3話 半龍族の少女1
「そこのお兄さん、助けて!」
森から飛び出してきた少女が、俺の姿に気付いたのか声を張り上げて駆け寄ってくる。その姿を目にし、俺は驚きに目を見開いた。
陽の光を受けて輝く長い銀髪も、焦りに歪んだ表情でさえ整って見える容姿も目立つが、それ以上に目を引くものがあった。
それは少女の背中から大きく広げられた銀の両翼と、走るのに合わせてゆらゆらと左右に揺れる翼と同じ色合いの長い尾だ。
どう見ても俺と同じ人族ではないそれは、異種族の姿だった。
この世界には人族以外にも多くの種族が存在しており、実際に王都グロースベルクでも異種族を見かけるのは珍しいことではなかった。しかし、目の前の少女は俺の見たことのない種族のようだ。
詳しい話を聞いてみたいところだが、それよりも少女を追いかける魔物が問題だった。
少女の後ろには同種の魔物が二体、逃げる少女の背を二足歩行で追っていた。
俺の背より頭二つ分は背が高く、やや浅黒い手足はその力強さをそのまま反映したような太さだ。全体的にずんぐりとした体形をしており、豚に似た頭部をもつその魔物はオークと呼ばれる。
駆け出しの冒険者が相手をするには難しい魔物だ。俺自身は一体であれば問題ないものの、二体同時となると少々自信がない。そんな魔物が少女を追って、こちらへと土煙を上げながら迫ってくる。
逃げることは簡単だ。オークの速度はそれほど速くはなく、身体強化があれば楽に振り切れるだろう。
しかし、そうすると少女はどうなるだろうか。
答えは簡単だ、死ぬにきまっている。
オークは人を食わないが、気性は荒く獰猛で、人を殺すのに躊躇はない。
俺は少女の助けに応えるように前へと踏み出した。
とりあえず、やれるだけやってみよう。
最悪の場合、少女を抱えて走れば逃げきれるだろう。
少女へと駆け寄りながら、体内の魔力を練り上げる。狙いはこちらへと迫る二体のうち、後ろのオークだ。一体を足止めしておかなければ、二体のオークを同時に相手取ることになる。
「『落とし穴』!」
掛け声とともに魔術を行使する。体内の魔力が減る感覚と共に、後ろを走っていたオークが地響きを立てて転倒した。それも当然だ、突如として足元に膝下まである穴が空いたのだから。
俺が使用した地属性の初級魔術は、地面に穴を空けるという簡単なものだ。使い手によってはオークを丸ごと落とすような穴もあけられるだろうが、今の俺にはこれが精一杯だった。
それでも、足止めとしては十分である。
「下がってろ!」
少女とすれ違い、割り込むようにもう一匹のオークに対峙する。それと同時、足をもつれさせたのか、少女が倒れ込むのが視界の端に移った。
当然、オークはそんなことなど気にもせずにこちらへと駆けてくる。このままいけば衝突は必至だ。
推定でも俺の体重の三倍はあるオークの体当たりを受けては、無傷というわけにはいかないだろう。後ろに少女が倒れているため避けるわけにもいかない。
俺は一瞬で判断すると、迎え撃つように左手を前へと突き出した。
「『炎の槍』!」
言葉と同時に放たれたのは、肘から先ほどの長さになる炎の槍だ。
それは赤い線を描きながら、真っ直ぐにオークの顔面へと飛翔した。
「ブモオオオオオッ!」
オークが咆哮を上げ、身を守るように頭部をその両腕で覆った。
そこへ炎の槍が直撃し、大きく燃え上がる。
しかしそれも一瞬のことで、炎が消え去った後には少し表面が焦げただけのオークが現れた。
元よりこの程度で倒せないのは想定通りだ。それでも、炎に驚いたオークは狙い通りにその足を止めている。
そこへ俺は身体強化をした体で踏み込む。首を狙うにはオークの上げた両腕が邪魔で、胴体はがら空きだがその分厚い肉に阻まれて致命傷とはなり得ないだろう。
そうなれば狙いは一つ。脚だ。
未だ先程の炎に怯んでいる様子のオークを尻目に、右脚を狙って剣を斜めに振り抜く。良い手応えと同時に、オークの右脚から鮮血が勢いよく噴出した。断ち切ることはできなかったものの、決して浅いとは言えない傷だ。
足を斬りつけたことにより、オークはたまらず片膝をつく。
上体が前へと倒れたことで、必然的に頭が下がる形となった。
「『重撃剣』!」
使用したのは一撃の威力が大きくなる初級剣技だ。オークの無防備な後頭部へと、一直線に剣を振り下ろす。
体重を乗せたその一撃は、狙い違わずオークの首へと吸い込まれていった。
「グブッ!」
オークがくぐもったような悲鳴を上げる。首を切断するまではいかなかったが、俺の剣はオークの首の半ばまで深々と突き刺さっている。
そのまま勢いに押されるように、オークが地へと倒れ伏した。
その瞳からは、すでに生気が失われている。
「ブモオオオオオッ!」
ほっと一息を吐く間もなく、穴から這い出してきたもう一匹のオークが俺へと迫っていた。倒れたオークから剣を引き抜くが、回避は間に合わない。
辛うじて防御のために上げた左腕へと、オークの丸太のような腕が横殴りに振られた。
衝撃に体が宙を浮き、そのまま地面に背をしたたかに打ち付ける。
ゲホッと肺の中の空気をすべて吐き出しながらも、右腕を支えに素早く起き上がった。
戦場でいつまでも隙を晒してはいられない。
再びオークに半身を晒して対峙しながら、左腕の状態を確かめる。オークの拳をまともに受けた左腕は今もなおじんじんと痛みを訴えているが、俺の意思に応じて動く。
どうやら折れてはいないようだ。身体強化が出来なければ間違いなく折れていたところだった。
そこへ、オークが咆哮を上げながら腕を振り上げて迫る。
そう何度も受けてはいられない。
俺は痛む左腕を前へと突き出し再び魔術を行使する。
「『砂の壁』!」
体内の魔力を代償に、魔術が現象を巻き起こす。
地面から巻き上がった砂が、オークの視界を封じるように壁を成した。
オークは砂を振り払うように両腕を振り回すが、魔術で生み出された砂は簡単には晴れない。
「『速撃剣』!」
その隙を突くように俺はオークへと踏み込み、首を狙って下から刺突を放った。
初級剣技の勢いを乗せて真っ直ぐに放たれた剣は、身体強化の加護を受けてオークの首へズブリと突き刺さった。
素早く剣を引き抜き、オークから距離を取る。腰を落として油断なく身構えるが、オークには致命傷を与えたはずだ。
俺の見る前で、首から血を流すオークはゴボゴボと何事か言っていたようだが、一歩、二歩と後退ると地響きを立てて仰向けに倒れた。それきりピクリとも動かない。
俺は大きく息を吸うと、細く長い息を吐いた。そうして剣を勢い良く振って、付着した血液を振り飛ばす。
想像以上に上手く行ってほっとしている。オークの拳を左腕で受けたときは少しヒヤッとしたものの、怪我らしい怪我もなく二体のオークを退けることができた。
俺はもう一度二体のオークに近寄り、間違いなく死んでいることを確認すると、踵を返して少女の方へと駆け寄った。銀の翼と尻尾を持つ少女は、先程うつ伏せに倒れた状態のまま動いていないようだ。
「おい、大丈夫か?」
「無理……死んじゃう……」
片膝をついて声を掛ける俺に対し、少女からか細い声が返った。オークから逃げる姿に目立った外傷は見当たらなかったものの、怪我を負っていたのだろうか。
慌てて治癒魔術を行使しようと魔力を練り上げる俺の前で、少女は小さく言葉を続けた。
「お腹……空いた……」