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579話 悪い知らせ

 ふ、と小さく息を吐き出す。だが俺は、すぐに次の行動へと移った。何とかヴァルヴェルヴィルクを倒したとは言え、悠長に感慨にふけっている時間などないのだ。


「アメリア、フィナを看てくれ! 俺はシャルを!」


「任せて!」


 俺の言葉に、赤毛の少女が少し離れたところで倒れている白翼の少女へと駆け寄る。俺はそちらへは向かわずに、赤毛の少年の傍で蹲る氷精の少女の方へと走り寄った。

 カイは必死な様子で、横たわるシャルロットを揺さぶっている。


「シャル姉ちゃん! シャル姉ちゃん!」


「どいてろ!」


 俺は少年の小柄な体を突き飛ばした。決して本気ではなかったものの、少年には十分に強くカイは後ろへと尻餅をつく。かなり乱暴な対応をしてしまったが、それくらい俺も冷静ではいられないのだ。

 氷精の少女の傍に膝をつき、その状態を確かめる。


 シャルロットは半ばうつぶせの状態で横たわり、地に頬をつけたまま、は、は、と浅い呼吸を繰り返している。その顔からは血の気が失せ、宝石のような瞳からは今にも光が消えてしまいそうだ。最早、声を発することも出来ない様子である。

 その背中は魔獣の爪によって、深々と抉られている。肉が裂け、骨まで達しているのではないだろうか。溢れ出る血は尋常ではなく、幾ばくの猶予もないことが一目でわかる。


 俺はすぐさま魔力を練り上げ、少女へと治癒術をかけ始めた。少しの遅れが、取り返しのつかない結果となる。

 過剰なほどの魔力を注ぎ込めば、シャルロットの肉体は急激な速度で修復されていった。


「あ……あ……」


 その途上、シャルロットが苦しげな声を漏らす。傷が癒えるにつれて、飛んでいた痛覚が戻ってきたのだろう。未だ背中の傷は大きく、その激痛の程は想像に難くない。


「もう少しの辛抱だ、シャル!」


 励ましの声を掛けながら、魔力を流し続ける。それからしばらくして、シャルロットの傷が完全に塞がった。

 その瞳から光は失われておらず、浅いながらも確かに呼吸をしている。さすがにぐったりと衰弱している様子ではあるものの、ひとまず命の危機は脱したようだ。


「あ……ジークさん……」


「もう大丈夫だぞ」


 手を取ってやれば、弱々しくも握り返された。いきなり動かすのは体に負担がかかるだろう、少しの間、このまま寝かせてやることにする。

 そこへ、アメリアがフィリーネを連れてやってきた。やはりフィリーネも先程の一撃で負傷した様子で、脇腹に手を当てながらアメリアに体を支えてもらっている。


 フィリーネは少し不安定な足取りで、俺の傍へと腰を下ろした。その額には脂汗が浮かび、苦しげな表情を浮かべている。


「フィナ、大丈夫か? 見せてくれ」


「大丈夫、でもないかもなの」


 そう口にする白翼の少女が片手を当てる脇腹には、赤い色が見える。手を除けてもらえば、致命傷ではないものの、痛々しい傷が見えた。

 俺はすぐさま白翼の少女へも治癒術を施した。幸いにも、シャルロットほどの重症ではなかったため、すぐに治療は完了した。未だ血の跡は残るが、傷跡もなく綺麗に傷口が塞がっている。


 フィリーネは普段と同じ、少しぼうっとしたような表情へと変わり、小さく息を吐きだす。


「ありがとう、ジーくん」


「これで大丈夫だな。アメリアはどうだ?」


「私は平気よ。怪我一つないわ」


 俺の問いに、赤毛の少女が軽く首を振って見せる。この娘は上手い事、魔獣の注意を引かずに立ち回っていたため、その標的になることもなかったのだった。

 ひとまずこれで、全員が無事に済んだことが確認出来た。その事に、俺はほっと息を吐きだした。


 それから俺は、氷精の少女の傍で地面にへたり込む赤毛の少年へと目を向けた。少年は力なくその場に尻を付け、少し涙の滲んだ目をシャルロットへと向けていた。


「シャル姉ちゃん……良かった……」


「この馬鹿!」


 そんなカイへと、俺は頭に拳骨を落とした。「いてぇっ!」という悲鳴を上げ、少年は己の頭を両手で抑える。


「村で待ってろって言っただろう! 何で来た!」


 俺の言葉に、カイはしゅんとした様子で肩を落とす。だが、何かを思い出したかのように、その表情を俄かに変えた。


「そうだ! 兄ちゃん、魔物が村にも出たんだ!」


「……なんだって?」


「どういうこと、カイ?」


 首を傾げる俺の隣へと、アメリアが膝を曲げて屈み込む。

 それに対してカイは、先程俺達が打ち倒したヴァルヴェルヴィルクを指差して見せた。


「あいつだよ! 魔物は二匹いたんだ! もう一匹が、村で暴れてる!」


「なんだと?!」


 少年の言葉に、まさか、という想いが募る。ヴァルヴェルヴィルクのような強力な魔物は、基本的に群れるようなことはない。個別の縄張りを持つのが普通だ。

 考えられるとすれば、(つがい)だったということか。それならば、二匹がすぐ近くにいたことにも理由が付く。


 だが、不味い状況だ。もう一頭のヴァルヴェルヴィルクが火兎族の里で暴れているのであれば、早急に討伐する必要がある。今すぐにでも、火兎族の里に変えるべきだ。


「だが、先にクリスを探さなければ……」


 俺達が討伐した魔獣を足止めしていたはずの、クリスティーネの行方がわからないのだ。

 あの娘の実力は良く知っている。例え相手がヴァルヴェルヴィルクであっても、そう簡単に後れを取るような娘ではない。


 不意を突かれたとしても、クリスティーネであれば耐えきることが出来るだろう。もし負傷して自分の身が危うくなったとしても、何とかその状況を脱することが出来るはずだ。

 きっとこの森のどこかで、俺達が来るのを待っているのだろう。火兎族の里へと帰る前に、彼女を見つけ出さなければ。


 だがそんな俺の考えを否定するように、カイが首を振って見せた。


「クリス姉ちゃんなら村にいるよ! 魔物と戦ってくれてるんだ!」


「どういうことだ?」


 俺の問いに、カイが詳しい話を聞かせてくれる。

 どうやらクリスティーネは、俺達が村を出たのと入れ違いで、火兎族の里へと戻ってきたらしい。ヴァルヴェルヴィルクの攻撃を受け、翼が折れてしまったがために、徒歩で村へと戻ったそうだ。


 それからエリーゼとイルムガルトに翼を元の位置に戻してもらい、自らの治療を行った。その間に、フィリーネが魔物の出現を知らせ、俺達が討伐に向かったことを聞いたそうだ。

 そうして治療が完了し、俺達の助力へと向かおうとしたところで、もう一頭のヴァルヴェルヴィルクが現れたそうだ。


「クリス姉ちゃん、すごい強くて魔物を押してたけど、無理してるんだろ? 兄ちゃん達を呼んできた方がいいと思って……」


 そう言って、カイが肩を落とす。

 クリスティーネは確かに強いが、ヴァルヴェルヴィルクを圧倒できるほどではない。それでもあの娘が魔物を押しているということは、強魔水を使用した可能性が高い。


 あれは強力な薬ではあるが、時間制限があるものだ。それも、魔力を使用すれば使用するほどに、効果時間は短くなるものである。

 クリスティーネの魔力は、俺やシャルロットに比較すれば少ないほうだ。ヴァルヴェルヴィルクのような強力な魔物が相手では、それほど長い時間、効力が続くことはないだろう。


 なるほど、そう言う理由でカイはここへ来たという事か。

 俺は少年の赤毛へと、軽く片手を乗せた。


「……カイの考えは分かった。ひとまず、知らせてくれたことには礼を言うぞ。ありがとうな」


 ここに来たのが、俺達の戦いを見たいなどという好奇心ではなく、この子なりの考えがあったということはわかった。もちろん、もっと他にやりようはあっただろうし、不用意に来たことは褒められない。

 それでも、カイ自身に悪気はなかったのだろう。彼なりに、村を何とか救おうと思っての行動だったのだ。


 無論、カイを庇った結果、シャルロットが命を落としていたとすれば、俺は生涯この子の事を許すことは出来なかっただろう。だが幸いにも、シャルロットは一命を取り留めることが出来たのだ。

 今はカイを叱るよりも、成すべきことを成すべきだ。もっとも、すべてが終わった時には、しっかりと絞らせてもらうが。


「よし、フィナ、アメリア、村に戻るぞ! シャルは俺が背負っていく!」


 俺の言葉に、二人はすぐさま頷きを見せた。それから俺は未だ衰弱した様子のシャルロットを背負い、火兎族の里へと向けて駆けだした。

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