422話 氷龍の少女の頼み事3
「頼みたいこと?」
レイの言葉に、クリスティーネが首を捻る。その気持ちは俺も同じだ。
何せ、氷龍からの頼みごとなのだ。どんなに突拍子もないことを言われるのか、想像もつかない。
せめて、この棲み処を整えること、などであって欲しい。この洞窟は、崖に穴を掘っただけのものである。おそらく自然のものではなく、レイが龍の姿で掘ったのだろう。
ただ穴が空いているだけで、他に目立つようなものはない。
ここを少しでも快適にしてくれ、などという依頼であれば、手伝うのも吝かではない。俺には土魔術もあるし、力だってそれなりだ。出来ることはいろいろとあるだろう。
氷龍であるレイには、そう言ったことは向かないだろうからな。龍の姿では細かい作業など出来ないだろうし、人の姿ではその見た目通り非力のようだ。
そんな風に考える俺の前で、レイは「実はな」と前置きをしながら、紅茶のカップへと両手を添えた。
「ここから更に北へと言ったところに、黒龍が現れたのじゃ」
「黒龍、ですか?」
「確か、見た目が黒い龍だったよね?」
向かい側に腰掛けた二人の少女が、揃って首を捻って見せる。
それに対して俺は頷きを返しながら、背負い袋へと手を入れた。
「そうだな、あまり目撃例がないみたいで、龍の中でも詳しくはわからないという話だったが……あぁ、これだな」
俺は背負い袋から取り出した本をぱらぱらと捲り、目当てのページを開いた。それを、テーブルの上へと広げて見せれば、少女達が少し身を乗り出した。
そこには、黒い鱗を持つ立派な龍が描かれていた。
「おぉ、こやつじゃ! こやつに間違いないぞ!」
そう言って、レイが黒い龍のイラストを指し示す。
黒龍というのも、氷龍と同じく龍の一種だ。角の形を始めとした細かな違いはあるようだが、大枠で見ればただ鱗が黒い龍だと言えるだろう。
改めて、本に書かれた記述を目で追ってみる。そこには黒龍の特徴が記されていた。
どうやら黒龍は、氷龍などのように決まった生息域を持っているわけではなく、世界各地を転々としているらしい。
時折、翼を休めるためなのか一箇所に定住を決めることもあるようだが、また数年後にはどこかへと飛び去るそうだ。
そんな風にあちこちを飛び回っているものの、行動範囲は魔物の領域で、空を飛ぶ時も高度が高いようで、龍の中でも取り分け目撃例が少ないという事だった。
「なるほど、わかったぞ。レイは、その黒龍と争ったんだな?」
「うむ、そこは我の縄張りじゃったからな。匂いをかぎ取って、追い出しに行ったのじゃ。じゃが、多少手傷は与えたものの、返り討ちに遭ってのう。そこをお前さん達に拾われたというわけじゃ」
レイの話で、氷龍の少女が傷ついていた理由が分かった。如何にレイが氷龍と言えど、まだ子供だ。成体の黒龍を相手にしては、分が悪いだろう。
そうして戦いに敗れたレイは、命からがら逃げてきたというわけだ。
「そうか、レイもなかなか大変な……いや、ちょっと待て」
ここで、これまでの話を振り返ってみよう。何故、黒龍の話になったのだろうか。
そう、レイは、俺達に頼みたいことがあるといったのだ。
「なぁレイ、頼み事って言うのは、まさか……」
嫌な予感に、レイへと恐る恐る問いかける。
それに対し、氷龍の少女は一つ力強い頷きを見せた。
「うむ! 我と一緒に、黒龍を追い払ってくれ!」
レイの言葉に、俺は二人の少女と共に息を呑んだ。
いくら何でも、即答しかねる提案だ。
両腕を組み俯く俺に、レイが言葉を続ける。
「もちろん、黒龍の注意は我が引こう。ジークハルト達は、危険の少ない横や後ろ側から、黒龍を狙ってくれれば良い」
レイの言葉に、俺は実際に黒龍と戦った場合の事を想像する。黒龍の正面では氷龍の姿のレイが相対し、俺達は黒龍の後ろ脚や尾を狙うような形だ。
俺達とレイとでは、どう考えても危険性はレイの方が格段に上である。黒龍の注意は、間違いなくレイへと向くことだろう。
それならば、ただ俺達だけで黒龍に挑むようなことよりは、危険度はぐっと低いだろう。
だが、それには一つ、大きな問題があった。
「でも、その……仮に私達が一緒に戦ったとして、レイさんの助けになるんでしょうか?」
「レイちゃんとさっき戦った時も、私は全力だったんだけど、結局何もできなかったもんね?」
そう、純粋に戦力となるのかが疑問なのだ。
先程、レイと戦闘した際も、結局のところ傷一つ付けられずに終わっているのだ。俺達がレイと共に戦い、黒龍の不意を突けたとしても、何もできずに終わるのではないだろうか。
そんな俺達の言葉に対し、レイは「いやいや」と首を横に振って見せる。
「三人とも、我と戦うのに動きは十分じゃったと思うぞ? もう少し我と戦うのに慣れれば、龍相手にも通用するじゃろうて」
確かに、途中までは決して悪い形ではなかった。
もう少し龍を相手にした戦闘経験を積めれば、龍の柔らかい部分にも剣が届くようになる可能性は十分にある。しばらくの間、レイを相手に訓練をして、龍を倒せないまでも追い払えるだけの力を付けようというわけだ。
「だが、結局のところ龍圧がな……」
俺は勝負の決め手となったことを口に出す。
龍圧は、龍の持つ能力の一つだ。当然、黒龍にだって使えることだろう。
もしも黒龍との戦闘中に龍圧を受けてしまえば、俺達の命はその時点でなくなってしまう。
「龍圧というと、最後のあれじゃな? あれについても、防ぎ方を教えよう。どうじゃ、力を貸してくれんか?」
どうやらレイは、あの龍圧に対しても、防ぐような手立てを知っているらしい。それならば、龍を相手にしても勝機を見出せるかもしれない。
「……もし、断ったら?」
「お前さん達を、食ろうてくれよう……冗談じゃ、そんな顔をするでない。その場合は、我一人で挑むことになるな。うぅ、可哀想な我。今度こそ死ぬかも知れぬ。くすん」
「嘘泣きはよせ」
そう口では言うものの、こうも言葉を交わしてしまえば、情が湧くというものだ。何とか出来るのであれば何とかしてやりたいと、思う気持ちもある。
俺の言葉にレイはぱっと顔を上げ、指を一本立てて見せた。
「その代わり、手伝ってくれたなら、我の鱗をやろう! 好きなだけ……は、痛そうじゃから、必要な分だけ持っていくがよい!」
「……なるほどな」
悪くない提案である。
少し話を整理しよう。
ここでレイの話に乗り、共に黒龍を追い払うことが出来れば、氷龍の鱗が確実に手に入るということである。氷龍の鱗を探しに来た俺達としては、願ってもない話である。
だが、そのためには黒龍と戦はなくてはならない。それなりの危険はあるだろう。
では、レイの提案を断った場合、どうなるだろうか。
その場合、また別の氷龍を探しに行くことになる。フィリーネを元に戻すためには、氷龍の鱗が必要不可欠なのだ。
だが、都合よく氷龍と出会えるかはわからないし、その場合でも結局は氷龍と戦うことになる。それならば、レイと共に黒龍に挑んだ方が、まだ勝率は高いであろう。龍に挑むのに龍が味方にいるのといないのとでは、大違いだ。
フィリーネのことだけを考えるのであれば、レイを襲って鱗をもぎ取るという手段もあるわけだが、それはさすがに避けたかった。
俺達の事を信用してくれているレイを裏切るような真似はしたくないし、単純に今のままでは敵わないということもある。
俺は瞳を閉じ、洞窟に残してきたフィリーネの姿を思い浮かべる。
あの白翼の少女は、普段から何を考えているのか掴みかねる表情で、はっきりと笑顔を浮かべることは少ない。けれど、それでも長く一緒に旅をしたことで、彼女の笑顔を見た回数は少なくない。
あの笑顔を再び見られるのであれば、俺は何だってできるだろう。
瞳を開き、向かいに座る二人の少女へと目線を向けた。
「クリス、シャル。俺はレイの頼みを受けようと思うんだが、二人はどう思う?」
これは、俺一人が決めていいようなことではない。一人でも反対するようであれば、これからどうするのか、じっくりと話し合おう。
そう考える俺だったが、二人はすぐに頷きを返した。
「うん、それでいいと思う! レイちゃんも放っておけないしね!」
「フィナさんのためにも、私、頑張ります!」
どうやら二人とも、すでに心に決めているようだ。
その言葉に俺は頷きを返し、再びレイへと向き直った。
「わかった、レイ。まずは、やれるだけやってみよう。それで行けそうだと思えたら、一緒に黒龍と戦おうじゃないか」
そう言って片手を差し出せば、氷龍の少女は驚いたような顔で俺の手を見つめ返す。
そうして、嬉しそうな笑みを浮かべ、俺の手を握り返した。
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