619話 爆裂ハンマー
びりびりと、震える空気が頬を揺らす。
俺は咄嗟にシャルロットを腕の中へと庇いつつ、目を細め前方を注視する。
一体、何が起こったというのか。
突如として爆発でも起こったかのように、巨岩獣の巨体が弾け飛んだ。その威力たるや筆舌に尽くしがたいほどのもので、未だ数十歩も距離が開いているというのに、ここまで小さな石片が飛来するほどだ。
冒険者の一人が、上級魔術でも使用したのだろうか。
当初はそう考えた俺だったが、すぐに認識を改めた。立ち込める砂煙の中に、人影が見えたのだ。そこは、つい先程まで巨岩獣が立っていた場所だ。
一陣の風が吹き荒び、砂の膜を空へと運ぶ。
そこに立っていたのは、一人の大柄な女だった。赤を基調とした戦衣装を身に纏い、肩には身の丈ほどもある大槌を担いでいる。その堂々とした佇まいからは、強者の風格を感じた。
「ジーク、あれって……」
傍らのアメリアが言葉を溢す。この中で彼女と面識があるのは、俺の他にはアメリアだけだ。
そこにいたのはつい先日、アメリアと共に出掛けた際に知り合った女。Sランク冒険者のデボラだった。
たった今巨岩獣を破壊したのは、デボラだと見てまず間違いないだろう。その実力は伝聞でしか知らないものの、噂に聞く彼女の力であればそれも可能なはずだ。
デボラは感触を確かめるように、くるりと肩の上で大槌を回して見せる。かと思えば、最後に残った巨岩獣の元へと駆け出し始めた。
大女の駆ける速度は一見、Sランク冒険者らしからぬ一般冒険者と遜色ないものだった。少なくとも、足の速さだけで言えば俺やアメリアの方が余程速いだろう。
しかし、それだけでは身体能力の優劣など付けることは出来ない。そう言える要因としては、女の手にする一際目を惹く大槌の存在だ。
なにせ、女の身長とさほど変わらぬ大きさの獲物である。本人よりもあの金属塊の方が、余程重量はあるだろう。
そんなものを抱え上げるだけでなく、軽々と肩に担いだまま只人以上の速さで駆けるのだ。その身体能力は如何ほどのものか。
「ばぁぁぁくれつぅぅぅ!」
デボラは何やら大声を上げながら、巨岩獣へと跳躍する。声を張り上げたところで攻撃力が上がるわけではないと思うのだが、彼女はあれでSランクの冒険者だ。気合が入るとか、何らかの意味があるのだろう。
女の声に気が付いてか、はたまた膨れ上がる闘気を感じてか、他の冒険者に相対していた巨岩獣が動きを止め、その大きな頭部を女へと向けた、ように見える。実際のところ、あの岩の魔物が視覚を有しているのかは謎だ。
デボラが中空で身を縦に捻る。
その動きに合わせ、両手に握った大槌が唸りを上げながら弧を描く。
回転の速度を十全に載せた一撃が、巨岩獣へと吸い込まれる。
轟音が響き、遅れて衝撃が肌を撫でる。
あれだけ冒険者達が苦戦していた巨岩獣は、唯の一撃で単なる岩塊へとその身を転じていた。先程の攻撃には、いったいどれほどの破壊力が秘められていたのだろうか。
ただ、巨岩獣を屠った一撃は、何も単なる力任せのものだったというわけではないようだ。デボラが大槌を振り下ろす瞬間、大槌後部の打撃面で爆発が生じているのが確認できた。
なるほど、『爆裂ハンマーのデボラ』というのはあれから名付けられたのだろう。あの爆発により、速度と威力を跳ね上げているというわけだ。残念ながら、原理がわかっても剣術に応用するのは少々難しいだろう。
「……何とかなったわね?」
「ふわぁ、すごい人がいるねぇ?」
アメリアが小さく息を吐きだし、クリスティーネは感心したような声を漏らす。俺達も巨岩獣を一体討伐したが、単身で、かつこの短時間で二体もの巨岩獣を連続して倒してしまうとは、流石はSランクの冒険者だと言える。
ひとまず、目に見える範囲の魔物は片付いたようだ。これで一安心だろうと、そう思ったのも束の間のことだった。
「……いや、まだのようだな」
少女達へと鋭く声を掛ける。
俺達の眼前、やや離れた場所。
王都の石畳を割り砕きながら、地中から新たな巨岩獣が姿を見せていた。
それも一体だけではない。先程の倍、実に六体もの巨岩獣が地より這い出で、王都の広い道を埋め尽くす。
「ジーク、どうしよう?!」
「放置は出来ないが……かと言って、ここで足を止めていいものか……」
俺達はもともと、天塔を目指して冒険者ギルドを後にしたのだ。それは王都を謎の黒い膜が覆うという現象の原因が、天塔にあるのではないかと思ってのことだ。
ここで巨岩獣への対処をしていれば、それだけ天塔に辿り着くのが遅くなる。いや、巨岩獣が今姿を見せているものですべてとも限らない。ここで巨岩獣の対処をするということは、事態が収まるまでここで戦い続けるということにもなりかねないのだ。
視界の中、嬉々として新たに現れた巨岩獣へと向かうデボラの姿がある。彼女の実力は先程見た通りだが、とは言え彼女だけをいつまでも当てにするわけにはいかない。
俺やクリスティーネであれば、彼女に及ばないまでも似たようなことは出来る。強魔水を服用して極大光剣当たりを使用すれば、巨岩獣一体に対して単独での対応も可能だろう。
しかしそれは、後の事を考えない場合の選択だ。どれだけ今の状況が続くかもわからない中、この場に全力を尽くすというわけにはいかない。
先に進むか、それともこの場に留まるか。
思案する俺が結論を出すよりも先に、耳に届く声があった。
「私が、残ります」
聞こえた声に振り向けば、己の胸の前で片手を握る氷精の少女の姿があった。
「少しくらいなら、あの方のお手伝いが出来ると思いますから……だから、ジークさん達は先に行ってください」
そんな風に、決意を込めた表情で言うのだった。
シャルロットの言わんとしていることは、俺もわからないではない。確かにこの魔術に長けた少女であれば、先程俺と協力して生み出した規模には及ばないものの、巨岩獣にも有効な攻撃を加えることは可能だろう。
この場は自分にまかせて、俺達は天塔に向かってくれと、そう言っているのだ。天塔に向かうという当初の目的も達成できるし、この場の巨岩獣達を見過ごすわけでもない、ある意味では適材適所な選択と言えるだろう。
しかし、だ。
「さすがに、シャルだけ残していくことはできないな」
「心配だもんね?」
俺の言葉に続き、クリスティーネが眉尻を下げて見せる。
決して、シャルロットの実力を軽く見ているわけではない。この子の魔術の腕前は、既に一流の魔術士と比較しても遜色のないものである。
そうは言っても、心配なものは心配だ。シャルロットは俺達の中でも最年少、後衛ということもあり、真っ先に守られる立場である。
巨岩獣の動きは鈍いとは言え、その巨体故に見た目以上の俊敏性だ。この子に限って油断するようなことはないだろうが、万が一ということがある。他の冒険者達もいるとはいえ、一人ここに残すわけにはいかない。
「それなら、私が一緒に残るわ」
クリスティーネかアメリアか、少なくともどちらかを残す必要があると考えたところで、そうアメリアが口火を切った。
「天塔に行くんでしょ? でも、ここも放っては置けない。それなら、シャルと一緒に私が残るわ」
「アメリアちゃんを信じてないわけじゃないけど、治癒術の使える私が残った方がよくないかな?」
「これだけ冒険者がいるなら、治癒術の使い手の一人くらいいるでしょ? それよりも、天塔に何かあるなら、クリスはジークと一緒にいたほうがいいと思うわ。囮くらいなら、私でも出来るし」
アメリアが言いたいこともわかる。この赤毛の少女も十分な実力があるが、地力の高さや応用力ではクリスティーネに軍配が上がるだろう。もしも天塔で予想外の事態に見舞われた場合、クリスティーネが一緒にいてくれるのは俺としても心強い。
アメリアには、ここに残ってシャルロットの補助をしてもらうのがいいだろう。そう考え、俺は少女達へと一つ頷きを見せる。
「わかった。シャル、ここで他の冒険者と協力して巨岩獣の対処を頼む。アメリア、シャルの事を任せた」
「はい、頑張ります!」
「えぇ、いざとなったらシャルだけ抱えて逃げるわ」
アメリアの言葉に首肯を返す。
巨岩獣への対処は重要だが、それで二人が怪我を負うようなことがあれば本末転倒だ。そのあたり、アメリアがいてくれれば最悪でもシャルロットを連れてここから離脱してくれることだろう。
「よし、クリス。俺達は天塔に向かうぞ!」
「うん! 二人とも、気を付けてね!」
そうして俺はこの場に残る二人へと手を振るクリスティーネを連れて、戦場の只中を駆け始めた。




