624話 黒染めの塔3
螺旋状に伸びる階段を、上へ上へとひたすらに駆け上がる。もうどれだけ上がってきただろうか。シンと静まり返った塔の中、ただ俺達の足音だけが響き渡る。
結構な時間上ってきたと思うのだが、天塔の高さは相当なもので、未だ頂上どころか展望エリアにも辿り着かない。手摺りから身を乗り出せば、階段の中央にぽっかりと開いた吹き抜けから、背筋がひやりとするほどの光景が目に入るだろう。
「くそっ、まさか昇降機が動いてないとはな」
隣を並走するエアハルトが、苛立った様子でそう口にした。
通常であれば天塔の上へと上るのに、このように螺旋階段を全力疾走などする必要がない。ここには昇降機と呼ばれる大きな箱型の魔術具が常設されており、地上から天塔の上部まで人を運んでくれる仕組みとなっているのだ。
しかし、魔力切れなのかはたまた別の要因なのかはわからないが、とにかく今は昇降機が作動していなかったのだ。仕方がなく、普段は天塔の修繕などに使用されるという非常階段を使用しているというわけだった。
「愚痴を言っても仕方がないだろう。それに、この階段の途中に異常があるという可能性もあるからな」
わかりやすく天塔の上にこの騒動の元凶があれば良いが、螺旋階段の途上に何かあるということもある。どの道一度は調べなければいけないのであれば、上りも下りも変わりはしないというわけだ。
「ほらほら、頑張って!」
螺旋階段の手摺りの向こう、上下に開けた空間からクリスティーネが声を掛けてくる。 階段を徒歩で駆ける俺とエアハルトに対して、クリスティーネは己の銀翼で塔の中を飛んでいるのだ。地を走るのに比べると負担は少ないようで、少女の表情からは余裕が窺る。
「私、先に行って見てこようか?」
当初はそんな提案をした彼女だったが、俺が引き留めた。
確かに、クリスティーネだけであれば天塔の上までひとっ飛びが可能だ。えっちらおっちら階段を上らなくてはならない俺達と比べれば、余程早く上階に辿り着くことが出来る。
しかし、天塔を守っていた魔人達のように、塔の中にも魔物が待ち構えている恐れがある。そんな中、少女一人だけを先に向かわせるのは危険だ。
そういった理由で、クリスティーネは懸命に足を動かす俺達を眺めながら、ゆっくりと上昇しているというわけであった。
「ジーク、もう少しだよ!」
少女の言葉に見上げてみれば、確かに階段の終端が頭上に覗いていた。どうやら、ようやく展望エリアまで上がってきたらしい。
「クリス、わかってるな?」
「うん、最初は様子を見るんだよね?」
呼びかければ、クリスティーネが頷きを返す。
上階の様子がわからない以上は、このままの勢いで無闇に飛び込むような愚行は犯せない。ここは慎重に、身を隠して様子を窺うべきであると、先程階段を駆け上がりながら打ち合わせたのだ。
「慎重すぎる気がしないでもないがな」
「無策で飛び出すよりはマシだろう? 突っ込むなら一人で行ってくれ」
「ふん、それが愚策であることくらいわかっている!」
俺の言葉に、エアハルトが苛立ったように答えた。俺の提案に従うのが不服と言ったところだろうか。
さすがに一人で先走るようなことはないと思うが、信頼は出来ないな。せめて、俺とクリスティーネの邪魔になるようなことはしないでもらいたいが。
それから飛行を止めて階段に降り立ったクリスティーネと共に、三人で階段の縁より顔を覗かせる。そこには天塔の展望エリアが広がっていた。
展望エリアは、今日の夕前に俺とクリスティーネが滞在していた場所だ。円形の広い空間のうち、外壁側が小さな空間に区切られており、一目を気にせず王都の風景を楽しむことが出来る造りとなっている。
それ故、塔内の見通しという意味ではあまりよいものではない。あくまで、外の風景を楽しむためのものだからだ。
そのため、異変を探るためには個々のスペースを、しらみつぶしに調査する必要があると思っていたのだが。
しかし、どうやらその必要はなさそうだ。
確かに展望エリアの壁際は幾つもの個室に区切られているが、中心部には通行のためにだろう、ぽっかりと開けた空間がある。そこに、俺達以外の先客がいたのだ。
そこには三つの人影、内二つは一目でわかる。
魔人だ。
天塔の周囲を守るように展開していた、体格の良い黒い肌の人型の魔物。それと同じ存在が二体、展望エリアの中心に立っていた。
残りの一つは、フードを被った黒いローブの小柄な人影だ。小柄と言っても、それは魔人の傍に立っているためにそう見えるという話で、実際にはクリスティーネとほとんど変わらない背丈だろう。
黒いフードを被った人影はこちらに背を向けており、男か女かも、そもそも人なのか魔物なのかもわからない。普通に考えれば、魔人と共にいるのだからあれも魔人だと思うところだろうが、体格からすると人のようにも思える。
何者かと目を細めれば、小柄な人影のフードが揺れた。
「隠れていないで、出てきたらいかがですか?」
それは紛れもなく人の、それも女の声だった。やはり、あの小柄な人影は人に属する者であるらしい。どうやら、俺達の存在は既に向こうにも知られているようだ。
フードの端、赤い眼光が僅かに除く。そこには間違いなく、俺達の姿が映し出されていた。
「気付かれたみたいだな」
「ジーク、どうしよっか?」
触れ合う距離にいるクリスティーネが、小声で俺へと囁く。
「……仕方ない、出るぞ。得体の知れない相手だ、用心してくれ」
そう言葉を返し、俺はゆっくりと最期の数段を上る。利き手はいつでも剣を抜けるよう、腰へと手をかけた状態だ。
俺に次いでクリスティーネが展望エリアへと足をかけ、さらに俺の隣にエアハルトが並び立つ。
「……おや?」
何やら意外そうな声を漏らし、フードの女がこちらへゆっくりと向き直る。その両手には、何やら黒い水晶玉のようなものを抱えていた。
その玉からは、何やら強い魔力の揺らぎを感じる。呼吸でもしているかのように、僅かな脈動が見られた。
ただの水晶玉などということはないだろう。少なくとも、何らかの魔術具の類だろうと当たりを付ける。
「誰かと思えば、『万能』の君ではございませんか」
その言葉に、俺は水晶玉から女の顔へと目線を移す。その顔を視認し、俺は思わず眉を寄せていた。
「お前は……」
そこにいたのは、かつて隣町オストベルクで呪術に纏わる騒動を撒き起こした首謀者の片割れ、黒髪紅目の魔族の女だった。




