356話 半龍少女の治療法を探して2
「とても広いお部屋で、とても大きなベッドがあって……私はほとんどの時間を……そのベッドの上で過ごしていたように思います」
クリスティーネがぽつりぽつりと語り始めた内容を、一言一句聞き逃すまいと、俺は耳を傾けることに集中する。
「どうしてその部屋にいるのか、何時からその部屋にいたのかもわからなくて……ただ、ここから逃げないといけないという思いはありました」
どうやらクリスティーネはクリスティーネなりに、城からの脱出を試みたようだ。けれど、何度か逃走を試みても、すぐに部屋へと連れ戻されたらしい。
「それから……そう、近頃は何だか体が重くて、考えも纏まらなくて……そうするうちに、ただ時間だけが過ぎていくんです」
クリスティーネも、自身の体の違和感には気が付いているようだ。
俺も初めは、記憶を失った影響が、体調にも表れているのかと考えた。だが、記憶を失ってしまったからと言って、ここまでぼんやりとした様子になるものだろうか。
何か、他の要因があるようにも思える。例えば、何か強いショックを受けるようなことがなかっただろうか。
「クリス、そこで何か、変わったことはなかったか?」
「変わった、こと、ですか……?」
俺の言葉に、クリスティーネは小さく首を傾げて見せる。その動きに合わせ、長い銀髪がさらさらと肩から零れ落ちた。
それから少女は、何か思い出すように顔を少し俯かせる。形の良い睫毛が瞬きと共に動くのを眺めていると、クリスティーネが再び俺と目を合わせた。
「窓の外を、雪がちらついていて……私はそれを、横になったまま眺めていて……ごめんなさい、あんまり覚えてません」
クリスティーネは少しだけ眉尻を下げ、申し訳なさそうに口にした。俺がその言葉に両腕を組む中、クリスティーネは小さく欠伸を漏らす。起きたばかりのはずだが、まだ眠たそうだ。
しかし困ったな。余り有力な情報がない。分かったことと言えば、俺達が助け出すより前から、クリスティーネは今のような状態だったらしいということだ。
俺が頭の中で可能性を模索する中、斜め後ろに立つアメリアが口を開く。
「ねぇクリス、私達以外に、最近会った人はいる?」
「会った人、ですか……?」
アメリアの言葉に、俺はクリスティーネの顔を見返した。クリスティーネの記憶喪失に、第三者が関わっている可能性もある。
もしもクリスティーネに俺達以外の記憶があるとすれば、その者が少女の記憶喪失に関わっている確率が高いだろう。
果たして、赤毛の少女の問いに、半龍の少女は「二人」と答えた。
「二人だけ、覚えています……一人は蜂蜜色の髪の女の人で、ご飯とかを運んでくれました……もう一人は金髪の男の人で、お城の偉い人……確か名前は、レオ……あれ、何だったっけ?」
クリスティーネは首を捻るが、思い出せないようだ。
蜂蜜色の髪と言うと、レオニードの第一婦人である、ツェツィーリヤが該当する。クリスティーネと面識もあるようだったし、彼女だろうか。
それから金髪で城の者、クリスティーネに会う男と言えば、レオニードのことで間違いないだろう。彼がクリスティーネを帝都へと連れてきたのだし、会っていたとしても不思議ではない。
それにしても、クリスティーネはレオニードの名前を憶えていなかったのか。結婚させられそうになっていたというのに、それはそれでどうなのだろうか。
「……いや、待てよ?」
レオニードがクリスティーネに対して、何かしたというのは考えられないだろうか。大聖堂で行われた、結婚式の様子を思い返す。
あの時のクリスティーネも、今のようにぼんやりとしていたのだろう。特に枷など嵌められていなかったにもかかわらず、碌な抵抗もしていなかった。
以前のクリスティーネであれば、レオニードとの結婚式など了承するはずがない。レオニードにとっては、今の状態のクリスティーネの方が好都合だったはずだ。
だが、人の手によりそんなことが可能なのだろうか。
「ジークさん、記憶を操作する魔術具とかって、存在しないんですか?」
どうやら俺と同じようなことを考えたらしい。隣に屈み込んだシャルロットが、俺の方を見上げて口を開いた。
「そうだな……古代の魔術具の中には、そう言った記憶や精神に影響を及ぼすものも存在するらしいが、正直眉唾物だな。そうそうあるとは思えないが……どうだクリス、部屋の中に魔術具とか、何か気になるようなものはあったか?」
「お部屋の……中……」
クリスティーネは再び考え込むような仕草をして見せた。眠気が増しているのか、その金の瞳は今にも閉じそうだ。
そのまま、ぽつりぽつりと言葉が零れ落ちる。
「お部屋にあったのは、暖房の魔術具くらいで……後は大きなベッドと、高そうな絵と……あっ」
クリスティーネは何かを思い出したように顔を上げ、閉じかけた目で俺を見返した。
「お香が……」
「香?」
香と言うと木や花などを香木、つまりは原料として、火を付けると煙と共に香りが広がるあれだろうか。
俺はあまり詳しくはないが、貴族の間では、部屋の中で香を焚くのは一般的なのだろうか。だが、王国の貴族の館でも、エリザヴェータのところでも、そういう習慣はなかった。
クリスティーネは声を小さく、途切れ途切れにしながらも、言葉を続ける。
「甘い……香りの……お香、が……」
言葉尻が小さくなり、それきり声が聞こえなくなる。気付けば、クリスティーネは金の両目を閉じており、小さく寝息を立てていた。どうやら眠ってしまったらしい。
「甘い香りの、香か」
少女のあどけない寝顔を見ながら、俺は小さく言葉を溢した。
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