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536話 火兎の少女は正気に戻った2

 食事会の翌日、今日も俺は訓練のために東棟の裏手へと足を運んでいた。今日の昼過ぎに執り行われる、名誉男爵位の授与式が終われば、いよいよこの帝都を発つ日が近づいて来る。

 それを考えれば、旅の事を考えてもう少し訓練に身を入れても良いだろう。丁度、確認しておきたいことがあるのだが、それは皆が揃ってからでも良さそうだ。


 それから俺は昨夜一緒に眠ったレイ、それからシャルロットの二人と一緒に、軽く体を解す。そこへ、東棟の方向から赤毛の少女達が近づいてきた。


「三人とも、おはよう!」


 元気な挨拶を投げかけてきたのは、火兎族の少女エリーゼだった。寒風に少し頬を染め、白い息を吐きだしている。


「そ、その……お、おはよう……」


 エリーゼの陰に隠れ、挙動不審な様子で言葉を漏らしたのは、同じ火兎族の少女アメリアだった。普段の勝気な態度も鳴りを潜め、出来るだけ存在感を消そうとするように体を縮めていた。

 そんな少女の態度に、俺は心当たりがあった。間違いなく、昨日のことが関係しているのだろう。


「おはよう、エリーゼ、アメリア」


 俺は出来るだけいつも通りに、優しく言葉を掛ける。その瞬間、赤毛の少女はわかりやすく肩を跳ね上げた。その紅の瞳は、はっきりと宙を泳いでいる。

 それからアメリアは、エリーゼの陰へと半身を隠したまま、こちらをちらちらと上目で見つめてくる。


「ジ、ジーク、その……き、昨日のことは……」


 普段の元気もどこへやら、アメリアは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。そんな少女の様子に俺は思わず苦笑を漏らしながら、俺は傍へと近寄った。

 俺がすぐ目の前まで来たことで、アメリアは緊張した様子を見せた。俺の目を見ず、そわそわと瞳を彷徨わせる。


 そんな少女を安心させようと、俺はアメリアの頭へと軽く片手を乗せた。その途端、少女はびくりと体を震わせ、側頭部から斜め下へと伸びる大きな耳を持ち上げて見せた。どうやら逆効果だったらしい。


「アメリア、昨日のことなら、俺は気にしてないからな?」


「そ、そう? でも……」


「大丈夫だ。酒に弱いんじゃ仕方がないよな」


 俺やクリスティーネ、フィリーネなんかは多少酒を飲んだところで、普段と大して変わりがないが、誰もがそう言うわけではないことくらいわかっている。たまたまアメリアが、極端に酒に弱かっただけのことだ。

 声を掛けながら軽く髪を撫でつければ、アメリアの肩から力が抜ける。


「そりゃあ多少驚いたが、アメリアが本気で言ったわけじゃないってことくらい、ちゃんとわかってるからな?」


 まさかアメリアから好きだと告げられたり、その上で口付けを迫られるなんて思っても見なかったから、あの時は随分と動揺してしまった。だがもちろん、それがアメリアの本心だったなんて思ってはいない。

 あの時のアメリアは酒に酔っていたのだ、おかしなことを口走っても不思議ではない。それなりに好かれているという自負はあるものの、そう言う意味だと勘違いするはずがないのだ。


 もちろん、普段と様子の違うアメリアは、それはそれで可愛かったけどな。あんな風に直接的に迫られては、ぐらっときても仕方がないと思う。

 そんなことを告げればアメリアは益々恥ずかしがるだろうから、口にはしないが。


「……そう、なの」


 だがそんな俺の言葉を聞き、何故だかアメリアは落ち込んだように肩を落とした。そうして、何故だか上目遣いで俺の事を恨めし気に見つめる。

 どうしたのだろうか、もしや掛ける言葉を間違えたのか。いや、しかし「アメリアの気持ちはよく分かったよ」なんて言えるはずがない。


 ひとまずその話は置いておくとして、アメリアには言っておかなければならないことがある。


「ただ、アメリアは少し酒の飲み方は覚えておいた方がいいだろうな。そうでないと、今度こそ好きでもない相手と口付けする破目になるぞ?」


 あの時、もしも俺にその気があったのなら、簡単にアメリアの唇を奪うことが出来たのだ。そんなことをすれば確実に嫌われるし、アメリアを泣かせることになるだろうからしなかったが、隙だらけであったことは言うまでもない。

 だが今後、アメリアが酒をまったく飲まないという保証はない。昨日みたいに誤って飲むこともあるだろうし、もしかすると騙されて飲む可能性だってある。


 そうなった時、酒に多少慣れておかなければ、アメリアの身が危険だ。意図しない相手と口付けを交わして、後で後悔することになるかもしれない。

 そうならないためにも、自身の許容量を把握しておくことは大切である。


 そういったアメリアの事を考えての助言だったのだが、少女は俺の言葉を受け俄かに顔を赤らめた。


「わ、私だって、誰にでもキスをせがむわけじゃないわよ!」


「……そうなのか?」


「えっ? あっ!」


 昨日の様子を見る限りでは、とてもではないが信じられないな。あれは俗にいう、キス魔という奴に違いない。

 俺の反応を受け、アメリアは「しまった」とでも言うように口元に手を当て、顔を赤らめた。何か失言でもあっただろうか。


 少女の様子に首を傾げつつ、俺はエリーゼへと目を向けた。あれから一緒にいたエリーゼであれば、そのあたりのことを知っていそうである。アメリアの被害には遭わなかったのだろうか。

 俺の言葉に、エリーゼは「んー」と顎先に指を当てて見せる。


「そうだねぇ、別にキスはせがまれなかったかな? ずっとジークさんの話ばっかりしてたし……あっ、でも私も好きって言われちゃった。ふふっ、昨日のアミーは可愛かったなぁ」


「えっ、うそっ、聞いてないわよ?!」


 両手を頬に当て嬉しそうに顔を綻ばせたエリーゼに対し、アメリアが驚きを露わにし顔を赤く染めた。どうやら初耳だったようだ。

 だがやはり、アメリアは俺だけでなくエリーゼに対しても、そう言う類の事を言っていたようだ。少なくとも、近しい間柄の相手には極端な好意を示すということだろう。それ自体は決して悪いことではないんだけどな。


「やっぱり、酒には慣らしておいた方がいいな」


「……出来れば、もう二度と飲みたくないんだけど」


「そう言うな。正しく飲めれば楽しいものだからな。まぁ、無理に飲めとは言わないが……」


 暗い顔をする少女の髪を軽く撫でる。

 別に酒が飲めなくたって生きては行けるが、折角なら一緒に楽しく飲みたいものだ。一度失敗したくらいで、酒嫌いになってしまうのは勿体ないだろう。


 俺の言葉に、アメリアは考え込むように顔を俯かせる。それから、ねだるようにこちらを上目で見つめてきた。


「……ジークが教えてくれるの?」


「ん? あぁ、任せておけ」


「……なら、飲んでみる」


 アメリアは小さく頷きを見せた。あんなことがあったというのに、俺を信頼して挑戦してみるようだ。これは、俺も真剣に取り組んでやる必要があるな。

 まずはグラス半分から始めてみようかと、俺は今後の予定を考えだした。

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