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665話 巨大樹の森8

「アメリア、その辺りでやめないか?」


 俺は肩で息をし始めた赤毛の少女を軽く抱え上げ、男から引き剥がす。余分な脂肪のない小柄な体躯は見た目通り羽のように軽く、軽々と持ち上がった。

 多少なりとも抵抗するかと思ったのだが、少女は意外にも素直に従う。


「そ、そうね、ちょっと気持ち悪く感じてきたわ……」


 そう口にする少女の前、糸目の男は地面の上に体を投げ出している。その顔面は度重なる打撃によってパンパンに腫れており、鼻からは鮮やかな血がだらだらと流れていた。

 そんな悲惨な姿の反面、男はどこか恍惚とした表情を浮かべていた。


 アメリアにもさすがに殺す気などはなく、手心を加えているのは明らかだったが、それでも並の冒険者であれば気絶するくらいの威力ではあった。

 明らかに男に落ち度があっため止めることもなく静観したわけだが、アメリアが殴る度に気持ちよさそうな笑みを浮かべるところは不気味だった。それを見たアメリアがますます拳に力を込めたのだが、まったく応えた様子はない。


 そんな男の様子を見てか、アメリアはすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。当初は同じように怒気を露わにしていたフィリーネも、その光景を目に思い切り引いている。

 幸か不幸か少女達の怒りも収まったようだと、俺は一歩男へと近寄った。これでようやく、落ち着いて話が出来る。


「それで、お前はどこの誰で、何しにここに来たんだ?」


 そう声を掛けてみれば、男はよく聞いてくれたとばかりに体を跳ね起こす。あれほど殴られたというのに、随分と元気な様子だ。


「あぁ、俺はオッド、冒険者ダ……ッて言うのハ見たら分かルか。仲間ト一緒に旅をスる、所謂流れの冒険者ッてやつだネ! ここにハこの先にアるヴァルトベルクって街で、この森ノ調査依頼を受けたカら来たのサ!」


「オッドだな。その仲間とは一緒じゃないのか?」


「今回ハあくまで調査だからネ! 全員デ動くよリ、俺が一人デ調べる方ガ早いのサ!」


 カラカラと笑う男の言葉に、嘘はないように思える。

 実際、男の装いや身のこなしから考えてこの男、オッドは所謂斥候役を担っているのだろう。先程の気配を消す技能と言い、単身で調べ物をするのであれば打って付けの人材だ。


「それで、調査って言うのは?」


「寄生樹の調査だネ!」


「寄生樹……聞いたことあるな。この森に出るのか?」


「出ないハズの魔物が出タ。だかラ調査依頼が出たのサ!」


 なるほどな、と俺はオッドの言葉に顎を引いた。

 基本的に魔物の生息域と言うものは、気候や環境によってある程度決まっているものだ。ここ巨大樹の森では体の大きな昆虫系の魔物が、気温の低い帝国領では氷雪系の魔物が多く生息している、と言った具合である。


 そんな中、普段見られないような魔物が現れたとなれば、その原因がどこかにあるはずである。強力な魔物が現れた影響で、生態系が崩れたなどがよく聞く話だな。

 そう言った場合、ギルドから正式に調査依頼が出るものだ。今回オッドが受けたのも、その類の依頼だそうだ。聞けば、受けた依頼は原因調査ではなくその前段階となる裏付け調査、実際に寄生樹がこの森にいるのかを探るのが仕事らしい。


「その、寄生樹って言うのはどんな魔物なんですか?」


 問いを投げかけたのはシャルロットだ。少し離れた場所でクリスティーネと共に腰を下ろしていた氷精の少女が、こちらを上目で見上げながら小首を傾げて見せる。

 周囲の反応を見てみれば、どうやら俺以外に知っている者はいないようだ。


「あぁ、寄生樹って言うのは――」


「待って、何か来たわ」


 説明をしようとしたところで、アメリアが言葉を重ねる。普段は伏せられている少女の大きな耳が、音を探るように持ち上がっていた。

 その方向へと顔を向ければ、バキバキと枝を折るような音が近づいて来るのがわかる。腰の剣に手を添えて警戒する中、大樹の影から現れたのは大蜘蛛だった。


 八つの足で縦横無尽に駆ける、全身に毛の生えた魔物だ。体高は俺よりも頭二つ分ほど高く、大顎から吐き出される糸と毒液には注意が必要となる。

 とは言えそれ以外にはさして特筆すべき点はなく、ここまでの道中でも散々倒してきた魔物である。


 ただ一つ、これまでとは異なる様相があった。


「何、あれ? なんか、変な蔓みたいなのが巻きついてるよね?」


 クリスティーネの言うように、大蜘蛛の頭部と胴体には何か、白い植物のようなものが巻きついているのだった。


「丁度いいな、あれが寄生樹ってやつだ」


 魔物を前に、俺は端的に説明をする。

 寄生樹と言うのは、その名の通り寄生する植物である。眼前の大蜘蛛のように、魔物に根を張り白い枝を寄生先へと伸ばして、その体からマナを吸収するのだ。寄生した魔物によって遠くへ移動し、マナを吸い尽くすとまた別の魔物へと寄生先を移し替えるという習性を持つ。


 実に気持ちの悪い魔物ではあるが、別に寄生したことでその魔物が強くなるとかそう言ったことはなく、むしろちょっと弱くなるくらいなので冒険者からはさして脅威とはされていない。

 そうした俺の説明に、アメリアは難しそうに眉根を寄せた。


「大丈夫なの? 人に寄生とかしたら大変そうなんだけど……」


「あぁ、寄生できるのは魔物だけで、人には害がないからな」


「それなら安心ですね」


 俺の言葉に、シャルロットがほっとしたように息を吐いた。これでもし寄生樹が人に寄生するような魔物であれば、脅威度は跳ね上がっていたことだろう。


「大蜘蛛もそうだが、寄生樹は火に弱いからな。残さず焼き尽くしてくれ」


「調査報告のためニ、少しダケ残してくれルと嬉しいかナ!」


「……だそうだ、配慮してやってくれ」


「任せて!」


 クリスティーネは俺の言葉に元気よく答えると、フィリーネとアメリアと共に大蜘蛛の元へと向かう。魔物が討伐されるまで、そう時間はかからなかった。

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