇の予定だったので、俺が目覚めたらもう一度寝てもらえばいいと思っていたのだが、肝心の俺が寝過ごしてしまったというわけだ。


「一緒に寝たフィナちゃんも、まだジークの隣で寝てるよ」


 そう言ってクリスティーネが指し示したのは、俺の右隣の布団だ。そこではフィリーネが自慢の白翼を折りたたみ、体を丸くしていた。俺が一人で起きているのは暇だろうと、夜の間は彼女が話し相手になってくれていたのだ。クリスティーネと後退する際に一緒に眠りについたのだが、どうやら彼女もあれから起きてはいないようだ。

 クリスティーネと交代する俺と違い、まだ起こす必要はないだろうと、俺は少女から目を離し、部屋の中へと向ける。室内には、残りの同行者二人の姿は見当たらなかった。


「アメリアとイルマは?」


「アメリアちゃんは、体を動かすついでに軽く外を見てくるって。それで、イルマちゃんがついて行ったの」


「二人だけでか?」


「うん。そんなにここから遠くには行かないし、ちゃんと周りに注意するから心配しないでって」


「そうか……」


 アメリア一人で外出させるよりはずっと安心だが、ほぼ戦闘力のないイルムガルトと二人というのは、少し心配だ。普段であれば彼女達の行動に制限など付けないが、今回ばかりは宿にいてもらった方がよかっただろうか。

 いや、彼女達だって何の考えもなしに外出したわけではないのだ。遅かれ早かれ町の状況確認は必須だし、シャルロットが目覚めない以上は俺かクリスティーネのどちらかはこの場に残る必要がある。全員そろって行動するのは無理な話だ。


 そう考えれば、俺が目覚めていたとしても二人だけで出掛けることには許可を出していただろう。普段から警戒心の強いアメリアだ、昨日のことで余計に注意深くなっていることだろう。もし同じようなことが起こったところで、不用意に近付くことはないはずだ。

 後は、何事もなく帰って来てくれれば良いのだが。

 そんな俺の心配は、すぐに杞憂へと変わった。


「ただいま……あら、ジークハルト、起きたのね?」


 扉を入ってくるなりそう声を掛けてきたのは、話題に挙がっていたイルムガルトだ。その後ろには、アメリアの姿もある。二人とも怪我一つなく、普段通りの姿であることに、俺は密かに安堵した。

 一点気になるのは、何やらアメリアが随分と険しい表情をしていることだ。ただ、深刻な事態が発生したという雰囲気ではなく、何と言うか不機嫌な雰囲気を感じる。


「おかえり、二人とも。何かあったのか?」


「えぇ、ジークハルトにお客さんよ。下で待ってもらってるわ」


 そう言って、イルムガルトは片手を床へと向けて見せる。つられて視線を落とすものの、一階が透けて見えるわけではない。


「客? あぁ、もしかしてギルドからか?」


「えぇ、それと……」


「あの男も一緒よ。経緯は知らないけどね」


 イルムガルトが振り返ってみれば、視線を受けたアメリアが憮然とした表情でそう答えた。この少女が嫌がる町の知り合いなど、一人以外に思い当たらない。しかもこの様子を見る限り、アメリアに対してまた何かやらかしたようだ。


「昨日の話を聞きに来たんだろう?」


「そう言ってたわ。行くんでしょう? ……私も同席した方がいいかしら?」


「そうだな……」


 俺一人で話をするよりは、誰かと一緒に向かった方があらゆる意味でも安心だ。こちらから話す内容についても俺以外の視点があった方が精度は高いし、逆に向こうから話を聞く際は二人の方が話を聞き漏らす可能性も減る。

 問題は、誰を連れていくのかと言うことだ。


 未だ目覚めないシャルロットは当然除外、クリスティーネもこの様子ではあまり集中して話を聞けないだろう。頼めばアメリアは同行してくれるだろうが、オッドがいる場に行くのは嫌だろう。

 そう考えれば、消去法でイルムガルトになる。彼女が同行してくれるのであれば、自身の見解を冷静に話してくれることだろう。


 ただ少し問題なのは、イルムガルト自身は魔物や戦闘に関する知識をほとんど持っていないことだ。一般的な視点からの意見と言う意味では貴重かもしれないが、それほど話せることは多くないだろう。

 そう言う意味では、最適なのはフィリーネの方だろう。特にフィリーネは、シャルロットの対処をしていた俺達と違い、あれと直接矛を交えているからな。誰よりも近くで見た者として、貴重な話が出来るだろう。


 しかし、わざわざ眠っているところを叩き起こすというのは――


「んん、それならフィーが一緒に行くの……」


 小さな呟きに振り向いてみれば、上体を起こしたフィリーネが赤い目に涙を浮かべていた。ふわふわの白髪が、あらゆる方向に跳ねている。寝間着にしているゆったりとした服が肩からずり落ちているせいで、少々目のやり場に困る。


「フィナ、聞いてたのか?」


「ん、ちょっと前から」


「そうか、なら頼めるか?」


「ん……」


 まだ寝惚けているようで、いつもの眠たげな瞳は半分も開いていない。まぁ、顔でも洗えば少しは目も覚めるだろう。

 さすがにこのままの格好で出ていくことは出来ないと、俺はフィリーネと共に軽く身支度を整えた。人前に出られる格好になったころには、少女も多少は頭が冴えてきたようだ。


「それじゃ、行ってくる。シャルをよろしくな」


「うん、いってらっしゃ~い」


 俺の声掛けに手を振るクリスティーネの瞳は、今にも閉じかけていた。

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