638話 騒動の爪痕1
「――っ!」
身を引き裂かれるような激痛に覚醒する。どうやら意識を失っていたらしい。俺はすぐさま、自身を取り巻く状況の把握に動く。
身を包む独特の浮遊感に痛む首を回してみれば、遥か眼下に王都の街並みが小さく見えた。現在地は王都の上、未だ中空にあるらしい。意識を失っていたのは、ほんの一瞬のようだ。
正面へと目線を戻してみるが、そこに存在したはずの偽陽は影も形もなかった。どうやら無事に、あれを消滅させることが出来たようだ。
「……いや」
無事とは言い難いが、と俺は考え直す。
全身を襲う痛みは、爆発を真っ向から浴びたことによるものだ。体のありとあらゆる箇所から血が噴き出し、空に赤い線を描いている。この分だと、骨も何本折れているのかわからない。
残念ながら、俺の力では爆発の威力全てを相殺することは叶わなかったらしい。それでも、王都は焦土と化しておらず、俺もまだ原型を留めているあたり、この身を張った甲斐はあったというものだ。
後は、俺自身が無事に地面へと降り立つことが出来れば良いのだが。
龍鱗の鎧は俺の身を護ってくれたものの、爆風によって砕かれ無形の魔力となって霧散してしまった。せめて、翼だけでも再構成出来れば何とかなるのだが、それだけの魔力すら残ってはいない。
今の俺には、ただ重力に引かれて地上へ向かう事しかできない。それでも生きるために足掻こうと、絞り粕ほどの魔力をかき集め、身体強化へと回す。
風圧は徐々に威力を増し、身を襲う痛みはむしろ薄れてきた。飛びそうになる意識の中、視界の端を天塔が掠める。
「ジーク!」
俺の名を呼ぶ声に、意識が繋がる。
霞む視界の中、空から翼を広げた少女がこちらへと手を伸ばす光景に、一足先に天からの遣いが来たのかと錯覚する。
僅かに遅れて、少女の細腕が俺を引き寄せ、その胸に抱き寄せた。軽い衝撃に、思わず息が詰まる。
「もう大丈夫だよ、ジーク!」
「……クリス、か?」
「うん! もう少しだけ我慢してね!」
そう言って、クリスティーネは俺を抱き締めたまま背の銀翼で風を拾う。俺の視界は少女の体で塞がっているが、身を包む感覚からすると緩やかに上昇しているようだ。
それから間もなく、クリスティーネに声を掛けられると同時に、足裏に硬い感触が返った・どうやら地面に降り立ったようだ。
そう考えた瞬間、かくりと膝が折れた。
「っと、と」
クリスティーネが慌てた様子で俺を支える。そのまま、ゆっくりと体を地面へと横に寝かせられた。
ここでようやく、俺は落ち着いて少女の姿を眺めることが出来た。
半龍の少女は、普段とそれほど変わらない様子に見えた。多少着衣に戦闘の形跡が残るくらいで、これと言って目立った外傷は見当たらない。
こちらを覗く表情も、よく見る底抜けに明るい笑顔ではなく、俺の身を案じているのがありありとわかるものではあるが、少なくとも痛みを堪えるような色はなかった。
そのことに、俺は小さく息を吐きだした。
「……良かった、無事だったか」
最後に見たのが、黒衣の少女の放つ茨のようなものに襲われ、倒れ伏したまま動かない姿だったのだ。無事を確かめられず燻っていた不安が、こうして元気な姿を見られたことで晴れていく。
そんな俺の言葉に、少女は小さくかぶりを振った。
「私のことはいいの! すぐに癒してあげるからね!」
クリスティーネの声を聞きながら、俺は横に寝かされたまま首だけを左へと傾けた。
横倒しになった視界の中、見覚えのある光景が目に入る。
「ここは……天塔の中か」
どうやら俺はクリスティーネによって、つい先ほどまで黒衣の女達と争っていた、天塔の展望エリアまで運ばれてきたらしい。そこかしこに、真新しい戦闘の傷跡が無数に見て取れた。
「もう、動いちゃダメ! 喋ってもダメ!」
俺の呟きに、少女が怒ったような声を上げた。もっとも、実際に怒りを覚えているわけではないことくらい、その口調からよくわかる。
それから少女が、俺に対して治癒術を行使した。柔らかな光に包まれ、少しずつ痛みが薄れていく。
しばらくの間、俺は大人しく治療を受けていたが、程なくして少女の翳す片手を取った。
「ありがとう、クリス。もう十分だ」
「えっ、でも、まだ治ってないよ?」
俺の傷が癒える様子に安心した様子を見せていたクリスティーネが、俺の言葉に小首を傾げて見せる。そんな少女の言葉に、俺は小さく首を横に振って見せた。
「今は歩ける程度で十分だ。クリスには、出来るだけ魔力を残しておいて欲しい」
これから先、再度の襲撃がある可能性もあるし、何よりもシャルロット達が負傷しているかもしれない。もちろん王都には治癒術の使い手くらいいくらでもいるだろうが、この規模の事件では手が足りないだろう。
俺の魔力が枯渇している今、あの娘達を優先して癒せるのはクリスティーネだけだ。
動ける程度まで回復すれば、俺の治療は後回しでいい。どうせ魔力切れと強魔水の副作用で、満足に動くことは出来ないのだ。
「むぅ……わかったけど、無理しちゃダメだからね?」
俺の説明に、クリスティーネは不服そうな顔をしながらも頷きを見せた。それから、思い出したようにきょろきょろとあたりを見回す。
「えっと、ひとまず終わったってことで、いいんだよね?」
「あぁ、恐らくな。クリスはどこまで把握してる?」
俺の問いに、少女は「んー」と人差し指を顎に当て、やや上へと顔を向ける。
「あの人たちに向かっていったけど、やられちゃった……んだよね?」
「そうだな、向かって左の奴が操る、赤と黒の茨のようなものに襲われたように見えた」
「茨のようなもの……あっ!」
クリスティーネはびくりとその身を跳ねさせ、自身を抱き締めるように腕を回した。
「そうそう、あの変なやつ! ものすっごく痛かったんだよね!」
「まともに受けていたからな。だが、それにしては……」
俺は改めてまじまじと少女の肢体を観察する。
先程も確認した通り、少女の衣装は多少乱れているくらいで、目立った外傷は見当たらない。
訓練中でも実戦でも怪我など慣れているはずのクリスティーネが、ものすごく痛かったと言うほどだ。さぞ深い傷を負ったのだろうと思ったが、その割には怪我の一つどころか血の跡すら見当たらない。
怪我自体は自分で治したのかと問うが、少女はふるふると首を横に振って見せた。
「ううん、使ってないよ? ……あれ? そう言えば、あんなに居たかったのに何ともないね?」
不思議そうな表情で、少女が自身の体を見下ろす。恥じらいなく服の裾を捲る仕草は、少し無防備に過ぎた。
俺は軽く目を逸らしながら、続きを促す。
「えっと、それからすごい衝撃で目が覚めたんだよね。起きたら塔の端っこで、落っこちちゃうところだったよ」
どうやらクリスティーネは、上空の爆発によって意識を取り戻したようだ。頭を擦っているあたり、柱にでも打ち付けたのだろう。
何が起こったのかと塔から身を乗り出して上空を仰ぎ見て、落下する俺に気が付いたそうだ。
「なるほどな。ありがとう、助かったよ。流石に死を覚悟したからな」
生き延びるべく全力を尽くしてはいたが、なけなしの身体強化しか手段がない中、あのまま落下していたらほぼ即死、運が良くて致命傷だろう。それも即座に治療を受けなければ、ほんの僅かな余生を残すのみだ。
俺の言葉に、クリスティーネは普段よく見せる笑顔を浮かべた。
「ううん、ジークが無事でよかった! それで……あの人達は?」
そう言って、少女が首を傾げて見せる。
あの人達というのは、魔族の女達以外にない。意識を取り戻したのが爆発の直後ということは、あの女達が去ったことをクリスティーネは知らないのだ。
「残念ながら、撮り逃した。ヴォルフだけは仕留めたはずだが……」
俺は自身の利き手へと目線を落とす。
あの女がヴォルフを手元へと引き寄せる直前、俺はあの男の胸元へと剣を突き立てた。あの感触は、間違いなくあの男の息の根を止めたはずだ。その事に後悔はない。
「そっか……でも、あの人達がいなくなって街が元に戻ったなら、悪い結果ではない……よね?」
「……そう、だな」
俺としては完全敗北を喫した気分なのだが、俺もクリスティーネも、負傷はあれどこうして生きている。まだ油断は出来ないものの、最悪の事態は免れたのだろうと、俺は肩の力を抜いた。




