492話 逃走する火兎の少女
クリスティーネの指し示す先を追い、俺は目を細める。その指は、東棟の回廊を指し示しているように見えた。建物の一角ではあるが、壁がなく柱と天井で構成されているために半分屋外と言っても良いだろう。
何かが動いているようには見えるが、距離があっていまいちよくわからない。俺はすぐさま魔力を練り上げ、遠視の魔術を行使した。
そうして見えたのは、回廊を走る少女の姿だった。赤い髪と尻尾を揺らしながら、アメリアが回廊を左から右へと駆けている。
その背には、小柄な少女を背負っていた。長い水色の髪を靡かせる、シャルロットだ。
どうしたのだろうか。確かにアメリアの身体能力は高いが、シャルロットを背負っては全力で走ることは出来ない。あの少女だって身体強化が使えるのだから、二人で走った方が早いだろう。
アメリアはまるで、何かから逃げるかのように必死に駆けていた。
否、実際に逃げているのだ。
「……あれは、なんだ?」
先程の、人型の影のような者達とは、また違う。
まるで闇自体が意思を持っているかのように、建物を塗りつぶしながら少女達へと迫っていた。あれに追いつかれると、一体どうなってしまうのだろうか。少なくとも、良い結果にはならないだろう。
時折、後ろを振り向いたシャルロットが、氷壁を作り上げて影の進行を阻もうと試みている。それでも影はその氷塊すら容易く呑み込み、少女達へと迫っていた。
あれでは、もう幾ばくも行かないうちに追いつかれてしまうだろう。
助けに向かいたいが、時を同じくして再び影のような者達が、東棟より現れた。先程よりも数が多い。すぐに騎士達が囲いを作るが、手が足りない。
俺は再び、腰に納めていた剣を抜き放った。
「俺はアメリアを助けに行く! クリス、フィナ、道を作ってくれ! レイ、エリーゼ達を頼む!」
手早く指示を出すと同時に走り出す。クリスティーネとフィリーネはすぐに応じ、俺の両隣りへと並んでくれた。
そのまま俺の少し先を先行し、二人は鏡写しのように剣を振り被る。
「いくよ、フィナちゃん! せー――」
「――のっ!」
少女達が声を合わせると同時、前方を塞ぐ影の群れへと大振りに剣を叩き付ける。練り上げた闘気が衝撃となり影達を突き抜け、その立体感のない体を吹き飛ばした。
左右に転がる影達の中心、東棟へと繋がる道が出来上がる。
「助かる!」
短く告げると同時、身を低くして全力で駆け抜ける。身体強化を全開にした足は地に突き刺さるほどの勢いで、通る後には土煙が舞い上がる。整えられた芝が無残にも捲り上がるが、緊急事態故に大目に見て欲しい。
そうして東棟へと辿り着いた俺は、建物内へと入らずにその勢いのまま跳躍する。城壁の装飾を足場としながら駆け上がり、難なく二階を通り過ぎて三階まで至る。これで、少女達のいる高さまでは上がることが出来た。
そのまま手摺りを軽く乗り越え、回廊へと侵入する。足裏に硬い感触を覚えながら、俺は再び迫る影から逃走する少女達に向けて走り始めた。
先程見えた光景を頼りに駆け抜ければ、柱と柱の間から向こうの様子が伺える。そこで再び、アメリアとシャルロットの姿を肉眼で捕らえた。
二人は依然として、向こう側の回廊を疾走している。その背後に迫る影との距離は、先程見た時よりも、幾分か縮まっているようだ。
やがて、俺は回廊の終点へと辿り着いた。だが、アメリア達がいるのは向かい側の回廊だ。
あちらとの間に通路はなく、もし渡ろうとするのであれば一度下まで降り、再び城壁を駆けあがる必要がある。だが、今はそこまでの時間はない。
「アメリア! シャル!」
大きく声を張り上げれば、少女達がこちらへと顔を向けたのがわかる。どうやら俺の声は届いたようだ。
俺は魔力を練り上げて岩塊を生み出すと、少女達の背に迫る闇へと勢いよく射出した。柱と柱の間を狙った石弾は、狙い通り闇へと突き刺さる。
だが、闇は音もなく岩槍を呑み込むと、何事もなかったかのように少女達を追い続けた。その様子に、俺は思わず舌打ちをする。
あの闇は、先程からシャルロットの氷壁も難なく呑み込んでいる。少なくとも、通常の魔術では太刀打ちできそうにない。もっとも、剣で斬れるとも思えないのだが。
とにかく、彼女達を連れて一度退くしかあるまい。
情報を集めて、体勢を整えれば対抗手段も見つかることだろう。
「アメリア、こっちだ!」
声を掛けながら、俺は両手を回廊に付き魔力を流す。途端に回廊の端から、岩が前方へと伸びた。簡易的な通路の出来上がりだ。
とは言え、それも数歩分の距離でしかない。向こう側に橋を架けられれば良かったのだが、魔術で生成しようとしても、自重により途中で折れてしまうだろう。橋脚付きなら渡せるだろうが、そこまでの時間はないのだ。
それでも、ある程度の距離は稼げた。これならば、アメリアの身体能力であれば飛んで渡ることも可能なはずだ。
赤毛の少女自身もそう考えたようだ。俺の真正面まで至ったアメリアは、地を蹴り方向を変え、城壁の縁へと足を掛ける。そのまま、少しも躊躇することなく中空へと跳び上がった。
その直後、たった今まで少女達のいた場所を、影が覆い尽くしていった。あの中に取り残されると、一体どうなってしまうのだろうか。
宙に浮かぶ赤毛の少女が風を受け、大きな耳と尾が揺れる。その背に乗るシャルロットは、アメリアの体をぎゅっと握っていた。
俺は造り上げた足場の上から、少女達の方へと手を伸ばす。
このまま彼女達を抱き留め、来た道を戻ろう。回廊から回廊へと飛び移ったことで、多少はあの影からも距離を取れるはずだ。
そう考えた時だった。
中空の少女達が、不自然に動きを止めた。
その原因は明白だ。
アメリアの伸ばした片足に、影のようなものが纏わりついていた。
見れば、向こう側の回廊を覆い尽くした影が、少女達へとその手を伸ばすように、影を長くしているのだ。何と言う事だ、あの影は空中であっても関係ないというのか。
先程魔術を浴びせても何の効果もなかったことから、実態がないのかと考えたのだが、アメリアの跳躍の勢いは影に掴まれたことで完全に殺されている。
それだけでは止まらず、影は少女達を呑み込もうとするかのように、中空へと伸ばす黒の量を増していく。
「『炎の槍』!」
俺は咄嗟に、アメリアの足を掴む影へと魔術を放った。質量弾が効かないことはわかっている、だが炎はどうだろうか。
瞬時に練り上げられる魔力を最大限に籠めた炎弾は、狙い違わず細く伸びた影を捉えた。
しかし、期待も虚しく俺の放った魔術は、先程の石弾と同じように影へと呑み込まれていった。
「ジーク、シャルを!」
「アメリアさん、何を?!」
俺が次の手を考えるよりも早く、アメリアが行動を起こした。
少女はその背に乗せた小柄な少女を引き寄せると、俺の方へと思い切り放り投げた。跳躍の高度は十分だ、シャルロットは放物線を描きながら、俺の腕の中へと落ちてきた。
「きゃっ」
「大丈夫か、シャル?」
俺は腕の中で小さく悲鳴を上げた少女の状態を、一目で把握した。上半身に目立った怪我はないが、両足からの流血が見られる。それが目の前の影の塊によるものか、人型の方なのかはわからないが、どちらにせよ怪我をしているということに変わりはない。
道理で、アメリアに背負われていたわけである。
俺はシャルロットへと移した目線を、再びアメリアの方へと移した。そうして、驚愕に思わず目を見開くこととなる。
中空に縫い留められた赤毛の少女が、影へと呑み込まれる瞬間だった。
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