669話 悪魔の種4
襲撃を凌いだ俺達はその後、意識のないシャルロットを休ませるべく町の宿屋へと転がり込んだ。運良く空きのあった大部屋は、俺達全員が横になって尚余裕があるほどの広さだ。
そんな羽を伸ばすのには最適な部屋を、今は重苦しい空気が支配していた。
「シャルちゃん、起きないね……」
そう小さく口にしたクリスティーネが、徐に片手を伸ばす。その先には、敷かれた布団の上に寝かされた小柄な少女の姿がある。
半龍の少女の細い指先が、シャルロットの額にかかった氷色の髪を梳く。そこから見える肌は、いつもよりずっと白く見えた。
町中で気を失ってから今に至るまで、シャルロットは目を覚ましていない。ここまで少女を背負って運ぶ間も、血の付いた服をクリスティーネ達によって着替えさせられる間も、こちらからの呼びかけに答えずぐったりとした様子だった。
今は俺達が周囲を取り囲む中、毛布を被せられ寝かされている。その毛布が呼吸に合わせて小さく上下する様に、小さく安堵の息が漏れる。それでも、眠る少女の姿はいつもよりずっと小さく見えた。
その様子に、思わず拳を握り込む。
命に別状はなく、クリスティーネの治癒術によって既に外傷も癒えている以上、シャルロットの容体がここから悪化するようなことはないだろう。しかし流した血は多く、何よりも負傷と治癒を繰り返したのが、少女の身には負担だったのだろう。
そのような事態にシャルロットを遭わせる破目になったというのが、実に腹立たしい。だが何よりも腹が立つのが、俺自らの手で少女の体を焼いたという事実だ。
俺は自身の右手を見下ろす。最悪の事態を考えると、あの場ではあれしか手がなかっただろう。その考え自体は、少し時間を置いた今でも変わらない。
それでも、少女の身を俺自身の意思で傷付けたというのは、揺るぎのない事実なのだ。
「あ、あのね、ジーク……」
考え込んでいるところへ、クリスティーネがどこか遠慮がちに声を掛けてきた。顔を上げてみれば、少女は一瞬だけその金の瞳を大きく見開いたかと思うと、動揺したように視線を揺らした。実直なクリスティーネにしては、少し珍しい反応だ。
「どうした、クリス?」
「えっと、その……そう! あれって、結局なんだったの? あの黒い変なやつ!」
「魔術の一種……って感じでもなかったわね? ただの魔術なら、クリスが切り離した分は消えるはずだし」
クリスティーネの言葉に、アメリアが首を傾げて見せる。
彼女の言う通り、あれが通常の魔術であれば、クリスティーネが切り離した先は魔力が霧散するはずである。だが実際には、シャルロットに巻きついた部分は実態を保ったまま、少女の体を侵食していた。そういう特殊な魔術と言う可能性も捨てきれないが、どちらかというと生き物と考える方がしっくりくる。
「ジークハルト、あなたには心当たりがあるんでしょう?」
「確証はないけどな」
そう言って、俺は肩を竦めて見せる。
シャルロットに巻きついたあれを目にした瞬間、一つの可能性が脳裏を過ぎった。有り得ないと思う一方で、もし考えが当たっていたとすれば最悪の事態になるという、そんな可能性だ。
「不確かでもいいの、ジーくんの考えを聞かせて欲しいの」
そう口にするフィリーネの赤い瞳には、真剣な光が見える。いくらシャルロットを助けるためとはいえ、俺の魔術で彼女の体を焼いたのだ。もう少し穏便なやり方はなかったのかと、疑問に思うのは当然である。
俺の行動に納得するためにも、俺自身の考えを聞かせて欲しいと思うのは当たり前だ。憶測を口にするのはあまり好きではないが、せめて俺がどう考えているのかだけは説明が必要だろう。
「俺は、あれが寄生樹の一種じゃないかと思ったんだ」
「寄生樹って言うと、昨日出たあれよね?」
俺の言葉に、アメリアは思い出すように顎先へと細い指先を当てる。少女の言葉に、俺は首の動きだけで肯定を返した。
それを受け、クリスティーネは「確かに似てたかも……」と呟きを漏らす。しかし一拍開け、「あれ?」と首を捻って見せた。
「でもジーク、寄生樹って人には無害だって言ってたよね?」
少女の言葉に、俺はさらに肯定を返す。昨日彼女達には、寄生樹が人に取り付くようなことはないと説明した。だから、そこまで危険視する必要がないとも伝えた。その言葉自体に嘘はなく、寄生樹自体によって人に被害が出たという話も聞いたことはない。
「あぁ、だから厳密に言えば、今日のあれは寄生樹の変異種じゃないかと思うんだ」
「変異種かぁ……」
クリスティーネが難しい顔で小さく唸る。
変異種と言うのは読んで字のごとく、通常の種類から変異したものである。もちろん魔物にしろ植物にしろ多かれ少なかれ個体差はあるものだが、そう言った小さな枠組みでなくそのものの特徴から異なるものが変異種と位置付けられる。
今回シャルロットを襲ったのは、人にも寄生する寄生樹の変異種ではないかと、俺は考えたのだ。
「私、あまり魔物とかには詳しくないんだけど、変異種って言うのはそんなに珍しくないものなの?」
「それこそ、種類によるな」
イルムガルトの問いに、俺は簡単に答えを返す。
変異種と言うのは通常種に比べればずっと数は少ないというのは共通認識だが、その割合は様々である。数万分の一というものもいれば、全体の数割と言うものもいる。もっとも、後者のようなものは最早変異種と呼ばず、同系統の別種族として括られるのが一般的ではあるが。
そう言う意味で言えば、今回の寄生樹の変異種は前者だろう。それも、とびきり珍しいものだ。
俺自身、古い書物で読んだ記憶が薄っすらとあるくらいである。その本によれば大昔、寄生樹の変異種が甚大な被害を齎したと書かれていたが……現段階では悪戯に不安を煽るような説明は不要だろう。
「なるほどね……そんな珍しいもの、よくわかったわね?」
「昨日普通の寄生樹を見てなかったら、思い出さなかっただろうな」
巨大樹の森で魔物に寄生した寄生樹を見ていたからこそ、その変異種の存在に思い至ったのだ。そうでなければ、通常種の存在すら覚えていなかったことだろう。
「もっとも、これはあくまで俺の予想に過ぎないからな。実際にあれが何だったのかは、ギルドの調査結果を待つしかないだろう」
シャルロットを襲った男が枯れ木のようになってしまったところで、事態を聞きつけた冒険者ギルドの職員や冒険者達が集まってきたのだった。俺達はシャルロットの体調を優先し、その場の調査をギルドの者に押し付けて宿へと急いだのだ。
駆け付けたギルド職員は何か言いたげだったが、ぐったりとしたシャルロットの様子に何も言えないようだった。俺自身、あの時はあまり余裕がなかったからな。少し威圧的な対応をしてしまったことを、申し訳ないと思っている。
その後声こそかけてはこなかったが、ギルド職員の一人が俺達の後をつけ、宿に入るところを確認していたようなので、明日以降にでも話を聞きに来ることだろう。目撃者自体は多くいるし、襲撃者の死体もあるのだ、調査がまったく進まないということもないだろう。
第一、俺達がその場に残ったところで、大した情報が出せるわけでもないからな。むしろ、こっちが聞きたいくらいである。
「んん、それじゃシーちゃんが起きるの待って、明日は――」
フィリーネの話に割り込むように、小さくきゅるると鳴き声のような音がした。見れば、頬を赤く染めたクリスティーネが、自らの腹を抑えている。
半龍の少女はバツの悪そうな顔で、こちらを上目で窺う。
「ご、ごめんね、こんな大事な話の途中で……」
「いや、そう言えば食事がまだだったな」
少女の反応に、俺は苦笑を返す。
クリスティーネとシャルロットに昼食をどこで取るか決めてもらっていたところへ、あの襲撃があったのだった。あれからシャルロットの治療にかまけてばかりで、食事をするのをすっかり忘れていた。それを自覚すると、途端に腹が減ってくる。
少し中途半端な時間にはなってしまったが、今からでも食事にした方がよいだろう。そう話せば、クリスティーネはすぐさま立ち上がって見せる。
「それじゃ、何かもらえないか下で聞いてくるね! ご飯はここで食べたほうがいいでしょ?」
「そうだな」
眠るシャルロットへ目線を向けた少女に、俺は頷きを返す。この場でこれ以上何かあるとは思えないが、シャルロットから離れずに済むのであればそれに越したことはない。
「フィーも手伝うの。一人で運ぶのは大変なの」
「あぁ、一応気を付けてくれ」
俺の投げかけた言葉に白翼の少女はひらひらと手を振って応えると、クリスティーネに続いて部屋を後にした。




