36話 王都巡り5
「ジーク、おまたせ!」
長椅子に座った俺の背から声が掛けられる。俺はその声に、首だけを動かして振り返った。
俺が今座っているのは大衆浴場の広場にいくつも設置してある長椅子の一つだ。予想はしていたことだが、俺が風呂から上がった時にはまだ二人は風呂に入っているようだったので、長椅子に座って休憩していたのだ。
振り返った俺の目に、風呂上がりの姿が映し出された。クリスティーネはその長い銀の髪が水気を含み、いつもよりも輝いて見えた。風呂で十分に温まったのだろう、その白い頬は蒸気で赤らんでいる。今までも汚れているようには見えなかったが、汚れを落としたことでその美少女らしさに磨きがかかっていた。
それ以上に変わったのがシャルロットだ。長い間人攫いに捕らえられ、洗うこともできずに黒ずんでいた長い髪は、今では透明感のある明るい水色に光っている。肌についた汚れもすっかり綺麗になったようで、白い肌が温かさに赤らんでいた。
そして何より、シャルロットの身に付けた服だ。あのやたらテンションの高い服屋の店員は、いい仕事をしたらしい。
青と白を基調とした、ゆったりとしたワンピースである。後ろには大きなフードが付いており、ふわふわと揺れる裾のフリルは女の子らしく実に可愛かった。合わせて購入した黒いブーツも、アクセントとしてよく似合っている。
「どうかな、ジーク? 可愛いでしょう?」
「あぁ、良く似合っているな」
俺は素直な感想を口にする。残念ながら、俺に女性を上手く褒めるほどの語彙はない。それでもシャルロットは嬉しかったのか、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。
「あ、ありがとう、ございます」
「ほらね、シャルちゃん! ジークなら褒めてくれるって言ったでしょう?」
「えっと、その……恥ずかしい、です」
クリスティーネが笑いかければ、シャルロットはますます恥ずかしそうに下を向く。共に風呂に入ったことで仲良くなったのか、少し二人の距離が近くなったように見えた。女同士というのは、こういう時には少し羨ましく見えるものだ。
「そうだ、ジーク! ご飯を食べに行くんだよね!」
そう言って、クリスティーネが期待に目を輝かせる。そんなに腹が減ったのだろうか。いや、クリスティーネは食事となればいつもこのような顔をしている。空腹でないとしても同じような顔をするだろうという想像は、少し失礼だろうか。
俺は苦笑を返しながらも、食堂へと続く扉に目を移した。
「そうだったな。よし、食堂に行こう」
そう言って立ち上がり、二人を先導して食堂へと移動した。
大衆浴場に併設された食堂は、一般的な飲食店と遜色のない様相だった。部屋の中には整然とテーブルと椅子が並べられており、壁にはメニューの書かれた木札が貼り出されているのはどこも同じである。
昼時ということで少し込み合っていたものの、テーブルにはまだいくつかの空きがあった。そのうちの一つに腰を下ろすと、適当なメニューを注文する。クリスティーネが多めに注文するのも、すっかり慣れた光景だ。
すぐに運ばれてきた料理に手を付けながら話すのは、この後の予定である。
「ねぇジーク、この後はどうするの?」
「この後か……さて、どうするかな」
すでに午前中だけで、シャルロットに嵌められた枷を外し、服と靴を購入して大衆浴場で身綺麗にするという目標を達成することが出来ている。一日仕事だと予想していたのだが、枷を外すのが一軒目の鍛冶屋で達成できたために時間が余った形だ。
そのため、この後の予定は特に決めていなかった。午後は丸々、何をするにも自由である。
「そうだ、王都の観光でもするか?」
クリスティーネもシャルロットも、王都に来るのは初めてのはずである。折角空いた時間があるのだから、王都を見て回るのも良いだろう。さすがに王都のすべてを回り切ることはできないが、王城などの有名な観光名所はいくつか回れるはずだった。
俺がそう提案すると、クリスティーネは目に見えて興奮を露わにした。勢いよく立ち上がったことで、ガタンと椅子が大きな音を立てた。
「観光?! 行きたい!」
瞳をキラキラとさせて前のめりになるのを、座り直すようにと手振りで示す。
「シャルも、それでいいだろう?」
「えっと、はい、私は何でも……」
シャルロットからは、何とも気のない返事が返ってきた。少なくとも、嫌というわけではないようだ。それよりも、何やら気になることがあるのだろう。聞き出したいところだが、シャルロットはあまり強く出られるのが苦手なようである。自分から言い出すのを待つ方が良さそうだ。
その一方、クリスティーネはまだ見ぬ王都の観光名所に思いを馳せているようだ。さて、俺の案内でクリスティーネの期待に答えられるだろうか。まぁ、ひとまず王城へ案内すれば問題ないだろう。俺も昔、王都に来たばかりの時に見たが、あれには一見の価値があると言える。
そうして観光ルートを考えていると、シャルロットが躊躇いがちに声を掛けてきた。
「あの、ジークさん、一つ聞いてもいいですか?」
「ん、どうした、何でも言ってくれ」
俺が答えると、シャルロットはなおも少し考え込んだ。それから、意を決したように口を開く。
「私、これからどうすればいいと思いますか?」
「どうすればいいか、か」
なかなか難しい質問だ。俺からは、これといった正解を示してやることはできない。
シャルロットのことは出来るだけ助けてあげたいが、俺は赤の他人なのである。俺がシャルロットの人生を縛るわけにはいかない。俺に出来るのは、簡単な助言とシャルロットの話を聞いてやることくらいだろう。
「シャルは、これからどうしたいとか、希望はあるのか?」
「それは……わかりません」
そう言って、眉尻を下げて俯いてしまう。それも無理からぬことだろう。両親を失い、人攫いに攫われ、そこから解放されたのはつい昨日の事である。気持ちの整理など、ついていないに決まっている。
それでも、時間は待ってはくれない。いつまでも俺とクリスティーネで、シャルロットの面倒を見るわけにはいかない。俺達にも、冒険者としての活動があるのだ。そこで俺は、考えていたことをシャルロットに告げることにした。
「俺としてはな、シャル。シャルのことは、王都にある教会に預けようかと思っていたんだ」
「教会……ですか?」
そう言って小首を傾げるのに対し、俺は「あぁ」と頷きを返す。
「教会ではな、シャルのような身寄りのない子供を預かって、育ててくれるんだ。そこなら食べるものも、眠る場所もある。それに、頼れる大人もいるんだ。そこで、やりたいことを探すのはどうだ?」
「やりたいことを、探す……」
俺の言葉に、シャルロットは考え込むように下を向いた。シャルロットに話して聞かせたのは俺の本心ではあるが、正直教会に預ける以外に選択肢がなかった。出来るだけシャルロットの意思を優先したいものの、今のシャルロットが平和に生きる道が他にはないのだ。それでも、シャルロットには納得した上で選んでほしかった。
しばらくシャルロットの反応を窺っていると、やがてシャルロットはゆっくりと顔を上げた。
「わかり、ました。私、教会に行きます」
そう言って頷くのを目にし、俺はほっと息を吐いた。それから、シャルロットを安心させるように笑いかけて見せる。
「教会に入ったからって、何も会えなくなるわけじゃないからな? しばらくは王都にいるから顔を見せるし、たまには王都に来るようにするよ」
そう言うと、シャルロットは安心したように柔らかい微笑みを浮かべた。
「会いに来て、くれるんですね」
「もちろんだ。それとも、行かないほうがいいか?」
冗談めかしてそう告げれば、シャルロットは勢いよく首を横に振った。
「いえ、その……会いに来て、欲しいです」
ぎゅっと目を瞑り、シャルロットが小さく呟いた。その様子は正直に言って大層可愛らしかった。その隣に座ったクリスティーネは、たまらなくなった様子でシャルロットを抱きしめる。
「いっぱい会いに行くからね、シャルちゃん!」
「えっと……はい、クリスさん」
二人とも、大分打ち解けた様子である。慣れて来たばかりの二人を引き離すのは少々忍びないが、これからも会う機会などいくらでもある。何度でも足を運び、シャルロットがいつの日か心から笑える日が来るのを待とう。
そうして大衆浴場を後にした俺達は、観光のために王都を回るのだった。三人で巡る王都はとても楽しく、すぐに夜は更けていくのだった。




