328話 帝都と城と姫君と1
老紳士の言葉に、俺は一瞬自らの耳を疑った。今のは聞き間違いだろうか。
いや、目の前の老紳士は間違いなく、エリザヴェータの事を姫様と呼んだ。
姫というのは通常、王族や皇族の息女に対する呼称だと記憶している。渾名という可能性も考えられなくはないが、この紳士然とした男性が、ともすれば皇族の不敬となりそうな呼称を、城の敷地内で使うとも考え難い。
つまり、エリザヴェータは高確率で、この帝国における姫君なのだろう。
全く考えなかったのかと言えば、嘘になる。エリザヴェータが城の敷地内で暮らしていると聞いた際、もしかしてと脳裏を過ぎった。
だが、さすがにそんなことはないかと、棚に上げていたのだ。だが、思い返してみれば、あれだけの護衛が付いていたあたり、相当な身分だということはわかっていた。
しかし、今更になってエリザヴェータに、姫だったのかと問うのは憚られる、そもそも、エリザヴェータが姫であることを告げていてくれれば、ここに来てこんな衝撃を受けることもなかったのだが。
そんな俺の思いも知らず、エリザヴェータは老紳士と会話を続ける。
「ただいま、イヴァン。お父様達のところに行く前に、お客人を東棟へ案内してくださる?」
「かしこまりました。皆様、こちらへどうぞ」
「皆さん、泊るところは決まっていないんでしょう? お礼もしたいから、是非泊って行って」
そう言って、エリザヴェータは笑顔でシャルロットの手を引いた。この二人は、歳が近いこともあって随分と仲良くなったものだ。
エリザヴェータの言葉に、俺は少し考え込む。
城に泊まるというのは、少し緊張はするものの悪くはない話だろう。以前、貴族の屋敷に宿泊したことを思い返せば、町の宿屋などよりもよほど上等な寝具で寝られるはずだ。
俺としても、エリザヴェータをここに送り届けるだけでなく、城の者には他にも用がある。背負い袋の中に収められているものを、渡さなくてはならないのだ。
それというのも、エリザヴェータを救い出した際に、亡くなっていた騎士達の持ち物や、馬車に積まれた荷を預かっているのだった。
騎士の持ち物は彼らの大切な形見ということで、剣や装飾品と言ったものを始めとして持ってきている。さすがに、鎧を始めとして損傷の激しいものは持ってこれなかったが。
馬車の積み荷も、その場で朽ちるよりはいいだろうと、大半を持ってきている。俺達の私物としてしまっても、黙っていればわからないだろうが、正規の者へと返すのが道理だろう。
そして何よりも、城の敷地内に入れるというのがいい。俺達はこの帝都へ、クリスティーネを助け出すために来たのだ。
そのクリスティーネは、この国の第三皇子に連れられて行ったという。それならば、彼女は高確率でこの城の敷地内にいることだろう。
敷地内を自由に歩かせてもらえるとまでは思わないが、どうやって城に入ろうかと考えていたところだ。それを思えば、城の敷地内に入れてもらえるだけでも御の字だろう。
後は、何とかしてクリスティーネの居場所を特定する必要がある。それこそ、エリザヴェータを助けた見返りとして、彼女の救出に助力を頼むというのも良いだろう。
「そうだな。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
それから俺達は、エリザヴェータと老紳士の後を追い、城の敷地内へと足を踏み入れた。皇女の客人という事であれば、門を守る騎士達に止められることもない。
正面に見える城ではなく、向かって右手側へと案内される。そう言えば、エリザヴェータは別棟で暮らしていると言っていたな。
そうして案内されたのは、先程見た城よりは小さいものの、十分に大きな建物だった。普通の貴族の屋敷と比べても、規模は遜色ないほどである。
「ここが私の暮らしている、城の東棟になります! なかなか立派でしょう?」
そう言って、金髪の少女は少し得意げに笑って見せた。
「さぁさぁ、皆さんこちらです」
エリザヴェータは慣れた足取りで建物の中へと入っていく。そこへ半歩後ろから老紳士が追い、俺達もそれに続く。
長く続く廊下には深紅の絨毯が敷かれ、天井からは魔術具の照明の光が、煌々と通路を照らしていた。建物はそれなりに古いと見えるが、隅々まで手入れが行き届いているのか、あまり古さを感じさせない。
そうして案内されたのは、大広間のような部屋だった。初めて見る大きさの豪奢なシャンデリアの下、俺が両手を広げたよりも幅の広い長テーブルが、部屋の中央にどっかりと腰を据えている。
その側面には何脚もの椅子が設えられていた。少なくとも、ここにいる全員が腰掛けられるだけの数だ。
長テーブルを前に、俺達を先導していたエリザヴェータが、両手を広げてくるりと振り返る。
「こちらが広間になります。夕食を用意させますから、こちらで休んでお待ちください」
「あぁ、わかったよ」
「エルちゃんは一緒に食べないの?」
「はい。私は、お父様達に報告がありますから」
エリザヴェータの父親と言うと、つまりは皇帝ということだろう。
確かに、報告は必要だ。予定ならエリザヴェータは、もっと早くに帝都に辿り着いていたはずだし、護衛の騎士達が全滅したことも説明が必要だろう。
戻ってきた方法や、俺達のことについても一通り伝えておかなければならないはずだ。
「そう言う事なら、俺達も同行した方がいいんじゃないか?」
正直に言えば、気が進まないことではある。皇帝相手に無礼を働けば、俺の首など簡単に飛ぶだろう。
しかし、俺達は当事者でもあるのだし、エリザヴェータを助け出した際の状況などは、伝える必要があるのではないだろうか。
そう言うと、エリザヴェータは少し考え込んだのち、ゆるゆると首を横に振って見せた。
「いえ、今日のところは私だけで。そもそも、お父様は立場上、そう易々と外部の方に会うわけにはいきませんから」
それはエリザヴェータの言う通りだろう。国で一番地位の高いものが、俺達のような庶民とそう簡単に会えるわけがない。
俺達としても、会わないで済むのであれば、それに越したことはないのだ。
「それでは、私はここで失礼させていただきます。皆様にお会いできるのは明日になると思いますので、後のことはこちらのイヴァンにお聞きください」
「わかった、また明日な」
「はい、また明日」
そう言って綺麗な礼を見せると、エリザヴェータは元来た道へと歩いていった。
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