629話 残された二人と襲撃5
私が空へ舞い上がると同時、包囲の中から一人の冒険者が抜け出した。まだ歳若い――とは言っても私とおそらくは同年代だが――紺色の髪を後ろで一房に束ねた青年だ。軽鎧に身を包み、右手には彼の獲物であろう長剣が握られている。
膠着状態にしびれを切らしたのは、若さ故だろうか。その瞳は真っ直ぐに、正面に立つ少年の姿を映していた。
そんな青年の行動を皮切りに、他の冒険者達も一斉に黒衣の少年へと向かい駆け出し始めた。中には日和見するように周囲の様子を窺うものもいたが、雰囲気に当てられたのか少し遅れて先行する者達の後を追い始める。
「みんなで向かえば怖くないって? そう言うのは勇気じゃなくて無謀って言うんだよ!」
自らへと迫る冒険者達の姿を前に、少年は怯むことなく挑戦的な笑みを浮かべた。そうして少年が高らかに両手を打ち鳴らせば、冒険者達の中心で新たな爆発が生み出される。間近で衝撃に晒された彼らは、成す術もなく後方へと吹き飛ばされた。
周囲の者達もまた、無傷では済まない。その身に風圧を受け、一人残らず地の上を転がることとなった。
しかし、彼らもただ無策で突っ込んでいるというわけではない。数度地を跳ねた後、僅かに勢いが減じたところで地に手を付き立ち上がって見せる。爆発の衝撃に備え、身体強化を強めていたのだろう。
彼らが再び歩み始めるのに合わせ、私も空からの接近を試みる。爆発の魔術を使用した直後こそが好機だ。魔力を練り上げるよりも前に、身動きを封じてしまわなければ。
そんな私達の様子を見て、黒衣の少年はフードの下から口元を笑みに象った。そうして、つい先ほどのように両手を広げて見せる。
その姿を目に、私は思わず両の瞳を見開いた。
「嘘――」
先の爆発については、魔力量こそ問題ではあるがまだ説明が付く。冒険者ギルドの建物を吹き飛ばして以降、彼は都合三度も爆発の魔術を使用しているが、何れも多少の間隔は開いていた。
相も変わらず魔力を練り上げるような様子は見えないが、その時間があれば魔術を行使するだけの魔力を集めることも、決して不可能とは言い切れないだろう。
しかし、今回は魔術を使用した直後のことだ。いくらなんでも早すぎる。
これだけの時間では、初級魔術を使うことくらいしかできないはずだ。あれは冒険者達の歩みを止めるための、虚勢に過ぎないに違いない。
「虚仮威しが!」
居並ぶ冒険者達もそう判断したのだろう。臆する様子もなく、少年へと向かい疾走を続ける。
「無駄だって言うのがまだわかんないかなぁ?!」
そんな彼らを嘲笑うかのように、少年が両手を打ち鳴らす。
それと同時、先程と変わらない衝撃が冒険者達の身を激しく打ち据える。
再び生じた爆発は、その威力を微塵も減じてはいなかった。
直撃を受けた数名の冒険者は、成す術もなく宙を舞う。
爆風で吹き飛ばされた冒険者は再び受け身を取り立ち上がるが、先程とは異なり一様に唖然とした表情を浮かべその場から動けずにいる。
そこへ、再びの轟音。
それも、今度は一度では済まない。
少年が連続して両手を打ち鳴らす度、冒険者達の間で新たな爆発が生み出される。
圧倒的なまでの暴力の嵐に、屈強な男達は成す術もなく地に倒れ伏した。
「う……お、おぉぉぉぉぉ!」
爆風に晒される中、それでも冒険者達は声を張り上げ勇気を振り絞り、少年へと向け疾走する。しかし幾度となく襲い掛かる爆風の連鎖に、徐々にその数を減らしていった。
既に冒険者達の数は半分以下、にもかかわらず少年との距離は半分も縮まってはいない。このまま無謀な突撃を繰り返したところで、彼の元に辿り着ける者は一人としていないだろう。
――私が何とかしなければ。
幸いと言うべきか、少年の注意は地上の冒険者達に向いている。空を飛ぶ私も爆発の余波を受けてはいるけれど、未だ傷の一つも負ってはいない。
そうして少しずつ少しずつ、少年との距離を縮めていった。
彼我の距離はもうあと僅か。未だ少年は上空から近寄る私に気が付いた様子はない。
翼の一振りで加速すれば、一息で距離を詰められるだろう。後は、いつ飛び込むか。
機会を窺う私の眼下で、黒衣の少年が打ち鳴らした手を広げ直す。そうして周囲の様子を見直すように、その頭部を緩やかに左右へと振った。
「――!」
連鎖する爆発が、僅かに途切れる。
その一瞬の隙に、私は背の白翼で強く空を叩いた。
急加速する体を、同時展開した風の魔術が柔らかに包み込む。
一瞬が永遠に引き延ばされる中、私はふと思考する。
視界に映る少年は、最初に目にした時と変わらずフードを目深に被っており、その表情は窺えない。その事に、今更ながら違和感を抱いた。
彼の行使する爆発の魔術は、相も変わらず馬鹿げた威力を秘めている。辛くも直撃を免れた冒険者達が、余波の爆風だけでも軽々と吹き飛ばされる始末だ。
その爆風が、多少距離があるとはいえ少年の元まで全く届いていないはずがない。吹き飛ばされはしないとしても、風に煽られるとか、腕で顔を庇うといった動きをして然るべきだろう。
だと言うのに、彼の服装に乱れはなく、頭部は最初に見た時と変わらず漆黒のフードに覆われたままだ。
その姿に疑問を頭の片隅に浮かべたまま、私は少年へと向け手を伸ばす。
既に間合いは一呼吸の距離、先程のような爆発を起こせば自身の身も危ういはずだ。少年が自らを巻き込むことも厭わなければ私も危険なわけだが、それでも最悪、引き分けには持ち込むことが出来る。
その場合だって、今までのような全力は出せないだろう。身の危険を感じれば、どうしたって意思は鈍る。そうなれば後は互いの体力次第、それだって彼のような細身の少年に負ける気はない。
僅かな引っ掛かりを覚えつつも、私は勝利を確信する。
そんな私の瞳を、フードの向こうから紅い眼光が射貫いた。
「そうだよなぁ、近付けばどうにかなるって考えるよなぁ!」
一切の躊躇もなく、少年が両手を打ち鳴らす。
それと同時、私の意識は途切れた。




