650話 宿屋での情報交換1
「ようやく落ち着いて話が出来るな」
湯浴みで汗を流し終え簡素な服に着替えた俺は、クッションに腰を下ろして皆の顔を一通り見渡し、そう切り出した。
なお、ここに至る前にクリスティーネ達を伴っての入浴を避けることは出来なかった。
とは言え、男としての尊厳は守り抜いたし、彼女達もしっかりとタオルで体を隠していたので、特に問題はなかった。そう言う事にしておこう。
本来であれば、宿の風呂をこんな風に私的利用することなど出来るものではない。しかし、他に利用する者がいなかったこと、俺達の事情を聞いた宿の店主が快く承諾してくれたため、こんな無茶が通ってしまったというわけだ。
俺を丸洗いするクリスティーネとシャルロット、それにアメリアは随分と楽しそうな様子だった。クリスティーネは普段通りだが、シャルロットとアメリアは初めは恥ずかしそうにしていたというのに、一体何がそんなに楽しかったというのか。
その反面、少し膨れっ面で横になっているのがフィリーネだった。未だ体調に不安があるということで、俺の入浴の手伝いからは外したのだ。
そのことに、本人はかなり不満があったらしい。イルムガルトに引き留められながら漏らす声が、部屋の外まで聞こえていた。
「ひとまず皆、よく無事で……とは言えないが、よく生きててくれた」
「ジークもね」
俺の言葉に、クリスティーネが小さく苦笑する。
大爆発の瞬間こそ見ていないものの、彼女は重傷を負った俺を受け止め、治療をしたのだ。特に負傷の酷かった俺が言えた言葉ではないと、俺自身も思う。
俺は誤魔化すように一つ咳払いをした。
「それで、これからの行動予定なんだが――」
「ジークは絶対安静だよ? フィナちゃんも、ね?」
クリスティーネが咎めるようにそう言うと、周りの少女達も同意するように頷きを見せた。なお、彼女達も今は旅装とは異なる、飾り気のない部屋着を身に着けていた。
「当然ね。まぁ、ジークはそもそも動けないと思うけど」
「フィナさんも、せめて明日くらいはお布団で過ごしましょうね?」
「むぅ、フィーの体のことなんだから、それくらいわかってるの。でも……」
休養を促すシャルロットの言葉に、フィリーネは枕を抱き締めたまま唇を尖らせる。それから一度言葉を切り、不思議そうな表情で自身の体を見下ろした。
「そもそもフィー、なんでこんなに疲れてるの?」
「まさかフィナ、昨日の事を覚えてないの?」
驚いた顔で、イルムガルトがフィリーネの方へと少し身を乗り出す。
それを受け、少女はコロリと体勢を変えると、考え込むように目線を天井へと向けた。動いたことで露わになった素足へと、イルムガルトが毛布を掛け直す。
「ん~、町中に出た魔物を倒して回ったのは覚えてるの。それから……なんでこんな風になっちゃったの?」
フィリーネは再び転がりうつ伏せになると、しょんぼりと眉尻を下げて見せる。その背中には、無残にも不揃いな長さとなった白翼があった。
入浴前に比べれば、焼け焦げた黒い羽根が取り除かれたことで、多少見た目は整ったと言える。何とか綺麗にしてあげようと頑張ったのだろう、クリスティーネ達の努力が見て取れるようだ。それでも、以前の輝くような白翼と比べれば雲泥の差だ。
少しは落ち着いたようだが、未だ気を持ち直すことは出来ないらしい。慰めるように、クリスティーネが綿のような軽さを取り戻した白髪を優しく撫でた。
その様子を視界の端に捕らえながら、俺はイルムガルトへと顔を向ける。
「俺もまだ詳しい話は聞けてないし、こっちの話もしてないからな。昨日のことについて、もう話し合ったか?」
「いえ、お話はジークさんとフィナさんが起きてからにしようって、みんなで決めてました」
俺の言葉に、シャルロットがふるふると首を横に振った。
「そうか。なら、まず皆の話を聞かせてもらってもいいか? フィナのこともあるし、まずはイルマから頼む」
「えぇ、わかったわ。とは言っても、昨日の内容とそんなに変わらないけど」
そう言って、イルムガルトが昨日の出来事について語り始めた。
俺達と別れた後、二人は冒険者ギルドで軽食を摂りつつ、周囲の話に聞き耳を立てていたそうだ。そうやって情報収集をしていたところ、突然轟音が鳴り響いたかと思えば、ギルドの建物が崩壊したらしい。建物の外へと出るような時間などなく、二人はそのまま建物の下敷きになったらしい。
とは言え、下敷きになったこと自体は特に問題ではなく、フィリーネの魔術によってすぐに抜け出すことが出来た。そうして二人は他の冒険者共に、救助へと動こうとした。
「そうしたら、黒い服を着た変な子供に襲われたのよ」
イルムガルトが語るには、爆発の魔術を操る黒衣の少年によって、次々と冒険者達が攻撃されたらしい。その話は、フィリーネとイルムガルトを探して崩壊した冒険者ギルドに赴いた際に、居合わせた冒険者から聞いた話と同じだ。
そしてそれは、天塔で俺達が遭遇した相手の特徴とも一致する。
その事に、クリスティーネも思い至ったのだろう。はっとしたように、俺の方へと顔を向けた。
「ねぇジーク、その子って……」
「なに、知ってるの?」
どういうことかと問うように、イルムガルトが少し身を乗り出した。それに対し、俺は少し考えながら腕を組む。
「そうだな、おそらく俺とクリスが会った奴と同じだと思うが……先に、そっちの話を聞かせてもらえるか?」
「そう……まぁ、いいわ。それで、その子を取り押さえようと冒険者達が取り囲んだのよ」
「えっ、イルマちゃんも?」
「まさか。私は隠れてただけよ」
クリスティーネの疑問に、イルムガルトは苦笑を返す。
俺達と共に旅をするにあたって、イルムガルトもある程度は戦えるように訓練を積んでいる。しかし、そのほとんどは身を守るための術であって、敵対者を制圧するようなことは想定していない。
実力自体も俺達とは大きな隔たりがあるし、本職の冒険者には及ばないものだ。下手に手を出しても返り討ちにされることは火を見るよりも明らかで、そのあたりイルムガルトも自分の力をよくわかっている。
「それで、その場にいた人達が一斉に向かっていったんだけど、その子が使う爆発の魔術は威力が強すぎるのに切れ間もなくてね。隙を突いて、フィナが空から近付いたんだけど……」
「……思い出したの」
ぽつりと、白翼の少女が言葉を溢した。見下ろしてみれば、枕を抱き締める腕に力が籠もっているのがわかる。どうやら、イルムガルトの話を聞いて記憶が繋がったらしい。
フィリーネはうつ伏せになったまま、その赤い瞳を細めた。
「フィー、注意を惹かないように空から近付いたの。近距離なら、爆発の魔術も使えないと思ったんだけど……」
黒衣の少年の操る爆発の魔術は凶悪だが、その分加減は難しいとフィリーネは見た。そこで、地上の冒険者達に注意が向いている間に、上空から一気に距離を詰めたそうだ。
その狙い通り、少年に肉薄することには成功したという。
「でも、その子は躊躇いなく爆発の魔術を使ったみたいなの。フィーはそこから覚えてないんだけど……」
そう言って、フィリーネはイルムガルトの方へと顔を向けた。戦闘から離れていた彼女であれば、その後のことも知っていることだろう。
少女の先を促すような視線に、女は小さく顎を引いた。
「えぇ、遠目だったけど見てたわ。爆炎の中から、フィナが吹き飛ばされて出てきたときは焦ったわよ。ただ、あの子は怪我一つないようだったわ」
どうやらフィリーネの決死の突撃も、結果は失敗に終わったらしい。イルムガルトはすぐにでもフィリーネの元へと駆け付けようとしたが、近くに少年がいては近付くことも出来ない。そのまま隠れて様子を窺っていたそうだ。
「それでその子は?」
クリスティーネの問いに、イルムガルトは軽く目を伏せ首を横に振って見せる。
「何か独り言を言ってたように見えたけど、離れていたから聞こえなかったわ。それから、何か黒い穴のようなものが現れて、その子はそこに入っていったの。そこから先は知らないわ」
少年が消えたのは、あの闇の穴の魔術だろう。そこから俺達のいた天塔に移動したのだとすれば、辻褄が合う。
ひとまず危険は去ったと見たイルムガルトはすぐにフィリーネの元へと駆け寄り、出来る限りの治療を試みた。それから先のことは、俺達も知っていることだ。
「あの子は何だったの? ジークとクリスは知っているんでしょう?」
そう言って、イルムガルトが答えを求めるような目を俺へと向けた。
「知っているというか、俺達もそいつと会ったんだ。ただ、その話は後でもいいか? 先に、シャルとアメリアの話を聞いておきたいんだ」
「ふぅん……まぁ、貴方がそういうならそれでもいいけど」
後でちゃんと教えてくれるんでしょうね、という目を向けてくるイルムガルトから、俺はシャルロットとアメリアの方へと顔を向けた。




