623話 黒い茨1
私の背丈ほどにもなる岩塊が目前に迫る。私は両足に魔力を纏い、一息に跳躍してそれを躱した。
通り過ぎる巨岩獣の片腕が風を巻き起こし、私の脚を撫でる。岩の拳は王都の石畳を砕き、石礫を周囲に撒き散らした。
ぱらぱらと破片が体に降りかかる中、私は巨岩獣の伸ばしきられた腕の上へと降り立つ。巨岩獣の腕は私が両手を広げたほどの太さにもなり、足を踏み外す恐れはない。
足裏に振動を感じる中、私は巨岩獣の腕上を駆けあがる。二の腕あたりに差し掛かったところで、巨岩獣が腕を持ち上げた。
揺れる視界の中、私は再び中空へとこの身を躍らせる。眼前に迫るは巨岩獣の頭部に当たる部位だ。
「『炎蹴撃』!」
身を捻りながら、炎を纏った蹴撃を浴びせかける。鈍い音と共に、びりびりとした衝撃が足先から頭へと抜けた。
渾身の一撃であったというのに、巨岩獣にはちっとも堪えた様子がない。岩の顔は砕けるどころか、ひびの一つも入っていない有様だ。
反動を利用して距離をあけようとする私へと、巨岩獣が左の拳を振り上げる。
「アメリアさん!」
背後から私の名を呼ぶ少女の声が聞こえてくる。それには答えず、私は着地と同時に今度は後方へと飛び退った。
一歩遅れて、巨岩獣の拳が石畳を割る。追い縋るように飛来する石礫を、私は撃ち落としながら後退した。
「『氷結掌』!」
シャルロットの声と共に、巨岩獣が振り下ろした片腕が凍り付く。魔術によって生み出された氷塊は、巨岩獣の腕と地面とを結ぶように縫い付けた。
もちろん、巨岩獣はそれを良しとしない。己の腕を封じる氷塊を砕かんと、反対の拳を氷へと打ち付け始めた。
巨岩獣の腕力は見た目通りに強大なもので、氷塊はあっという間に白くひび割れてしまう。けれど、唯の一撃で壊れてしまうようなことはなかった。
その隙に、巨岩獣の足元まで辿り着く人影がある。
「爆裂ぅ!」
大女が大声を上げながら、巨岩獣の足へと大槌を打ち付ける。大きく横に振られた金属塊は、炎を吹きだしながら魔物の足を殴り飛ばした。
地に着く足の片方を打たれた巨岩獣は、大きくその体制を崩す。ひとたび崩れたバランスはすぐには戻らず、その巨体がゆっくりと横になっていく。
それに合わせ、デボラもまた動いていた。巨岩獣が倒れる方向へと、先回りするように掛けていく。その手には当然、身の丈ほどの大槌が握られている。
巨岩獣が倒れ込む。その動きに合わせ、デボラがぐっと大槌を構えた。
「もういっちょ! 爆裂ぅ!」
デボラが巨岩獣の頭部を迎え撃つように大槌で打ち付ける。
轟音と共に、巨大な魔物の頭部が砕けた。
一拍遅れ、巨岩獣の巨体が地響きを立てて石畳の上へと横たわる。それきり、魔物は動く気配がなかった。
「……すごいわね」
思わず、私は言葉を溢す。あれほど破壊力のある攻撃というのは、私には出来ない芸当だ。少し羨ましく思う。
そんな私の元へと、デボラが大槌を肩に担いで近寄ってきた。
「よう、いい動きだな。あたしはデボラってんだ。当てにしてもいいのか?」
その様子は初対面の相手に対する態度で、どうやら昨日に私と町であったことは覚えていないらしい。あの時デボラと言葉を交わしたのはジークハルトだけな上、私の装いも今とは異なるものだったため無理もない話だ。
「アメリアよ、手を貸すわ。それともあなたには必要ないかしら?」
「んなこたぁないさ、助かるよ! さっきの魔術はそっちの小さいのか?」
女が目を向ければ、シャルロットはびくりとその小柄な体を震わせた。
「は、はい! あの、シャルロット、です! 魔術なら多少、心得があります!」
「はっはっは! あれは多少なんてもんじゃないだろ! まぁいい、あたし一人じゃ手を焼きそうなんでな、手伝ってもらうよ!」
氷精の少女の言葉に、大女は大声で笑って見せた。先程までのデボラを見る限りでは、協力せずともこの数の巨岩獣くらい一人で何とかしてしまえそうだが、とは思ったもののすぐに考え直す。
傍に居るシャルロットだって強大な魔力を保有しているものの、それも無限というわけではない。強力な魔術を使い続ければ、そのうち魔力切れを起こしてしまう。だからこそ、この子も魔力を調整しつつ、少ない魔力で効果的な魔術を使用しているのだ。
それはデボラにしても同じだろう。まして、精霊族であるシャルロットよりも魔力が多いはずがない。
最初の二体を屠った時に比べれば、先程の大槌の威力は控えめであった。それも、魔力を節約してのことだろう。それでも巨岩獣を容易く仕留められる当たり、規格外ではあるのだが。
それから私とシャルロットはデボラと協力して、巨岩獣たちを仕留めて回った。主に私の役目は陽動、シャルロットは足止めだ。
自身の手で魔物を倒せないのは口惜しいが、ここは適材適所だと割り切ろう。ジークハルトであれば、きっと同じように考えたはずだ。
巨岩獣達は次々とその数を減らしていき、ついには立っているのが最後の一体となった。炎弾を巨岩獣の頭部へと投げつけ注意を惹き、シャルロットの魔術が魔物を拘束する。
そこへ走り込んだデボラが大槌を豪快に振り回せば、舞い散る紅炎と共に巨岩獣の脚部が砕ける。支えを失った巨岩獣の体が、ぐらりと傾いだ。
「こいつで、仕舞いだ!」
獰猛な笑みを浮かべたデボラが、豪快な一撃を巨岩獣へと見舞う。最期の一撃ということで気合が入ったのか、巨岩獣の頭部は大槌によって粉砕された。
崩れ落ちる魔物の前、大女は大槌を肩へと担ぎ、一つ深い息を吐きだす。
「ふぅ、なかなかいい運動になったな!」
そう口にするデボラは、さほど疲れているようには見えない。まだまだ戦えそうな様子だが、幸いにもこれ以上の巨岩獣が現れる様子はなさそうだ。
ひとまず危機は去ったとみていいだろう。そう考えながら、私は女の方へと歩いていく。
「あなたがいてくれて助かったわ。それで、あなたはこれから――」
どうするの、と言葉を続けようとした私だったが、弾かれたように右手へと顔を向けたデボラに口を結ぶ。その目線の先へと目を向けて、私は思わず身構えた。
それは魔物ではない。黒い茨とでも言えばよいのだろうか。細長い枝のような形状をしたものが、無数に枝分かれしながらデボラへと迫ってくる。
「……なんだ?」
眉根を寄せながらも、女は大槌を構える。両足を広げて振り被り、自身へと迫る黒い茨へ思い切り叩き付けた。
デボラの大槌に触れた黒い茨が、爆発によって吹き飛ぶ。天へとその切っ先を向けた黒い茨は、中空で溶けるように崩れていった。
それが何なのかはわからないものの、少なくとも良いものではないだろう。規格外であるデボラの一撃だと言うことを考慮しても、そこまで耐久性はなさそうだ。
それならば対処も容易だろうと、そう思ったのも束の間。
「ぐあっ!」
苦痛の声を漏らすとともに、デボラが大槌を手から離し、その場に膝から崩れ落ちた。




