35話 王都巡り4
私が浴場へと繋がる扉を開けると、溢れ出した熱気が肌を撫でる。天井に嵌め込まれたすりガラスからは陽が差し込み、浴場の内部を明るく照らしていた。
広々とした浴場の中央には大きな湯船が設置してあり、朦々と湯気が立ち昇っている。壁際に沿って設置された木枠は水路になっているようで、終着点である湯船へと絶え間なく湯を供給していた。
中央の大きな湯船の奥には、もう一つの湯船らしき物が見える。そこからは湯気が上がっていないため、単に水が張られているだけに見えるが、何のためなのだろうか。その隣にある扉も、どこに通じているのかはわからない。
初めて目にする大きな浴場に、心が高揚するのを感じる。半龍族の里にいた頃にも風呂に入ることはあったが、川で水浴びをする方が多かった。これだけ大きな湯舟なら、中で泳ぐこともできそうである。
左手へと目を向ければ、数少ない利用客が壁際で木製の椅子に座り、体を洗っているようだった。彼女達と同じように、私達も体を洗えばいいのだろう。
「シャルちゃん、こっちだよっ!」
私は後ろを振り向き、後方へと声を掛ける。
後ろからは服を脱いだシャルロットが、小さな歩幅で近寄ってきていた。恥ずかしいのか、借りたタオルで胸の前を隠している。
シャルロットを手招きし、壁際の洗い場へと先導する。そうして椅子に座ると、頭の高さには湯が流れる水路があった。水路の側面には木製の栓が嵌め込まれており、他の利用客の様子を見たところ、その栓を外して体を洗う湯を確保するらしい。
また、足元の壁には段差が付けられており、その上には二種類の石鹸が置かれていた。白色と緑色の石鹸が置かれた箱に『頭』と『体』と書かれているのを見る限り、用途が異なるのだろうと推察する。そこで、いいことを思いついた。
「そうだ、シャルちゃん! 髪を洗ってあげる!」
そう声を掛けると、何やら水路を眺めていたシャルロットが驚きに目を丸くする。
「えっ、で、でも……」
「いいからいいから。ほら、座って座って!」
有無を言わさずに座らせると、水路の栓を抜き木桶にお湯を溜める。それからザバリと頭から湯を掛ければ、湯が熱かったのかシャルロットが背中を震わせた。未だタオルを胸の前に抱き、身を固くしている様子だが、嫌がっているわけではないようだ。私はこれ幸いと、再び溜めた湯をシャルロットの頭からかけ流す。
昨夜、宿で軽く背中は拭いてあげたのだが、髪までは綺麗にしてあげられなかった。人攫いに攫われている間は風呂になど入る機会はなかったのだろう、頭からかけた湯は茶色い汚れと共に流れていった。
何度か湯をかけたことで、大体の汚れは流れたようだ。大分流れる湯が透明になったところで、石鹸をよく泡立て髪を洗い始める。緩くウェーブのかかっていた髪は水を含んだことで真っ直ぐになっていた。肩甲骨あたりまで伸びた水色の髪は量があり、なかなか洗い甲斐のあるものだった。
シャルロットの髪を入念に洗った結果、くすんでいた髪はすっかり輝きを取り戻していた。やや透明感のある髪は光を反射し、キラキラと光って見えるほどだ。我ながら、実にいい仕事をしたものである。
「はい、終わったよ! どうする? 体も洗っちゃう?」
「い、いえ、大丈夫です! えっと、ありがとうございます」
笑顔で声を掛ければ、焦ったように首を振られた。私としては大した労力ではないのだが、あまり構いすぎるのも考え物だ。髪を洗わせてもらえただけ、良しとしよう。
私はシャルロットの隣に腰掛け、自分の髪を洗い始める。こちらが気になるのか、時折シャルロットからの視線を感じた。やはり裸を見られるのが恥ずかしいようで、やや斜めに座り、こちらへと背中を向ける形だ。私としては見られても構わないのだけれど、シャルロットはそうではないのだろう。出来るだけ目を向けないようにしてあげよう。
しばらくして髪と体を洗い終わり、中央の湯船へと足を向ける。先に洗い終わったシャルロットが、胸の前で両手を組んで湯船に肩まで浸かっていた。私もその隣へゆっくりと腰掛ける。
「あぁ~、温かいねぇ」
「そう、ですね」
隣から返答が返るが、その声音には緊張の色が感じられた。まだまだ、私やジークハルトには慣れないらしい。折角ゆっくりとする機会なので、いろいろと話をしてみたい。
「シャルちゃんは、お風呂ってよく入ってた?」
「えぇと……そうですね、お家にお風呂がありましたので。温度は、ここよりももう少し低かったですが」
確かに、ここのお湯の温度は少し熱いくらいである。これはこれで悪くないのだが、私としても、もう少し低いくらいが好みだった。
「その、クリスさんは、どうでした?」
「私? そうだなぁ、里では水浴びの方が多かったかなぁ」
思い出すのは、里で過ごした日々のことだ。外の世界に憧れて里を飛び出したものの、楽しかった思い出がないわけではない。兄達とは、よく里の傍を流れる川で日がな一日遊んだものだった。
「水浴びをしながら、よく魚を捕ったんだぁ。焚火を起こして、塩焼きにしてね。また食べたいなぁ……」
その時食べた川魚の味を思い出す。皮はパリパリ、身はホクホクで、脂が乗っていて大層美味しかったものだ。肉ももちろん好きだが、たまには魚も食べたいものだ。
そう言えば、世界には海と呼ばれる大きな水たまりがあるそうだ。そこにはいろいろな種類の魚が生きているという。いつか、ジークハルトに頼んで連れて行ってもらおう。
「クリスさんは、あれだけたくさん食べるのにスタイルがいいですね。それに、肌も綺麗です」
隣に座るシャルロットから、何やら羨ましげな声が聞こえてきた。肌がきれいだと褒められるが、それはそうだろう、何せここは風呂屋だ。
「体を洗ったばかりだからね! シャルちゃんも、すっごく綺麗になったよ!」
風呂に入る前とは大違いである。これなら、先程訪れた服屋でも文句など言われないだろう。随分押しの強い店員だったが、私としてはそんなに嫌いではなかった。そう言えば、あの店員に名前を聞くのを忘れていた。次にあの店に行くときは、名前を聞くのを忘れないようにしなければ。
私がそんな風に考えていると、シャルロットから声が掛けられた。
「クリスさん、私、これからどうすればいいでしょうか……」
「えっ……う~ん」
そう聞かれると答えに窮する。さすがに、「私達と一緒に冒険者をやろうよ!」とは言い辛い。私自身今のところ何とかなってはいるが、シャルロットのような子供に勧めることではないだろう。もちろん、本人が希望するなら話は別であるが。そこのところ、どうなのだろうか。
「シャルちゃんは、冒険者になりたいって思う?」
「冒険者、ですか? えっと……それはちょっと、難しいと思います」
「まぁ、そうだよねぇ……」
冒険者になるとしたら、魔物との戦闘は避けられない。私の場合は里に訪れる冒険者に剣術と魔術を教えてもらえたが、シャルロットはゼロからのスタートだ。剣技も魔術も、持って生まれたギフト次第なところもあるし、難しいだろう。
その他にはどういう道が考えられるだろうか。うんうんと頭を悩ませるが、そもそも私は人族の暮らしに詳しくはない。それで良い考えなど、思い浮かぶはずがなかった。
悩む私を見かねたのか、シャルロットから躊躇いがちに声が掛けられる。
「すみません、困らせるつもりはなかったんですが……」
「ううん、私こそごめんね? いい考えが思い浮かばなくって……」
こんな時、様々な経験をしていれば、もっと別の答えが返せたのだろうか。無知な自分を自覚するたびに、私は自分への嫌悪感が募るのだ。だからこそ、私は見聞を広め、多くを経験したかった。
それでも、今の私には頼れる人がいる。
「後で、ジークに聞いてみよう? きっと、何か考えてくれてるはずだから」
「えっと……はい、そうですね」
ジークハルトであれば、きっと何かいい考えを持ってくれているはずだ。もしジークハルトが思いついていなくても、シャルロットを含めた三人で考えればいい。三人で考えれば、きっと良い解決策が見つかることだろう。そう考えると、少し心が軽くなった。
それから体の芯まで温まった私は、ザバリと湯船から立ち上がる。体についた水滴が、手足を伝って湯船へと流れていった。
「シャルちゃん、私はもう上がるけど、シャルちゃんはどうする?」
「あの……折角なので、私はもう少しだけ浸かっています」
「わかったわ、先に上がってるね」
そうして私はシャルロットを湯船に残し、浴場を後にした。先程の言葉通り、シャルロットが浴場から脱衣所へと来るのはすぐの事だった。




