274話 潜入7
「それで、フィナ。今日はどうだった?」
白色の絨毯に腰を下ろし、俺は屋敷から帰ってきたフィリーネへと問いかけた。冷たい外気に晒され、顔を赤くして帰ってきたフィリーネは、今は部屋の隅にある熱を発生させる中型の魔術具に手を翳している。
今日はフィリーネが屋敷へと潜入する一日目だ。彼女が帰ってきた時間帯はつい先ほど、陽が落ちたころである。この時間に帰ってきたということは、無事に使用人として雇ってもらえたのだろう。
俺の問いに、フィリーネは顎先に手を当て思い出すように遠くを見つめた。
それから魔術具に手を翳したまま、首だけで俺の方へと振り返る。
「イリダールって人は、あんまりいい感じはしなかったの。えっちな目で見られたの」
「あー、まぁ、女好きって話だったしな」
どうやらイリダールと言う男は、聞いていた通りの人物だったらしい。フィリーネの表情からも、あまり良くは思っていないということがわかる。
それでなくても、今日のフィリーネの装いは、いつもよりずっと可愛らしいものだ。例え女好きでなくても、擦れ違う人が思わず振り返ってしまうくらいには、人目を惹くだろう。
「それだけじゃなくって、初対面でいきなりお尻を触られたの」
そう言いながら、フィリーネは片手で自らの臀部を擦った。
「……ほぉ」
思わず、瞳が鋭くなる。初対面の女性の尻に触れるとは、これだから権力を笠に着ている相手と言うのは関わりたくないものだ。フィリーネもさぞ、嫌な思いをしたことだろう。
「悪いなフィナ、そんな役回りをさせて。嫌だっただろう?」
「もちろん嫌だったけど、我慢したの。これもクーちゃんとシーちゃんのためなの」
「よく我慢できたわね。私だったら投げ飛ばしてるわ」
確かに、アメリアが同じ状況に置かれていれば、投げ飛ばすなり、蹴り飛ばすなりしていたことだろう。本当に、アメリアではなくフィリーネを送り出しておいてよかった。
だが、嫌な思いをしたのは間違いない。どれほど慰めになるかはわからないが、労いは必要だろう。
俺はフィリーネの方へと歩み寄ると、ふわふわの白髪へと片手を乗せた。少し短慮かもしれないが、自ら撫でることを勧めてくるあたり、フィリーネ自身が頭を撫でられるのが好きなはずだ。
俺が軽く頭を撫でてやれば、フィリーネはその間隔を楽しむように瞳を細めた。
「大丈夫だったか? 他には何もされてないか?」
「平気なの。ちょっと顔に触れられたくらいで、後は指一本触られてないの」
顔には触れられたのか。まぁ、尻よりはマシかもしれないが。
しかし尻か、と思いながら、フィリーネの臀部へと目を向ける。俺としてはそちらにはあまり興味はないが、やはり好きな奴はいるものだな。
などと考えていると、何を思ったのか、フィリーネがどこかいたずらっぽい顔を見せる。
「ジーくんだったら、フィーのお尻に触ってもいいの」
「お前はいきなり何を言っているんだ?」
思わず吹き出しそうになりながら言葉を返す。いくら俺達が良好な関係とは言え、そう言ったデリケートな部位に触るのは不味いだろう。
だが俺の答えをどう受け取ったのか、フィリーネは小さく小首を傾げて見せた。
「それとも、お胸の方がいいの?」
そう言って、両手で胸を軽く持ち上げ強調して見せた。フィリーネの胸はクリスティーネ程の大きさではないものの、それなりに大きい方だ。
その仕草に、俺は直視するのも憚られ思わず目を逸らした。
「そりゃ、どちらかと言えば……いや、何でもない、忘れろ」
思わず本音を口走りそうになり、俺は慌てて誤魔化した。ちなみにどちらかと言うまでもなく、俺は断然、尻よりも胸派だ。断じて口にはできないが。
「ねぇ、くだらない話をしてないで、今日の事を聞いたら?」
呆れたような口調に目を向ければ、テーブルに頬杖を突いたアメリアと目が合った。若干、苛ついているようにも見えるのは、きっと俺の目の錯覚ではないだろう。
アメリアの事だから、まさか自身の胸のサイズを気にしているということもないはずだ。なにせ、彼女の胸は若干……いや、やめておこう。純粋に、俺達の会話に呆れているのだろう。確かにアメリアの言う通り、話が脱線している。
俺は咳ばらいを一つすると、再びフィリーネへと向き直った。
「それでフィナ、他にはどうだった? 二人には会えたか?」
「んん、会えなかったの」
そう言いながら、フィリーネはゆるゆると首を横に振った。それから、今日一日の出来事を話してくれる。
今日のフィリーネは、アリーナと言う侍女頭の元、屋敷での仕事を教えられたらしい。主な仕事は掃除や洗濯、炊事と言った一通りの家事のようだ。フィリーネは元からある程度は一通り出来るものの、普段とは勝手が違うようで少し苦労したらしい。
教えられた仕事をただ黙々とこなしていたかと言うと、そう言うわけでもない。元より、フィリーネはクリスティーネとシャルロットの様子を探ったり、違法薬物の取引記録を得るために潜入しているのだ。
そのため仕事の合間にそれとなく聞いて探ってみたところ、幾つかわかってきたことがあるようだ。
まず、屋敷にいる奴隷達は、三階の三部屋に分けられ、何れも軟禁状態にあるらしい。扉には鍵が掛けられ内側からは開けられず、窓も嵌め殺しで脱出は不可能と言うことだ。
唯一、夕食時のみ部屋から出され、イリダールと共に夕食を取るそうだ。それ以外には稀に、庭に出されることもあるという。二人と接触しようと思えば、そう言った部屋の外に出される機会を狙う他にないらしい。
それから、奴隷達が万が一にも逃げ出さないよう、処置が施されているという。両腕には魔封じの枷が嵌められ、首には発信機なる位置を特定する魔術具が取り付けられているそうだ。そのような状態では、自力での脱出は困難だろう。
ただ幸いなのは、奴隷達があまり酷い扱いをされていないらしいということだ。イリダールは他の貴族たちに、見目のいい奴隷を自慢するために所有しているらしく、体罰はもちろん、無理矢理手籠めにするようなこともないそうだ。
「それから、明日はパーティがあるらしいの」
「パーティ?」
聞き返せば、フィリーネからは首肯が返る。
何でも、明日はイリダールの屋敷で、貴族達を集めたパーティが開かれるそうだ。どうやらイリダールは無類のパーティ好きなようで、こういったことは珍しくないらしい。その関係で、明日はフィリーネの仕事も忙しくなるそうだ。
そしてパーティの場では、イリダールの所有する奴隷が着飾られ、他の貴族たちの見世物にされるらしい。その時であれば、フィリーネも二人の様子を目にすることが出来るだろうという。
「連れ出したり、話したりするのは無理だと思うけど、様子だけでも見てくるの」
「そうだな……うん、今はあまり無理はしないでくれ。遠くから様子を見るだけでいい」
いくらフィリーネでも、パーティ会場から魔力の封じられた二人を連れ出すのは至難の業だろう。例え成功したとしても、イリダールの所有する奴隷を盗み出したとすれば、犯罪者となってしまうのだ。
口惜しいが、違法薬物取引の証拠を見つけ出すまでは、手出しができない。
「それでフィナ、もう一つの方はどうだ?」
「ん、そっちも聞いてきたの」
仕事の合間に、入ってはいけない部屋なども聞いてみたそうだ。すると、ナターリヤに聞いた、違法薬物取引の証拠がある部屋が、ズバリ示されたという。どうやら侍女頭は、違法薬物関係のことは知らないようだ。
しかし、その部屋が依然として立ち入り禁止と言うことは、その部屋から証拠を動かしていないということだ。随分と不用心にも思えるが、動かすのは動かすで他の者に知られるリスクがある。動かそうにも動かせなかった、と考える方が自然だろう。
ただ、レナートが室内に入るという事件があったためか、鍵をかけ忘れるようなことはなくなったらしい。その鍵も、以前は書斎に置いていたが、持ち歩くようになったそうだ。
「まぁ、鍵なんてかかってても関係ないの。壊しちゃえばいいの」
俺としても、フィリーネの意見に賛成だ。適当に魔術を使用すれば、鍵を破壊するくらいは容易いのだ。さくっと壊して、さくっと証拠を盗んできてもらうのがいいだろう。
どうせ、証拠が手に入ればすぐに動くこととなる。鍵を壊したことが知られるよりも、こちらの動きの方が早いだろう。
「そうだな、出来れば早いうちに頼む」
「任せて欲しいの! 明日にでも、隙を見て取ってくるの!」
自信満々といった様子で、フィリーネが胸を張って見せる。
不安がないわけではなかったが、俺はフィリーネを信頼して明日も送り出すことにした。
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