534話 火兎の少女は御乱心
依然として食事会は続いている。だが始まってからそれなりの時間が経過したためだろう、参加者は少し減っているように見える。折角なので、俺はもう少し料理を楽しみたいところだが。
そうして俺はエリーゼと会話をしていたのだが、ふと右腕に重みが加わった。見てみれば、先程から妙に静かにしていたアメリアが、俺へと腕を絡めている。
「どうかしたか、アメリア?」
「……ううん、なんでもない」
そう口にするアメリアの顔は、熟れた果実のように真っ赤だった。
まさか、と思ってテーブルの上を見てみるが、そこには空いた酒のグラスが一つあるだけである。ううむ、酒精の低い果実酒一杯で、ここまで赤くなるのだろうか。
心配になった俺はアメリアの額へと片手を当てるが、多少体温は高いもののあくまで平熱の範囲内だ。少なくとも、発熱しているわけではないらしい。
「本当に大丈夫か? 気分は悪くないか?」
「平気だってば。そんなことより……」
俺の言葉にかぶりを振り、赤毛の少女はこちらを見上げてくる。その紅の瞳は、普段にはない熱を帯びているように見えた。
「ねぇ、ジーク……もっと、私の事を見てよ……」
「……うん?」
いつものアメリアであれば、決して言わないであろう甘えるような口調に、俺は思わず首を傾げた。どうしよう、なんだかアメリアの様子がおかしい。
訝しむ俺の隣でアメリアはこちらへと向き直り、その細腕を俺へと伸ばす。そのまま首に腕が絡められ、赤毛の少女は少し背伸びをして見せる。
紅の瞳は熱を帯びたように潤み、至近距離から俺の顔を映し出した。瞳の向こうの俺と、目が合うほどである。
「ジーク、好き……」
至近距離で告げられた言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
別に、アメリアから嫌われていたとは思っていない。もちろん出会った頃は明確に嫌われていたのだろうが、旅を続けるうちに態度は軟化し、今ではそれなりに好かれていると自負していたし、俺の方だって同じ気持ちだ。
だが、まさかアメリアから、明確に好意の言葉を聞くことになるとは思わなかった。あまりにも予想外のことで、俺の思考が一瞬停止する。
その間にも、アメリアは俺へと顔を近づけ、俺の事を自らへと抱き寄せる。彼我の距離はみるみる縮まり、紅の瞳が伏せられる。
そうして互いの唇が――
「ア、アメリア!」
――触れる直前、俺は少女の両肩に手を置き、その小柄な体躯を引き剥がした。
危ないところだった、もう少しでアメリアと口付けを交わすところだった。何とか未遂で済んだ状況に、俺はほっと胸を撫で下ろす。
だがそんな俺の前で赤毛の少女は、実に悲しそうな表情へと変わった。
「どうして……ジーク、私のことが嫌いなの?」
その声は震え、見る見るうちに赤い瞳に涙が浮かぶ。思わず罪悪感に胸が締め付けられるが、俺の行動は間違っていないはずだ。
「嫌いなわけがないだろう? ただ、今のアメリアは酔ってるからな。そんな子に無理矢理……いや、酔ってなくても駄目なんだが……」
わかっていたことだが、今のアメリアは完全に酔っぱらっている。まさか、酒精の低い果実酒一杯で、ここまで酔うとは思わなかった。こんなことなら、もう少しちゃんと様子を見ながら、少しずつ飲ませてやるべきだったな。
そんなことを考える俺の前で、アメリアはぷくりと不満そうに両頬を膨らませる。
「酔ってなんかないもん」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだよ……」
既に口調からして普段と違うのだ。普段のアメリアではないことは明白である。
アメリアは離れる様子がなく、俺の首へと腕を回し、上目遣いでこちらを見上げてきた。力尽くで振り解くわけにもいかず、俺は身動きを封じられる。
「ねぇ、ジーク……ジークは私の事、好き?」
「そりゃあ好きだぞ? 好きだけどな……」
好きか嫌いかで言えば好きに決まっている。だが、だからと言って口付けをしていい理由にはならないだろう。
そんなことをすれば、いくらアメリアからせがまれたと言え、正気に戻った時に確実に嫌われる。そんなの俺は嫌だぞ。
「なら、証明してよ」
「証明って?」
「キスして」
「結局そうなるのか……」
尚も唇を近づけようとする少女から顔を逸らす俺は、ふと視線を感じた。目を向けてみれば、そこには先程まで俺と話をしていたエリーゼと、いつの間にやらシャルロットの姿があった。
二人は頬を赤く染め、ぽかりと口を開けて俺達の事を凝視している。
「あっ、わっ、私のことは気にしないでください!」
「アミーったら、いつになく大胆ね……」
俺の視線に気が付いたらしく、シャルロットは露骨に顔を逸らしながらも視線はこちらへと向け、エリーゼは感心した様子で手元の飲み物へと口を付けた。
「おいエリーゼ、親友が大変なことになってるぞ。助けてやってくれないか?」
「う~ん、アミーが望んでるんならいいかなぁって」
助けを求める俺に対し、エリーゼは素っ気ない答えを返す。
俺はこちらに顔を近づけるアメリアを宥めつつ、エリーゼへと目を向けた。
「アメリアがこんなこと、望んでるわけないだろう?」
「それは私の口からは言えないかなぁ?」
エリーゼはあくまで静観するつもりなのか。
その間にも、アメリアは俺を抱き寄せる腕に力を籠める。
「ねぇ、ジーク……」
やめてくれ、そんな風に熱っぽい目線を向けられると、流されそうになるじゃないか。
俺は仕方なく、赤毛の少女を胸元へと抱き寄せた。口付けに比べれば、これくらいは許されるだろう。
アメリアは嬉しそうな様子で、俺の胸元へと頭を擦りつける。大人しくなったので、少しは効果があったらしい。
だが、これも何時まで持つものか。
「なぁ、エリーゼ、頼むよ……」
俺はもう一人の赤毛の少女へと、弱り切った声を投げかける。
魔物の相手ならいくらでもするが、こういった対応は苦手なのだ。出来れば、アメリアの事をよく知るエリーゼに何とかしてもらいたい。
そんな俺の声に、エリーゼは大きく溜息を吐いた。
「はぁ、仕方ないなぁ……まぁ、アミーが正気に戻ったら後悔するだろうし、このくらいにしておこっか」
そう言うとエリーゼは俺達の方へと近寄り、アメリアを後ろから抱き締めた。
「ほら、アミー。こっちに来て、私と一緒に話そっか?」
「いや。ジークと一緒がいい」
そう言って、アメリアはますます俺へと抱き着く。そんな様子を見て、エリーゼは顔を輝かせた。
「やだ、今日のアミー可愛いわ!」
「おいおい、流されないでくれ」
「わかってるってば。ほらアミー、あっちでどうしたらジークさんがキスしてくれるか、作戦を考えよう?」
「ん……わかった……」
エリーゼの言葉に、アメリアがするりと俺の体を放した。そうして、代わりのようにエリーゼの腕を取る。腕を取られた赤毛の少女は、何やら満更でもない様子だ。
だが、いくらアメリアを引き離すためとは言え、その方法はどうかと思う。
「エリーゼ、アメリアを頼むぞ。キスを迫られるかもしれないから、気を付けてな」
「そう言うんじゃないと思うけど……アミーのことだもん、任せておいて」
そう言い残したエリーゼは、アメリアを連れて大広間の入口へと歩いて行った。
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