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535話 火兎の少女は正気に戻った1

 瞼越しの光を覚え、私の意識が浮上する。薄っすらと瞳を開いてみれば、カーテンの隙間から朝の陽ざしが差し込んでいた。

 どうやら朝が来たらしい。しかし、いつの間に眠っていたのだろうか。思い返してみても、眠る前のことが思い出せない。


 私は記憶を探ろうとしたが、自分とは別の気配を感じて反対側へと寝返りを打った。

 そこで、今し方目覚めたばかりと思われるエリーゼと目が合った。


「ふぁ……おはよ、アミー」


「……エリー?」


 そこにいたのは私と同じ火兎族の少女にして親友のエリーゼだった。そうだった、昨日はエリーゼと一緒に……寝たのだっただろうか。いまいち覚えていない。

 思い悩む私の前で、エリーゼはほっとした様子で息を吐きだした。


「良かった、その様子だとお酒は残ってないみたいだね?」


「お酒?」


 何のことだろうか。私もエリーゼも、普段食事の席ではお酒なんか口にしないのだが。

 私がベッドに横になったまま首を傾げてみれば、エリーゼも鏡写しのように首を傾けて見せた。


「アミー、もしかして昨日のこと、覚えてないの?」


「昨日って、何があったかしら……」


「ほら、レイちゃんが氷龍になった姿を見せて、それから食事会に行ったんだよ。覚えてる?」


 エリーゼの言葉に、少しずつ記憶が蘇ってきた。

 そうだった、昨日はまず皇帝の依頼とかで、レイが氷龍の姿となるところを騎士達に見せたのだった。その場では特に問題なく、皇帝が随分とはしゃいでいたのを覚えている。


 その後、私達はドレスに着替え、食事会へと赴いたのだった。多少小腹を満たしたところで皇帝に呼ばれ、ジークハルトとレイが少し話をしていた。

 それからは再び食事を楽しみ、何事もなく食事会が終了した。いや、何かを忘れているような気がする。


「アミーが間違えて、お酒のグラスを取っちゃったんだよね」


 そう、果実水と間違えてお酒を取ってしまったのだった。一口だけ飲んで、思わず渋い顔をしたのを覚えている。

 そのグラスはジークハルトが受け取り、代わりに酒精の低い果実酒とやらをくれたのだった。その時、私の口を付けたグラスにジークハルトも口を付けたのを覚えている。


 いわゆる間接キスとやらをしてしまったのだ。それを思い出すと、少々頬が熱くなる。


「そうだったわね。その後は、お酒を飲みながらジークと話して……っ?!」


 そうだ、思い出した。

 私はお酒を飲んでいるうちに、すっかり酔ってしまったらしい。

 それで、ジークハルトへと腕を絡めたのだった。


 いや、腕を絡めたどころの話ではない。

 思い出したくないのに、どんどんと記憶が蘇ってくる。


「あっ……あっ……」


 どんどんと頬が熱くなっていくのを感じる。

 そう、確か私はジークハルトの首へと腕を絡め、彼に対して好きだと告げ、あろうことか口付けをせがんだのだ。それも、一度ではなく何度も。


「――っ!」


 私は思わず声にならない悲鳴を上げた。

 そんな私の前で、エリーゼは呆れた様子で溜息を吐いた。


「思い出したみたいね?」


「……死にたいわ」


 私は枕へと顔を埋めた。

 これから先、どんな顔をしてジークハルトに会えばよいというのか。


「でもほら、ジークさんだってアミーの事、好きだって言ってくれたじゃない」


 エリーゼが慰めるようにそんなことを口にする。それは私も覚えている。

 確かにジークハルトは私に好きだと言ってくれたが、あれは無理矢理言わせたようなものだろう。結局、キスだってしてくれなかったのだし。いや、されていたらいたで困ってしまうのだが。


「……止めてくれて助かったわ」


「まぁ、アミーなら後悔すると思ったし。でも、折角素直になれる機会だったのになぁ」


「いくらなんでも素直すぎるわよ!」


 まさか、自分があれほどお酒に弱いだなんて、思いもしなかった。普段であれば私から彼に腕を絡めたり抱き着いたり、あまつさえ想いを告げたり口付けを迫るだなんて、絶対にできないことだ。

 その一連のことが、本当に私が彼に対してしたいことだということは、否定が出来ない。死ぬほど恥ずかしいし後悔もしているが、本心からの行動ではなかったなどと、認めることは出来なかった。


 とにかく今後、お酒は絶対に控えることを心に誓う。


「それからこの部屋に戻ってきても、アミーは寝るまでジークさんの好きなところをずっと話し続けるし……」


「えっ、うそっ、ごめん、そっちは本当に覚えてない」


「まぁ、可愛かったからいいんだけどね?」


 どうやらエリーゼにも随分と迷惑をかけてしまったようだ。今度、何か埋め合わせをしてあげなくては。

 そんな風に考えたところで、「さて」とエリーゼがベッドの上で上体を起こした。


「ほらアミー、朝の訓練に行かなくっちゃ」


「……行きたくない」


 エリーゼの言葉に、私は枕を抱きしめる。

 ジークハルトにあんな醜態を晒したというのに、彼に会えるわけがない。せめて、もう少しくらいは時間が欲しかった。


 そんな私の言葉に、エリーゼはゆるゆると首を振って見せる。


「もう、そんなこと言ったって、やっちゃったことは仕方がないでしょ? それに、ジークさんに謝るなら、他の子がいない時の方がいいんじゃない?」


「うっ、それは……」


 エリーゼの言葉はもっともだ。今の時間帯ならきっと、ジークハルトとレイと、それから一緒に寝たであろうもう一人がいるだけであろう。

 出来ることなら、私の醜態については他の子達に知られてほしくはない。とは言え、既にシャルロットには見られているのだが。


 それに、具合が悪いなどと言って訓練を欠席しようものなら、ジークハルトの性格からして絶対に様子を見に来るだろう。嘘を吐いて心配をかけたくもないし、こんな気持ちで彼と部屋で二人きりになどなろうものなら、今度こそ何を口走るかもわからない。

 そんなことを考える私へと、エリーゼが安心させるように笑いかけた。


「大丈夫だって! ジークさんなら、昨日のことも気にしてないと思うよ?」


「……それはそれでムカつくんだけど」


 あれだけ想いを伝えたというのに、全く意識されないというのも癪である。もちろん酒の勢いもあったのだろうが、彼に伝えたのは間違いなく本心なのだ。

 それが欠片も伝わっていないとなれば、さすがに私だって落ち込んでしまう。


「ほらほら、まずはジークさんに会ってみないと始まらないでしょ?」


「はぁ……腹を括るしかないわね」


 どちらにせよ、彼とこの先、顔を合わせないというのは不可能なのだ。と言うか、私自身そんなのは嫌である。出来ればさっさと謝って、昨日のことは忘れてしまいたい。

 そう考えれば、早いうちが良いだろう。私は差し出されたエリーゼの手を取り、重い体を持ち上げた。

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