547話 氷龍の少女と最後の夜1
土魔術で生み出した岩壁に囲まれた中、天幕から少し離れた場所に腰を下ろし、パチパチと爆ぜる焚火へと向きあう。壁の外はすっかりと暗くなり、辺りを静けさが支配していた。
ふと、俺は天幕へと視線を向ける。数日前に帝都で新たに購入した、以前よりも二回りほど大きな天幕だ。以前の天幕では若干手狭に感じていたので、折角金はあるのだからと新調したのだった。その分快適に過ごせるのだが、周囲を囲む岩壁も広く作る破目になった。
その天幕の中では、俺以外の少女達が既に眠りについている。普段よりも少々早い就寝だが、昼間に目一杯遊んだことで疲労が溜まっていたらしい。
天幕から焚火へと視線を戻す。そうして考えるのはレイのことだ。
随分と、幸運な出会いをしたものである。
フィリーネの氷化を治すために旅立ち、レイの事を見つけた時は、ただの半龍族の少女だと思った。もちろん、あんな雪山にいる以上は何らかの訳ありなのだとは思っていたが、まさか正体が氷龍だとは思いもよらなかった。
それから黒龍を追い払うために寝食を共にし、共に腕前を高め合った。無事に黒龍を追い払った時は、氷龍の少女との生活も最後になるのかと、感慨深いものがあった。まさか、それから幾ばくも無いうちに帝都で再開することになるとは。
帝都でレイと暮らし始めてからは、以前にも増して楽しかった。雪山にいた頃は、フィリーネを救うためが第一だったので、あまり遊んだりなんかは出来なかったからな。
最初は何に対しても興味深そうな視線を向けていたレイも、すっかりと人の生活に慣れたようだ。
そんな折に、禁忌の魔術具の騒動が起こった。結果的にはすべてが丸く収まったと言えるが、あの場にレイがいてくれたのは本当に僥倖だったな。
帝国にレイのことが知られてしまったが、今のところは概ね受け入れられているらしい。この先、両者が良い関係を続けていければ良いのだが。
それでもやはり、一抹の不安は残る。いつの日か、帝国の剣が彼女に向く日が来ないだろうか。
あの子を人の世界に連れてきた責任は俺にある。本当なら、最後まで面倒を見てやるべきなのだろう。せめて、あの子が独り立ちできるようになるまで――いや、そもそも氷龍が大人になるのがいつなのかも知らないが――傍に居てやりたい気持ちもある。
だが、エリーゼやイルムガルトとの約束もある。彼女達を王国へと連れ帰るのも、彼女達を連れ出した俺の役目だ。
いっそのこと、イルムガルトを送り届けてから、帝都に戻ってくるという道もあるのだろうか。少々雪の多い土地ではあるが、冒険者としての仕事は変わらずにあるだろう。
だが、そうすると今度こそ土地持ちの貴族にさせられるかもしれない。冒険者を引退する日が来ればそう言う道もあるのかもしれないが、少なくとも今の俺にはそんな気はない。
それに、クリスティーネとの約束もあるからな。彼女にいろいろな景色を見せてやりたいし、俺だって行ったことのないところがまだまだある。当面の目標は海を見ることだろうか。
そう言った約束や目標を放り投げてまで、俺はレイの傍にいるという選択は取れない。精々、数年に一度、帝都へと足を運ぶのが関の山だろう。その程度しか、俺はあの子にしてやれることがない。
そのことに、俺は小さく溜息を吐きだした。焚火の光に照らされ、白い息が漏れる。
その時ふと、天幕の方から小さな音が聞こえた。俺はその音の方へと目線を向ける。天幕の布に遮られて見えないが、誰かが寝返りでも打ったのだろうか。
そう考えたところで、天幕の入口の布が揺れた。そうして、中から氷龍の少女がひょっこりと顔を見せる。
少女は俺の姿を認めると小さく息を吐き、音を立てないようにか慎重な足取りで天幕の外へと出た。そうして、俺の方へと歩み寄ってくる。
「どうした、レイ? 眠れないのか?」
「うむ、少しな。座っても良いか?」
「あぁ、もちろんだ」
俺が答えれば、レイは土魔術で生み出した岩のベンチ、その上に敷かれた布へと腰を下ろした。そのまま、しばらく二人で焚火の灯りを眺める。
先に口を開いたのはレイだった。
「……眠れば、朝が来てしまうからな。朝になれば、我は帰らねばならぬ。それが、少し、惜しい」
小さな声だが、これと言って音のない世界では、俺の耳へと確かに聞こえた。
「……やっぱり、昼のうちに帰っておけばよかったか?」
俺は氷龍の少女へと問いかけた。
今日の午後は時間一杯、俺達はレイと共に遊びに興じた。雪に塗れ笑い合い、夕食の席では大いに語り合った。そうした時間を過ごしたことで、より別れ辛くなってしまっただろうか。
そんな俺の質問に、レイはかぶりを振って見せる。
「そんなことはないぞ。皆と遊ぶのは楽しかった。最後にこんな風に遊べて、良かったのじゃ」
そう言って、レイは焚火へと目線を落とす。その氷の瞳に、炎の揺らぎが映る。
「……すまないな、レイ」
「む? 何を謝るのじゃ?」
俺の言葉に、氷龍の少女は不思議そうに首を傾げて見せた。
俺は少女の方へと顔は向けず、岩壁と天井の隙間から空を見上げた。
「いや……レイは、俺達と出会わないほうが、幸せだったんじゃないかと思ってな」
本来、人と龍が関わりを持つことなど、まずないことだ。あったとしても、そこには必ず争いがあった。こんな風に言葉を交わせるようなことは、後にも先にもレイだけだろう。
一見してこれは、平和なようにも見える。少なくとも俺達とレイとでは、有効な関係を築けている。それはこの先も変わらないだろう。
だが、その関係をすべての人が築けるとは思えない。何れはレイの事を疎ましく思う者だって出てくるだろう。
そうなった時、レイが無事で済む保証はない。
本来であれば、レイが人に遅れを取ることなどないはずだった。氷龍と人とでは、それくらいに力量の差があるのだ。
だが、今のレイは人に爪牙を向けることに、少なからず躊躇いが混じるだろう。それは、俺達と関わった影響だ。俺達がこの子の生き方を歪めてしまったのである。
もしもその時が来れば、この子はきっと、俺達と出会ったことを呪うだろう。この子が命を落とすようなことがあるとすれば、それは俺の罪だ。
今のこの子に謝罪をすることすら、俺の独りよがりに過ぎない。
だが、そんな俺の言葉に――
「馬鹿を言うでない!」
――氷龍の少女は怒気を露わにした。
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