273話 潜入6
私は目の前に聳え立つ大きな門を見上げ、深呼吸を一つした。これからしばらく、この屋敷で使用人として働くことになるのだ。とはいえ、まずは今日の面接に合格する必要があるのだが。
本日の私の装いは、いつもの冒険者然とした可愛さ控えめで実用的ものとは異なり、普通の町娘が着ているような可愛らしい服装だ。面接に臨むのであればそれなりの服装をするべきだという、ナターリヤのアドバイスを取り入れたためだ。
このために、昨日は町中の服屋を巡り、わざわざ異種族加工がされたものを購入している。この一度しか着ないのであれば何でもよかったかもしれないが、折角買うのであれば、似合うものを買いたいではないか。
二人を助け出した暁には、冒険がお休みの日にでも、この服を着てジークハルトと共に町を歩くのも楽しそうだ。少し気が早いが、そんなことを考えていると思わず笑みが零れてしまう。
何しろ、今の私はすこぶる機嫌が良い。それと言うのも、今朝この服を来た私の事を、ジークハルトが可愛いと褒めてくれたためだ。普段、服の事を褒められることなど滅多にないので、こういった機会は貴重なのである。
右手へと顔を向けてみれば、通りの向こうの角からこちらを窺うジークハルトとアメリアの姿が小さく見える。相変わらず私の想いはジークハルトに届いてはいないようだが、こうやって心配してくれるくらいには気にしてくれているのだろう。今はそれだけで良しとしよう。
再び前方へと視線を戻し、気を引き締め直す。ここから先は、ある意味では戦場なのだ。あまり浮かれてはいられない。
門へと近付き、脇に立つ騎士へと訪問の理由を告げる。精一杯の愛想笑いを作ってみれば、騎士は訝しむことなく取り次ぎのために、屋敷の方へと小走りで向かった。昨日のうちに一報は入れているので、すぐに迎えが来ることだろう。
そうして待つことしばらく、先程の騎士が一人の女性を伴って帰ってきた。この屋敷の使用人なのだろう、お仕着せらしい服を着た、少し年配の女性だ。
「貴方がフィリーネさんね。私はアリーナ。ここで働く侍女達の侍女頭を務めているわ。旦那様がお待ちだから、ついて来てくれる?」
侍女頭と言うことは、これからここで働くことになれば、私の上司と言うことになるのだろう。正直、屋敷の主人であるイリダールには、会ったことがないにもかかわらず悪印象を抱いている。
その下で働く人にもあまりいい印象は抱いていなかったのだが、このアリーナと言う女性は優しそうだ。見たところ歓迎されている雰囲気も感じるので、この様子なら面接もうまくいくだろうと思えた。
「フィーはフィリーネなの、です。よろしくお願い、します」
言いながら、慌てて言葉を取り繕う。こういう場所では、言葉遣いにも気を付けなければならないと、ジークハルトから言われているのだ。
失敗したかな、とは思ったものの、アリーナは特に気にした様子はなく、私を先導し始めた。何とか誤魔化せたようだと、私は内心で吐息を吐き、その後へと続く。
屋敷の扉を潜り抜け、建物内へと足を踏み入れる。中はやはりというべきか、貴族の屋敷らしく煌びやかなものだった。以前訪れた、ユリウスの屋敷よりも豪華そうだ。
私には壁際に飾られている壺も絵画も価値がわからないものだが、何れも高価なものなのだろう。特に欲しいとは思わないだけに、貴族とはやはり価値観が合わないと思う。
途中で階段を上り、二階へと出る。そこから一度角を曲がり、突き当りの扉へとアリーナが軽くノックをすれば、中からは「入れ」と男の声が返った。
アリーナが扉を開き、後に続いて室内へと入る。入ってすぐに、アリーナの手により扉が閉められた。
中にいたのは、一人の男だった。太った体に、随分と派手な服を身に付けている。この男が、屋敷の主人であるイリダールなのだろうと見当をつけた。ひとまず、服の趣味は私とは合いそうにない。
イリダールは仕事をしているのか、机に腰掛け書類にペンを走らせていた。
「旦那様、使用人を希望している者を連れてまいりました」
「あぁ、そう言えばそんな話をしていたな。どれ……ほぅ」
イリダールが書類から顔を上げ、私の姿を認める。その途端、男はその少し垂れ気味の瞳を細めて見せた。
そうして椅子から徐に腰を上げると、重そうな足取りでこちらへと近寄ってくる。
「お前、名前は何と言ったか?」
「フィーの名前はフィリーネなの、です」
私は作り笑いを浮かべながら答えた。
イリダールは太く大きな手を顎先に当て、私へと値踏みするような視線を向けてきた。その瞳が頭からつま先までを撫で、少しの間、胸で固定される。ちょっと嫌な感じだ。
さらに、イリダールは私の傍へと身を寄せる。出来れば距離を空けたいが、好印象を抱いてもらうためにも、私はその場で足を止めた。
続いて、尻に手が振れる感触に、私は身を固くした。イリダールがその大きな手で、私の尻を撫でているのだ。
女好きだという話は聞いていたが、初対面の相手にここまで無遠慮だとは思っていなかった。貴族と言うのはこういうものなのだろうか。嫌いになりそうだ。
私は作り笑いを浮かべたまま、思わず握った拳を解き解す。ここで、手を振り払えば、きっと合格にはならないだろう。そうなっては、クリスティーネとシャルロットの救出が遠退いてしまう。不快ではあるが、尻くらい減るものでもない。
それにしても、来たのがアメリアではなく私だったのは幸いだった。彼女がこんなことをされたとすれば、即座にイリダールを投げ飛ばしていたことだろう。
私が大人しくしているからか、イリダールはどこか上機嫌な様子で、私の顎先へと手を伸ばした。そのじっとりとした感触に、思わず唇を引き結ぶ。それでも、声を出すことは何とか堪えた。
イリダールはしばらく私の顔をじっくりと眺めていたが、満足したようで手を離した。私は表情を作ったまま、内心でほっと息を吐く。これで胸を掴まれたり、口付けを迫られたりしていれば、さすがに抵抗するところだった。
「よし、合格だ。ここで働くことを許そう」
「……ありがとうなの、です」
私はここで働けることが光栄だという態度を演じながら、肩の力を抜いた。これでひとまず、潜入は成功とみていいだろう。後は隙を見てクリスティーネとシャルロットの姿を探したり、違法薬物取引の証拠を探すとしよう。
「それじゃ、仕事を説明するからついて来て頂戴。旦那様、失礼します」
それから私はアリーナを負って、部屋を後にした。しばらくはアリーナが教えてくれる仕事とやらに集中した方が良いだろう。
すぐ前の背中を追いながら、私はこっそりとイリダールに触れられた顎先を、服の袖で拭った。
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