667話 悪魔の種2
「いこ、シャルちゃん!」
「えっ、わっ!」
シャルロットの手を取ったクリスティーネが、とても良い笑顔で駆け出した。突然手を引かれることとなったシャルロットは驚きながらも、すぐにクリスティーネの後を追い始める。
ひとまず、昼食に関しては彼女達に任せていいだろう。二人が立ち並ぶ店へと向かうのを見送り、俺はこの場に残った少女達へと顔を向けた。
「それじゃ、俺達はこれからの方針を考えるか」
「方針って? 宿を探すんじゃないの?」
「クリスとシャルを置いていくわけにはいかないだろう?」
「それはまぁ、そうだけど」
「逸れちゃってもフィーが上から探すの!」
フィリーネがばさりと、己の白翼を大きく広げて見せる。確かに少女が上空から探すのであれば、待ち合わせ場所など決めておかなくてもさして広くもないこの町なら合流するのは難しくはないだろう。
とは言え、そもそも逸れないに越したことはない。二人の姿を見失わないここから動かないのが一番良いだろう。
「決めておくのは、探す部屋の広さだな」
この街は巨大樹の森に隣接しているということで、普段目にすることのない物珍しい食べ物などがあることで知られている。ただ、街の特徴と言えばせいぜいそのくらいで、他に特別目を惹くようなものはない。要は、観光には不向きなのだ。
単なる旅の最中であればギルドに寄って何らかの依頼を受けるという選択肢もあったが、今はイルムガルトが同行している。金銭にはまだまだ余裕がある以上、無理に依頼を受けるような必要もないということだ。
それならば、滞在は最低限の一泊で済ませてしまっても構わない。その場合はあまり部屋に拘る必要もなく、最悪寝られさえすればどこでも良い。
しかし、二泊以上するのであればある程度羽を伸ばせるよう、広めの部屋を取った方が良いだろう。消耗品の調達のため外出するにしたって、全員で出る必要もないわけだしな。
そのあたり、少女達の意見を伺いところだ。
俺の問いに、三人は顔を見合わせる。
「そうねぇ……私がそれほど疲れてないんだから、二人とも体力にはまだ余裕があるでしょう?」
「んん、動く分には問題ないの。ただ……」
「昨日はちょっと、散々だったからね……出来るなら少しゆっくりしたいわ」
そう言って、アメリアが肩を落とし溜息を吐く。昨日は予想外のことが複数起こったからな、体力には余裕があるようだが、精神的に疲れているのだろう。
「それなら少し広めの部屋を取ろうか」
「お風呂のある所がいいの! 広いともっといいの!」
「食事の美味しいところがいいわね、クリスも希望するだろうし」
「だろうな」
イルムガルトの言葉に苦笑を返す。食べることが何よりも好きなあの少女は、部屋の広さや風呂付きなどよりも、食事が気になることだろう。
そんな風に考えていると、ふとアメリアの大きな耳がぴくりと動いた。次いで弾かれたように顔を上げたかと思えば、爆発的な加速力を伴い駆け出す。その先は、クリスティーネとシャルロットが向かった方向だ。
それを認識したと同時に、俺は少女を追って駆け出した。
アメリアが何を見たのかはわからない。それでも、血相を変えて走り出した以上は、二人の身に何かがあったのだろうことはわかる。
僅かな間に、アメリアの姿は既に遠くにある。俺はその向かう先へと目線を映した。
そこには、一人の男に襲われているシャルロットの姿があった。男の手元から、何か紐のようなものが少女の腕へと伸びている。
少女は苦痛に顔を歪めながらも、無事な反対の手を男へと向けていた。それでも反撃しないあたり、攻撃するのを躊躇しているのだろうか。
その二人の頭上に、銀の光が輝く。落ちる影は半龍の少女のものだ。
長剣を振り上げたクリスティーネは、落下の勢いそのままに一切の躊躇いなく男の腕を斬り飛ばした。着地と同時、シャルロットの体を抱えて飛び退る。
それに追い縋るように、男は切られた腕を少女達へと伸ばした。その切断面からは、シャルロットの腕に巻きついていたのと同じ黒い紐のようなものが無数に這い出る。
そこへ割り込んだのがアメリアだ。男の腕を潜るように抜けると、勢いのままに燃え盛る足で己よりも大きな男を蹴り飛ばした。男は衝撃に体を折り、受け身も取れずに地面の上を転がる。
アメリアはそのまま二人を庇うように立ち、腰の短剣を引き抜き身を低くした。少女が鋭く目を細める前、男は天から糸で吊り下げられているような不自然な動きで立ち上がる。
そこへ、ようやく俺はフィリーネと共に辿り着いた。後方からは、こちらへ走るイルムガルトの足音も聞こえる。
「ジーク!」
クリスティーネの声に、少女の抱えたシャルロットへと目を向ける。その腕には男から切り離した黒い紐のようなものが巻きつき、今尚動きを止めていなかった。
否、それだけではない。少女の腕に根を張る紐は、その細い体を浸食するように少女の肩へとその枝先を伸ばしていた。それを、クリスティーネが留めるように手にした短剣で斬り落としている。
その光景に、最悪の予想が頭を過ぎった。もしも俺の予想が当たっていたならば、最早一刻の猶予もない。
「アメリア、フィナ、そいつを任せる!」
「ええ!」
「任されたの!」
短い言葉が返ると同時に、頬を風が撫でる。視界の端、男の体が弾かれるように飛ばされたのが分かった。
そちらへは振り向かず、俺はシャルロットの元へと急ぐ。その間に、腰の短剣を引き抜き自身の服を乱暴に切り裂き布の塊を手にした。
「ジークさ――んむっ?!」
涙目でこちらを見上げる少女の口へと、俺は布の塊をねじ込んだ。出来れば清潔なタオルにでもしてやりたかったが、荷を解く時間すら惜しい。
突然口の中に異物を突っ込まれた少女は、驚きに目を白黒させている。
「イルマ、シャルを抑えていてくれ! クリス、治癒術の用意を!」
「何を――いえ、わかったわ」
「うん!」
到着したばかりのイルムガルトへと指示を飛ばせば、青髪の女は戸惑いながらも了承を返した。クリスティーネと入れ替わるように、少女の小さな体を支える。
両手の開いたクリスティーネは手にした短剣を放り捨てると、治癒術を唱えるために魔力を集める体勢へと入った。
それを確認した俺は、一つ頷くと共に魔術で手の中に炎を生み出す。
そうして首を傾げる二人の前で、燃焼する手を少女の腕へと押し当てた。




