268話 潜入1
胸の高さの塀に頬杖を突き、遠くに見える屋敷へと視線を送る。光の魔術によって強化された視力であれば、遠くの建物の様子も間近に見えた。
ここから見えるのは、屋敷の一階と二階部分の様子だ。今立っている場所が少し高くなっているため、屋敷を取り囲む塀に邪魔されず、一階の部分までが見渡せた。ただ、それでも高さは足りず、三階より上の様子は見ることが出来ない。
その外観を眺めながら、俺は小さく溜息を吐く。かれこれ数刻ほど屋敷の様子を外から眺めているものの、未だに手掛かりを一つとして得られていなかった。
あの屋敷にクリスティーネとシャルロットの二人がいるという情報を得たのが、つい昨日のことだ。二人を買っていったのがこのダスターガラーの町の領主だということがわかれば、屋敷の場所はすぐに知れた。
そうして今日は朝から屋敷の様子を探っているのだが、今のところ二人の姿を捉えることは出来ていなかった。屋敷は広いし、俺が見ているのは屋敷の一面に過ぎない。クリスティーネ達がどの部屋にいるのかもわからない状態では、すぐに部屋を特定するのも難しいことだろう。
そこでふと、俺は背後から近寄る気配に気が付き、後ろを振り向いた。そこにいたのは、別行動をしていたフィリーネとアメリアだ。二人は俺の方へと歩み寄ると、フィリーネが俺に片手を差し出した。
「ジーくん、ただいまなの。はい、これはジーくんの分」
その手にあったのは、屋台などで売られているいくつかの具材を挟み込んだパンだ。片手で持つことが容易なそれは、冒険者にも人気の食事である。
どうやら用事を済ませるついでに、昼食を買ってきてくれたようだ。俺は礼を言って、フィリーネの手からパンを受け取った。
「それで、フィナ、アメリア。そっちはどうだった?」
俺の問いに、二人は揃ってふるふると首を横に振って見せる。
「んん、こっちは見つからなかったの」
「やっぱり、二人ともまだあの屋敷にいるんじゃないかしら?」
そう言って、アメリアは前方に見える屋敷へと目を向けた。
二人は俺と別れ、前日と同じように町にある奴隷店を回っていたのだ。もしかすると、今までと同じように、二人は既に別の奴隷店へと売られてしまっている可能性を考えたからだ。
だが、どうやら当ては外れたらしい。町の奴隷店に二人の姿がなかったのであれば、二人はまだあの屋敷の中にいるとみて、間違いないだろう。
俺は屋敷の方へと視線を戻した。それから、何とはなしに言葉を続ける。
「そうか、お疲れ様。他には、何も変わったことはなかったか?」
「いえ、特には」
「ううん、何も……あっ」
言いかけ、何かを思いついたようにフィリーネが言葉を漏らした。その声を聴き、俺は屋敷の方からフィリーネへと視線を移す。
あまり焦った様子もないので、緊急性はないのだろうが、何かはあったのだろう。俺が目線だけで続きを促せば、フィリーネは言葉を続けた。
「アーちゃんと町を歩いていたら、男の人から声を掛けられたの」
「……ほぅ」
そう言ったことがないわけではないだろうと、ある程度は予測していた。二人とも見目が整っており、人目を惹く容姿をしているのだ。二人だけで町中を歩いていれば、ナンパの一度や二度くらいはされてもおかしくはない。
「二人組の男の人だったの。呼び止められて、食事に誘われたの」
「なるほどな。それで、どうしたんだ?」
「もちろん、断ったの」
まぁ、二人とも見知らぬ男性に声を掛けられたところで、ほいほいとついて行くような娘ではない。これがクリスティーネであれば、食事と聞いてふらふらとついて行ってしまいそうなものだが。いや、さすがにそこまで迂闊ではないだろうか。
ともかく、そこまで聞いただけでは特に問題ではないように思う。アメリアは少し怪しいが、フィリーネは俺達と出会う前から冒険者をやっていたのだし、そう言ったことも初めてではないだろう。上手くあしらえそうなものだが、どうやら続きがあるようだ。
「それでも、相手は諦めてくれなかったの。フィー達が立ち去ろうとしたら、相手の一人が後ろからアーちゃんの肩を掴んで……」
うむ、何となく予想が付いた。
「そうしたら、アーちゃんがその人を投げ飛ばしたの」
アメリアは結構、警戒心の強い娘だ。それも、火兎族の隠れ里という閉鎖環境で暮らしてきた、箱入り娘である。自身の嫌っている人族の異性に、不用意に体に触れられたとなれば、そんな対応にもなるだろう。
俺はアメリアを知っているからこそ理解できるが、正直相手の男達に同情した。
「それを見て、もう一人がアーちゃんに向かってきて、アーちゃんはその人も投げ飛ばしたの」
目に浮かぶようだ。
幸いにも、投げ飛ばされた二人には大きな怪我はなかったらしい。去り際に二人へと悪態をつきながら、逃げるように立ち去ったようだ。
素直に食事について行けとは言わないが、もう少しやりようがあったのではないかと思う。俺は若干呆れつつ、アメリアへと視線を向けた。
「アメリア……」
「……不用意に私に触れた方が悪いのよ」
そう言って俺から顔を逸らすアメリアは、若干気まずそうにしていた。アメリアとしても、ちょっとやり過ぎたとは思っているらしい。まぁ、反省しているようだし、俺からはこれ以上何も言う事はないが。
トラブルらしいトラブルと言えば、それくらいだったようだ。正直、俺は奴隷が合法であるこの国であれば、二人が町中で奴隷狩りに合う可能性も考えていた。そうならなかったのであれば、思っていたよりも治安は悪くないのだろう。
俺は二人の買ってきた昼食に口を付けながら、ぼんやりと屋敷の方に視線を向けた。未だ、見える範囲ではクリスティーネの姿も、シャルロットの姿もない。
黙々と食べ続け、食べ終わったところでアメリアが口を開いた。
「それでジーク、これからはどうするの?」
「そうだな……今のところ二人の姿は見えないから、今度は建物の右側に回り込んで見ようと思う。それでも、二人が三階以上の部屋にいればわからないが……」
何はともあれ、二人の所在の確認が先決である。それさえ確認できれば、俺としても少しは安心が出来るだろう。
ただ、それがわかったところで、二人をどうやって助け出すかと言う問題が残るのだが。二人を所有しているこの町の領主は、合法的に二人を買い取っているのだ。
それを譲ってもらうには、こちらも金銭などを用意する必要があるだろう。そもそもの話、それ以前に向こうと渡りをつける必要がある。
相手はこの町の領主で貴族なのだ。俺達がいきなり訪問して奴隷を譲ってくれなど言ったところで、会ってもらえるわけがない。
それを考えれば、二人の所在が分かってもまだまだ障害があるのだ。
そんな風に考え込む俺の服の袖を、フィリーネが小さく摘まむ。
「ねぇジーくん。フィーなら、近くで見て来れるよ?」
確かに、フィリーネが空を飛べば確認は容易だろう。
だが、その提案に俺は首を振って見せる。
「流石に目立ちすぎるだろうからな、やめておこう」
俺は光の魔術で遠くから様子を確認しているが、フィリーネは肉眼での確認となる。あまり屋敷の近くで飛んでいれば、屋敷の者達に不審に思われることだろう。
二人を助け出す算段もまだなのに、あまり目立つような行動は避けたいところだ。
しかし、どうにも焦れったいところはある。折角二人の居場所が分かったのだし、他に手はないだろうか。
「よう、どうやらお困りのようだな?」
そう声を掛けてきたのは、つい昨日、二人の情報をくれた浮浪者のような男だった。
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